伊豆利彦(横浜市立大学名誉教授):

日々通信 いまを生きる 第91号 2004年2月18日

『都大と横市大の問題』

 

http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@91.htm

 

伊豆利彦のホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/index.htm より

 

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<横浜市大の解体を許すな>という横浜市大を考える市民の会の集会が開かれた。
この会には国立大学問題、都立大学問題についての報告があった。市大問題が市大だけの問題ではなく、全国的な問題であることがわかり、広い視野から考えることができた点で有益だった。

都立大学の問題については次のページを見るとわかりやすい。
独立行政法人首都大学東京
敬天愛人 格物致知 2004年02月15日(日)
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/blue_tiger/243 

都立大の危機 --- やさしいFAQ
A. 最初の疑問,一般的質問(廃校か改革継続か?)
http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/〜jok/kiki-a.html#new-univ2
B. 今の都立大生の卒業に関する質問
http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/〜jok/kiki-b.html#gakushuken

2004年2月12日(木)「しんぶん赤旗」にも都大の問題が出ている。
就任確認 都が迫る
廃止計画4大学の教員に
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-02-12/14_01.html

日本の首都、世界最大の都市の伝統ある大学が、無法な権力の乱暴な手法で非大学化されようとしている。

横浜市大の場合は、もっと狡猾、陰険な方法によって、同様なことが行われている。
東京新聞特報の次の記事がいまの市大問題をかなりよく伝えている。
『改革』に揺れる横浜市立大
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040216/mng_____tokuho__000.shtml

市大問題については私のホームページの大学問題
http://homepage2.nifty.com/tizu/daigaku/itiran.htm
からもさまざまな情報が得られるが、その実態は、一般にはまだあまり知られていない。しかし、これが、全国の公立大学におよび、さらには新制地方国立大学におよぶことは容易に想像される。

結局、戦後民主主義の基盤であった新制大学をなくして、昔の専門学校にしようという企てのようだ。
地方大学には大学の自治とか学問の自由とかはいらない、研究もする必要がない、中級の公務員や会社員、技術者を養成する教育機関に徹すればよいということであるらしい。

だから、何よりも学部自治、教授会の解体ということが中心的な課題として追求されている。
学問とか研究とかは少数の旧帝大でやればいいのだという考えであるらしい。
このように大学間格差を拡大し、新制大学の専門学校化を進めるならば、学問・研究の基盤が小さくなり、その発展を阻害するだろう。
また、国や産業界による研究に対する支配を容易にし、そのことは、短期的にみれば研究の発展を促進するように見えるが、長期的には、研究の発展を、ゆがんだものにし、阻害することになるだろう。

科学の発展は無条件に肯定され讃美されるべきものであるとは思わない。
現代を大きな歴史のなかで考察すること、多様な角度から検討することも必要なのではないか。
そのような批評精神がうしなわれ、国民が一つの方向に駆り立てられていく。大学が一つの方向に駆り立てられていく。そのことがかつてどのような結果を生んだか。

いま、都大でも横浜市大でも、行政の目指す方向に賛成するものだけを集めて、一つの方向に、実にあわただしく、大学を再編成しようとしている。
なぜ、そのように急ぐのか。
大学にとっては速成とか能率とかいうのはなじまないと思う。
教育は百年の大計だ。
ゆっくり考え、教員一人一人の納得のいく改革こそ必要なのだ。

いまの改革のやり方こそが、これからの大学の在り方なのだろう。
さらに、それは日本の未来、民主主義破壊の行方を示すのであろう。
私は退職する前から制度としての大学に失望して、あまり多くの期待を持っていなかった。
しかし、こんな乱暴な改革、そこに現れたファッショ的手法を見ては黙っていられなくなった。
このファッショ的行政に抗して戦うことこそ、日本のファッショ化に対するたたかいであり、そのたたかいのなかにこそ、民主主義は命あるものになり、大学も再生するのだと思うようになった。
戦後の日本は民主主義の国になったといわれている。
しかし、それは上辺だけのことだったのではないか。
民主主義は圧制とのたたかいのなかでこそ、生命ある発展を実現するのだ。
日本の民主主義もそのシンボルとしての大学もこれからの苦難のなかでこそ真に確立されるのだと思う。
<嵐よ吹け、わが面をあらえ>というひろしぬやまの詩に心をはげまされた青年の日の記憶がよみがえってくる。

春一番が吹いて、暖かい日がつづいたが、やがて、寒さが戻るのだろう。
行きつ戻りつして、それでも次第に暖かくなる。そして、ある時から、どっと暖かくなるのだ。
梅が咲いている。内村鑑三は寒のうちに咲いて春の先駆けとなる梅を愛すると言った。
桜花爛漫の春もいいだろうが、この頃の私は、今の季節を愛することを知った。
寒さに耐えて残り少ない一日一日をなんとか、自分に出来ることをしていきたい。

この頃の掲示板、少しは活発になったようだ。
しかし、なお、投稿が少ない。
皆さんの投稿をお待ちしている。

伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu