04/3/28任期制・年俸制シンポジウム』の報告から

 

総合理学研究科 佐藤真彦

 

 

『任期制・年俸制シンポジウム報告集04-3-28』

 http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328houkoku.htm 参照

 

 

 

【抜粋】

・・・このように,大学にとっても市民にとっても,百害あって一利もない“改革”であることが明白であるにもかかわらず,横浜市や東京都が「任期制・年俸制」をはじめとする諸制度を,執拗かつ強引に導入しようとしている“背景と真のねらい”は何だろうか?中田市長や石原知事の個性によるところも大きいと思われるが,つまり,彼らの“パフォーマンス好き”や“大学人・大学界”に対する強い反感等もあると思われるが,おそらく,縮小統合に伴う人員削減と人件費抑制,および,人事と予算に関連した権限の完全掌握による官僚統制強化であり,首長およびその官僚たちの思い通りに大学を管理することを狙っていることは確かだろう.これでは,彼らが主張する“大学間競争に勝ち残る”どころか,横浜市大や都立大ですでに始まっている“教員の大量逃散”や“優秀教員の募集難”で“大学間競争に敗北する”ことは必至である.

そうなっても,つまり,伝統ある横浜市大や都立大がボロボロになっても,とにかく,“大胆な改革で生まれ変わる”(中田市長,『改学宣言03-5-7』 http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigakukaikaku/daigaku/daigaku_kaikaku/dk02.html ),あるいは,“いままでにないまったく新しい大学を実現する”(石原知事,『都知事選の公約,2003年3月』)ことができれば,そして,大学に対する徹底した官僚統制に成功すれば,彼ら政治家および官僚たちにとっては,“パフォーマンスとして成功”であり“出世のための業績”や“天下り先の確保”になる(と同時に,おそらく,“溜飲が下がる”)ので,一向に構わないということなのだろう.しかも,今回の“大学改革”が誤りであったことが覆い隠しようもなく“実証される”のは,おそらく,5〜10年以上先のことであり,その頃には,彼らのほとんどは異動その他により大学とは縁がなくなっているはずだから,責任を追及される心配もない.

 

 

・・・・・・・・・・

 

呼びかけ人の一人である久保新一氏(関東学院大学)が,『講演とシンポジウムのまとめ04-3-28』(http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328matome.htm )を提出して,本シンポジウムを簡潔に総括した(2004.4.6).ここでは,それぞれの報告の要点を抜粋した後,各報告者の貴重な実体験から浮き彫りになった,横浜市および東京都が導入をはかっている「任期制・年俸制」の“背景と真のねらい”について,推定をまじえて(再)確認しておくことにする.

 

(1)阿部泰隆氏(神戸大学):『大学教員任期制法の濫用から学問の自由を守るための法解釈、法政策論―京都大学井上事件をふまえて』+『追記』 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328abe.htm  

『平成の井上事件』(『黒い巨塔事件』)での弁護活動の経験から,以下の主旨の報告を行った.すなわち,“任期制は多数派による少数派弾圧手段となりやすく,同じ大学で,競争講座をおいて,あえて学説の対立を現出することによって,学問の進展を図ることなど,およそ夢のまた夢になる.これでは,教員の学問の自由が侵害され,大学が沈滞することは必然であるから,任期制は導入すべきでない.”

 

(2)永井隆雄氏(AGP行動科学分析研究所):『成果主義賃金が大学教員に与える影響』 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328nagai.htm  

経営コンサルタントとしての実務経験から,以下の主旨の報告を行った.すなわち,達成できない目標を意図的に設定し,目標を達成できなかったことを確認させて人件費の削減を図る,“日本型年俸制・目標管理制・成果主義”の導入は“最も危険な人事改革”であって,このような,“できなかったことを確認する取り組みがモチベーションを向上させることはなく,日本型目標管理制度がことごとく失敗してきたことは多くの企業事例から虚心坦懐に学ぶべきことである.”

 

(3)福井直樹氏(上智大学):『アメリカの大学における「任期制」と「年俸制」』 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328fukui.htm

アメリカの大学において実際に人事を行う立場にあった経験から,以下の主旨の報告を行った.すなわち,“一般に思われていることとは全く逆に,・・・「年俸制」も「任期制」も・・・アメリカの大学,とくに,いわゆる「研究中心大学」(リサーチ・ユニヴァーシティ)ではほとんど採用されていない.”優れた研究者を集めるために広く定着しているテニュア制(終身雇用制)は,“学問の自由を守るための絶対的な権利”であり,研究・教育の成果をどのようにして評価するかの問題は,“大学の中で厳しい審査をしてなんとか対処する,外からの介入は許さないという原理を,アメリカの大学は非常な努力をもって守っている.”また,“不当と思われる評価を受けた時”のために,何重もの“バックアップ態勢を設けて,学内で処理していく,知識人のコミュニティーの中で処理していくというのが,アメリカの大学の基本的姿勢であって,そこに役人であるとか産業界の意向であるとかが介入する余地はない.”

また,“アメリカの大学はこうだという風に,日本の大学改革の文脈でいろいろと言われている事柄のほとんどは,無知か誤解か,あるいは意図的な曲解か,そういうものに基づいている.要するに,結論が決まっていて・・・,そちらの方に話を持っていきたいがゆえに,アメリカでは云々と言うと,まあ,通りがいいから,それで持って来るというケースが非常に多いわけで,そういう物言いには騙されないようにしなくてはいけない.”

 

(4)田代伸一氏(東京都立科学技術大学):『公立大学法人「首都大学東京」における人事給与制度について(レジュメ)』 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328tashiro.htm  

「首都大学東京」は,都民の知的財産としての大学から,都の重点政策等に役立てるための大学へ変えることが目的であり,そこで導入されようとしているきわめて危険な人事・給与制度について報告した.とくに,「人事委員会」および「研究費評価・配分委員会」を“事務局長が主宰する”という“前代未聞の組織形態”の危険性について訴えた(シンポジウム当日配布資料 http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328toritsu-shiryou.pdf 参照).

 

(5)松井道昭氏(横浜市立大学):『横浜市立大学の改革をめぐる諸問題』

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328matsui.htm  

 “一昨年来今にいたるまで横浜市立大学で生起した出来事を、55年に及ぶ大学の歴史の中に位置づけることから考察を始め”・・・“改革の動機”について推察をめぐらせた.

“・・・こうしたなかで独立行政法人化の波が本学にも押し寄せる。・・・転機となったのは2年前の4月、中田市長が登場したことである。市長は当選まもない5月、市政方針演説のなかで、市民病院、大学、学校給食、保育所などの抜本的改革を打ち出し、民営化を仄めかした。この指針表明はただちに大学改革に跳ね返った。すなわち、市大事務局池田輝政総務部長のもと、一昨年の夏(8月)に今までの検討案をすべて凍結し方針転換することが打ち出された。それから物事はアレヨアレヨという間に急展開していく。”

 “・・・大学の自治的機能=人事権の剥奪。大学の生命線は自治にあり、自治の根幹は教育・研究に携る当事者による人事にあるが、これが保証されない以上、「大学」ではなくなり、各種学校か予備校にすぎない。したがって、今、進行中の出来事は大学改革への暗中模索ではなく、大学の解体への道にほかならない。”

 “・・・[改革の動機]・・・ルサンティマン(怨恨)説。ことばに出していいにくいことだが、市大改革案の策定に関係した者は何かしら現市大を快く思っていないグループから成る考え方がこれである。これにははっきりした根拠があるわけでもない。しかし、・・・単なる被害妄想として片付けられない面もある。”

 

(補足) 上記の「松井報告」でも名指しされているが,市大事務局官僚の中に“何かしら現市大を快く思っていないグループ”がいることは確かである(http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page036.html 参照).このほか,中田市長の著書『なせば成る―偏差値38からの挑戦』(講談社,2003年11月)の中で,“・・・テレビのニュースのインタビューに答えていたどこかの国立大学の学長は,とうとうと学校教育の現状を「ああでもない,こうでもない」といろいろ話している.僕はその話を聞いていて,生まれて初めて社会に対して「ピーン」ときた.「ヤバイ!こいつらに俺らの教育を考えさせたらダメだ!」・・・落ちこぼれたことのない人に,落ちこぼれの気持ちがわかるはずがない.「国立大学の学長ということは,幼いころから学校の成績はつねにトップの数パーセントに入っていただろう.あまり反抗せず,ましてや『なんで勉強するんだろう?』などという疑問も持たず,ただただ受験で勝ち進んできたのだろう・・・」「そんな人たちに,俺たちの気持ちがわかるはずがない」と強く感じた.(同上書,p.45-47)”とあるように,中田市長のスタンスがいわゆる“大学人や大学界”に対する強い反感をあらわにした“反知性主義”であることは明らかであろう.この点において,石原知事とも共通していると思われる.実際,『東京新聞2004年2月16日付』(http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040216tokyo.htm )の記事中でも,“大衆受けするパフォーマンス的政策を打ち出す点で両者は似ている。反権威主義で、エリートや学歴に対して強い反発を持っている。両者とも自己を礼賛する者しか評価しないポピュリズムの権化で、不採算部門の学問・芸術の存在が邪魔になる。その延長線上に大学改革がある。”と指摘されている.

 

(6)平野信之(農業技術研究機構 中央農業総合研究センター):『つくばの国立研における独法化以降の問題点』

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328hirano.htm

 3年前に独法化された国立研究所においても,独法化に伴う歪みが問題となっているようであるが,横浜市大や都立大が導入しようとしている「任期制・年俸制」等の諸制度の実態を目の当たりにして,あまりのひどさに驚くと同時に,その危険性を自分たちの職場に伝えたいとの感想を述べた.

 “・・・独立行政法人となったが、より強く国(行政)に支配される傾向(何処が独立か!?)が見られる。それは、今までのように組織で縛るものではなく、研究費や給与(処遇)を飴と鞭とした、いわば研究者の自縛による支配システムになっているといえる。そうした中で、本来果たすべき国民のための科学・技術の発展・開発はそっちのけに、短期的対応に終始し、中長期的な取り組みが排除される傾向がどおしても否め(な)くなっている。

 また、業績主義の急速な「普及」により、職場の人間関係に歪みが生じている。その延長線上に、上司のパワハラやメンタルヘルス等の派生が問題となっている。”

 

 

・・・・・・・・・・

 

以上の実体験に基づく貴重な証言から,つぎのことを(再)確認することができる.すなわち,「新横浜市立大学」および「首都大学東京」等が導入しようとしている「任期制・年俸制」は,その“モデル”にしたとされるアメリカの大学,とくに,いわゆる“研究中心大学”(リサーチ・ユニヴァーシティ)では,ほとんど採用されておらず,横浜市や東京都等の主張は,“無知,誤解あるいは意図的な曲解”に基づくものであるから騙されてはいけない(福井証言).

しかも,“日本型年俸制・日本型目標管理制”の導入はモチベーションを向上させることはなく,実際の企業事例でもことごとく失敗している“最も危険な人事改革”である(永井証言).

さらに,任期制は多数派による少数派弾圧の手段となりやすく,学問の進展を阻み,学問の自由を侵すので,大学が沈滞するのは必然であるから,導入すべきでない(阿部証言).

 

なお,東京都の構想では,“アメリカの大学のテニュア制を参照”して“大学の教育研究・運営の中核的役割を担う教員”に対してのみ,“65歳定年制を適用”する“「主任教授」制”なるものを設けるという.これなどは,アメリカの大学のテニュア制とはまったく異なる制度を“テニュア制”と“詐称”する典型例であろう(同上資料 http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328toritsu-shiryou.pdf 参照).横浜市も,“カリキュラムの管理責任”を負う“主任教授”に対しては任期制から除外するという,同様の構想を明らかにしている(『あり方懇答申03-2-27』 http://www.yokohama-cu.ac.jp/arikata/toushin.pdf 参照).

 

このように,大学にとっても市民にとっても,百害あって一利もない“改革”であることが明白であるにもかかわらず,横浜市や東京都が「任期制・年俸制」をはじめとする諸制度を,執拗かつ強引に導入しようとしている“背景と真のねらい”は何だろうか?中田市長や石原知事の個性によるところも大きいと思われるが,つまり,彼らの“パフォーマンス好き”や“大学人・大学界”に対する強い反感等もあると思われるが,おそらく,縮小統合に伴う人員削減と人件費抑制,および,人事と予算に関連した権限の完全掌握による官僚統制強化であり,首長およびその官僚たちの思い通りに大学を管理することを狙っていることは確かだろう.これでは,彼らが主張する“大学間競争に勝ち残る”どころか,横浜市大や都立大ですでに始まっている“教員の大量逃散”や“優秀教員の募集難”で“大学間競争に敗北する”ことは必至である.

そうなっても,つまり,伝統ある横浜市大や都立大がボロボロになっても,とにかく,“大胆な改革で生まれ変わる”(中田市長,『改学宣言03-5-7』 http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigakukaikaku/daigaku/daigaku_kaikaku/dk02.html ),あるいは,“いままでにないまったく新しい大学を実現する”(石原知事,『都知事選の公約,2003年3月』)ことができれば,そして,大学に対する徹底した官僚統制に成功すれば,彼ら政治家および官僚たちにとっては,“パフォーマンスとして成功”であり“出世のための業績”や“天下り先の確保”になる(と同時に,おそらく,“溜飲が下がる”)ので,一向に構わないということなのだろう.しかも,今回の“大学改革”が誤りであったことが覆い隠しようもなく“実証される”のは,おそらく,5〜10年以上先のことであり,その頃には,彼らのほとんどは異動その他により大学とは縁がなくなっているはずだから,責任を追及される心配もない.