横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)及び朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)のおける学長発言に対する抗議文

小川 恵一 横浜市立大学学長  

 

横浜市立大学教員組合

2004323

 

横浜市立大学教員組合は、横浜市議会予算第一特別委員会(2004311日)及び朝日新聞(神奈川版、2004316日朝刊)における学長発言に関し、以下のように抗議を申し入れるとともに、横浜市立大学教員組合、横浜市立大学教員、横浜市立大学学生・院生、そして全国の大学関係者に対して謝罪することを要求する。 

 

目次

 1. 横浜市議会予算第一特別委員会(2004311日)における発言について

1)任期制に関する一部教員、教員組合の活動についての発言

2)新たなコースとカリキュラムの枠の決定に関する発言について

2. 朝日新聞(神奈川版、2004316日朝刊)における学長発言について

1)「『誰が見ても問題がある教員』は10%」という発言

3. 最後に:真理を探求する研究者・教育者としての学長に求めるもの  

 

1. 横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)における発言について

 

1  任期制に関する一部教員、教員組合の活動についての発言  

組合員の傍聴記録によれば、上記委員会において、「任期制について、一部教員、教員組合が不安をあおるような宣伝をしているのは遺憾である。」という趣旨の発言を学長がしたと伝えられている。もし、この発言が事実であるなら、以下に述べる理由により、その発言を撤回し、横浜市立大学教員及び教員組合に対し謝罪することを要求する。 

 

1-1)横浜市立大学教員及び教員組合が任期制に関する見解を公表してきたことは、憲法の保障する言論の自由、表現の自由の視点からして、違法なことではなく、正当な権利の行使である。

1-2)管理職である学長が公の場である議会で教員及び教員組合の任期制に関する見解公表が何か問題であるかのごとく発言したとすれば、それは個々の教員の言論の自由への介入、組合活動への介入となる。

1-3)さらに、学長の上記発言が事実であれば、大学における自由な討論を通しての真理の追究という大原則を学長自ら崩すことになる。議会という公の場におけるその発言は、本学だけに留まらず、全国の大学における改革に負の影響をもたらすであろう。

1-4)ゆえに、上記学長発言を取り消し、横浜市立大学教員、同教員組合、及び全国の大学関係者に謝罪することを要求する。   

 

なお、任期制に関しては、法的に疑問が残る「全教員任期制」について、学長や大学改革推進本部が具体的制度設計を今に至るまで提案していない事実こそが教員(潜在的教員応募者を含む)に大きな不安を与えている。この点について学長の自己反省も求める。 

 

2)新たなコースとカリキュラムの枠の決定に関する発言について  

組合員の傍聴記録によれば、上記委員会において、「『大学像』は私から設置者である市長にすでに渡してあるので、新たなコースとカリキュラムの枠については設置者により決定するものと考えている。」という趣旨の発言を学長がしたと伝えられている。もし、この発言が事実であるなら、以下に述べる理由により、その発言の撤回を要求する。 

 

2-1)大学における教育・研究の内容とそれを支える諸制度や慣行は、人類の平和と繁栄を真理の探求と継承を通じて行うため、時の権力者や外部者から一定の独立性と自律性を大学に与えている。このことは数知れぬ人々の血を流して人類が到達した現代社会の叡知の一つでもある。

2-2)「新たなコースとカリキュラムの枠」という言葉をどのように解釈するにせよ、その意味するところが大学の教育・研究の根幹であることに疑いはない。

2-3)その大学の教育・研究の根幹について、大学の構成員ではない設置者が100パーセント決定権があるかのごとく、議会という公の場で発言することは、学長自らこの人類の叡知を踏みにじることに等しい。

2-4)ゆえに、学長の議会における発言は、本学における大学改革ばかりでなく、全国の大学の改革に悪影響をもたらすであろう。その発言の撤回を要求する。 

 

2. 朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)における学長発言について

 

1)「『誰が見ても問題がある教員』は10%」という発言  

上記記事の中で、「市大でも、『誰が見てもよく頑張っている教員』は10%、『誰が見ても問題がある教員』は10%。」と学長は述べている。以下の理由により、この発言を撤回することと訂正記事の掲載を要求する。 

1-1)学長という公的立場(肩書き)でマスメディアに対して発言すれば、それはどのような断り書きを入れようが私人の発言ではなく、その代表する組織の公式見解と理解されるのが常識である。ゆえに、学長の上記発言は、大学外の人々にとっては、横浜市立大学が『誰が見ても問題がある教員』は10%いると公式に認めたと理解される。

1-2)しかし、教員をどのように評価するかの具体的基準や制度設計について、とくに、任期制や年俸制との関連で、本学では公に議論されたことは一度もない。また、大学として正式に何らかの統一的教員評価方法を決定し実施したわけでもない。さらに、上記記事では評価基準や10%という数字の根拠について(他の組織の場合も含めて)一切ふれていない。

1-3)これらの結果として、大学を取り巻く厳しい状況下では、「横浜市立大学には『誰が見ても問題がある教員』が10%もいる。」という言説が、その正当性や客観性を全く欠くにもかかわらず、独り歩きする状況が作りだされた。この正当性や客観性を欠く言説の流布は、今後の任期制や年俸制の具体的制度設計の議論において著しく不公正となる。

1-4)ゆえに、上記学長発言の撤回と訂正記事の掲載を要求する。

 

 3. 最後に:真理を探求する研究者・教育者としての学長に求めるもの  

 

上記議会発言や新聞記事には、真理の探究を旨とする大学を代表する学長として許しがたい兆候が現われています。それは、奇弁を弄し、議論を避け、自己の誤り・責任を認めようしないことです。 

 

3-1)改革案の作成過程への批判に対して、「あらゆる人から無限の時間をかけて意見を聴くのが民主的というならば、その方法は採っていない。」(朝日新聞記事)と学長は述べています。極限的な理想状況が実現可能性を持たないことはどのような事柄でも明らかであり、その意味では現実的でないと批判をかわすことが可能となります。現場の当事者たちに、議論を公開し、議論に参加してもらう機会や時間をほとんど与えない状況が民主的でないことは誰にも明らかです。

3-2)理事長と学長の分離に関しても、「予算がないのは理事長の責任、研究・教育の成果が出ないのは学長の責任、と明確化を狙った。」(朝日新聞記事)と述べています。では、なぜ国立大学独立法人では学長が理事長を兼ねる制度になっているのか?この質問はすでに理事長と学長の分離案がプロジェクトRの「大枠」で示されたとき以来問われ続けているが、未だ何ら具体的な、そして分離が必然となる理由は示されていない。さらに、「実質的には学長が経営にほとんど関与していない現行制度よりも----」と述べるに至っては、現行法制下でも学長が経営に関与している他の大都市公立大学があることを忘れ、自己の責任を棚上げにしているように見える。

3-3)改革案の作成過程に関連して、「学生の意見を十分聴いたとは言えない。」(朝日新聞記事)と学長は認めている。しかし、続いて「ただ、説明会でも大学の未来像を語る学生はいなかった。そもそも大学のような高度な機能について、学生に全体像を描かせることは無理だ。」と述べ、学生の意見を聴いていないという自己の誤りの極小化を試み、あたかも学生側に責があるがごとく述べている。(学問の細分化が進んだ現代では、本学のような中規模総合大学でさえ、その高度な機能の全体像を描くことは、個々の教員でも不可能である。学長自身が「私は文系のことはよくわかりません。」と多くの場で公言している。学生・院生、現場の職員、教員が連日連夜真摯に議論を重ねる中で初めて我々の目指す大学の全体像が見えてくるのであろう。)上記の学生に関する発言は、自己の誤り・責任を糊塗する結果、本学学生・院生の潜在的能力をマスメディアにおいて見下す表現となっており、本学学生・院生に謝罪すべきである。   

 

真理の探究と継承を任務とする大学の研究者・教育者が奇弁を弄し、議論を避け、自己の誤り・責任を認めようしない態度であってはならないことは言うまでもありません。大学を代表する学長の公の場における発言についてはなおさらです。我々大学の教員が直面する現実は我々自身の力ではどうにもならないかのごとく見えます。しかし、そのような時であるからこそ、大学としての原点、大原則に立ち返って行動すべきと考えます。学長の自己反省を望みます。