04/05/07横浜市の大学改革推進本部が,『大学改革推進体制』を記者発表
先日(2004.5.7),横浜市の大学改革推進本部が,『大学改革推進体制』なるものを記者発表した[1].例によって,“密室で決定・いきなり公表・トップダウン”方式[2]による,(1)『定款』(案の概要,2004.2.12)[3]および(2)『コース・カリキュラム案等報告書』(2004.3.25)[4]の記者発表に引き続く,“大学改革”(という名の“大学破壊”)のための具体策第3弾である.
今回の記者発表資料[5]から,行政の意のままに大学を管理・統制しようとする横浜市のねらいが,一目瞭然に見てとれる.実際,《・・・庁内の関係課長からなるプロジェクトや教職員で構成する学内プロジェクトを設置し、新たな大学の諸制度や組織及び、人事制度などを検討し案を取りまとめ、・・・「大学改革推進本部 有識者委員会」からの専門的な意見を踏まえ、最終的に大学改革推進本部で決定します。》と明言している.
いうまでもなく,この『大学改革推進体制』は,大学の生命である「学問の自由と大学の自治」を保障する,憲法23条・教育基本法10条をはじめとした現行の法体系に明らかに抵触する違法なものであるが,孫福弘CEO(最高経営責任者・理事長予定者)は,《独立行政法人化後の横浜市大は“移行”ではなく“新大学の設置”であるから,(上記の諸事項は)現行の教授会・評議会の審議事項ではない》という,東京都の大学管理本部が“首都大学東京”への移行に際して開陳した“まやかし説明”[6]と同様の見解を先月の評議会(2004.4.21)において表明し,小川恵一学長もこれに追従したという.どうやら小川学長は,昨年12月の『学長との“対話”集会』(2003.12.4)[7]において,《・・・したがって、私は、学問の自由と大学の自治は、絶対重要ですし、もしそれを侵すようなことがあれば、私は身を挺してですね、それを阻止したい。いま、○○さん、笑ってますが、私、○○さん以上にそういうこと思ってますから、あのー,真剣です、私は。・・・》と大見得をきったことをすっかり忘れているらしい.
また,前日(2004.5.6)に急遽開催された総合理学研究科長主催の“説明会”においても,出席した孫福CEO,岡村一大学改革推進担当部長,および,小川学長に対して,一般教員から“怒りの疑問”(とくに,数理科学科が“完全消滅”させられたことに対する“怒りの疑問”)がぶつけられたが,予想されたこととはいえ納得のいく回答はなかった.
ちなみに,当局側の回答は,(1)《数学を否定しているわけではないが,横浜市大においては,“専門としての数学=抽象数学=純粋数学=数学の専門家を育てるための数学”は必要ない(ので,数理科学科を廃止することにした.》(岡村部長),あるいは,(2)《わたし自身の世界観・価値観・学問観では,自然科学系における数学は人文科学系における哲学のようなものであると理解している.すべての大学に哲学部や哲学科があるわけではないが,哲学の教員がいて哲学的なものの考え方・世界観を学生に教えている.自然科学系においては,数学にそのような役割を期待したい.したがって,横浜市大に数理科学科を残す必要はない.素人の非常に勝手な学問観かも知れませんが,わたし自身はそのように思っている.》(孫福CEO)という主旨のものであった.このような《素人の非常に勝手な学問観》によって,数学教室が長年にわたって築きあげてきた成果と伝統を無に帰して良いはずがない[8].
なお,小川学長は,《数学は,非常に重要な学問だと思います.しかしながら,こういう(数理科学科を廃止するという)案をわれわれが作ったわけで,したがって,数学の先生方にむしろお願いしたいのは,なにもこれで決まったわけではなくて,また結果を見て修正していくというお話もありますので,数学の先生方,是非こういう形であるべきだというようなことを,辛抱強く,ご提案いただきたいというふうに思います.数学の学問自身がバラバラになっていいかどうかということについては,わたし自身は疑問を持っておりますが,一応,こういう(数理科学科を廃止するという)形でまとまりましたから,これに対して次のステップを,是非,提案いただきたいと思います.》という主旨のことを述べた.小川学長のこの回答は,内容のひどさに加えて,数学教員に対するこれまでの“たび重なる背信行為”[9]のせいで,まったく説得力を欠いたものであった.
“一人一問に制限”された質疑は,“主催者権限”により中途半端なかたちで打ち切られてしまったが,孫福CEOらは,主催者ら数人からのまばらな拍手に送られて退席した.
今後,少なからぬ数の教員が『大学改革推進体制』へ取り込まれていくことが予想されるが,このように行政主導で“推進”される“官僚統制大学化”[10]とこれに嫌気がさした教員の“大量流出・大量逃散”への流れが一気に加速するものと思われる.実際,教員数が激減している商学部では,さらに2名の教員の割愛および依願退職が,先日(2004.5.6)の商学部教授会において承認された.現時点ですでに,商学部の定員51名中15〜16名に及ぶ大幅欠員が確定しているという[11].今後,当局側が画策している“全教員任期制”・“年俸制”[12]・“研究費ゼロ”,あるいは,(恣意的な運用が懸念される)“人事制度および教員評価制度”[13]のための具体策が明らかになれば,独立行政法人化後の横浜市大が,さらに,“優秀教員の募集難”に直面するのは必至である.
なお,(1)『「定款」の議決にいたる関連文書の一覧』04-3-25 http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040325ichiran.htm ,および,
(2)『コース・カリキュラム案等報告書』の記者発表にいたる関連文書の一覧』04-3-29
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040329ichiran.htm
もあわせて参照されたい.
(1)横浜市大改革へ有識者委など設置=横浜市04-5-8
http://university.main.jp/blog/archives/000910.html
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040508katayama.htm
(2)『2004年5月8日付各紙報道』04-5-8
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040508houdou.htm
『東京新聞』2004年2月16日付 こちら特報部:『改革』に揺れる横浜市立大 学部統合
全教員の任期制 研究費ゼロ
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040216tokyo.htm
記者発表資料『大学改革推進体制』04-5-7
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040507kisha.pdf
(注:このpdfファイルは,記者発表前日(2004.5.6)の総合理学研究科“説明会”において配布されたコピーである.「大学公式ホームページ」上では,(2004.5.13の時点で)未だに公開されていないが,公開され次第追加することにする.)
『大学改革推進体制を構築!(記者発表)(5/14)』04-5-14
http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigaku/kisha/dk_kisha040507.pdf
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040514kisha.pdf
市大事務局は,記者発表の1週間後(2004.5.14)になってようやく,「大学公式ホームページ」上で上記の記者発表資料を公開した.前日(2004.5.13)に,理学部および国際文化学部の教授会が開催(商学部は2004.5.6に開催済み)されたことから,あたかも,(故意に公開を遅らせて)2学部教授会の開催(とその場での孫福CEOの“就任挨拶”等)を見届けてから公開したかのように見える.
なお,記者発表された資料は,総合理学研究科“説明会”(2004.5.6)において配布されたものと比較して,(1)看護学府コース長予定者に淺川明子氏(神奈川県看護協会会長)がすでに決定していたことが加わっている点,(2)各種委員会やプロジェクト部会の委員の多くもすでに決定しているらしい点,(3)学内向けの上意下達的言い回しを改めて,市民向けのソフトな表現となっている点などがあげられる.
教授会・評議会において当然行われるべき民主的な議論を排除しつつ突然の記者発表により(事情に詳しくない一般市民を世論操作して)既成事実化を謀るという,横浜市が多用してきたトップダウンの非民主的・欺瞞的手法である.
《東京都の大学管理本部が“首都大学東京”への移行に際して開陳した“まやかし説明”》について.
(1)『意見広告の会』news052:都立4大学の「廃止」をめぐる危機について03-10-29
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031029ikenkoukoku.htm
(2)『都立大の危機 --- やさしいFAQ』P-15
http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/~jok/kiki-p.html#kyougi-hanashiai
【抜粋】
《・・・総長が何と言おうと,評議会が何と言おうと,学生が何と言おうと,そして都民が何と言おうと,管理本部は,自分達で思ったように「首大」の設計をする。その根拠は,設置者権限(N-3)の拡大解釈だ。
N-3: http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/~jok/kiki-n.html#secchisha
「何をやっても許される,なぜなら,今構想しているのは,「新しい大学」だからだ」という論理だが,初めから「改組転換大学」なのを偽って「新しい大学」と主張するところからすべてがスタートしているのだ。どんな抗議をしても,設置者権限だと,トランプのジョーカーを出す。いや,ジョーカーは枚数が1枚で一回づつ使われるだけましだ。一度に何回でも使ってくるところは,水戸黄門の印篭(いんろう)を盗用して,使い方を知らない悪人のようなものだ。前から繰り返し言っているように,こんなことを続けていたら,現都立の4大学の教員や学生は,再び怒り心頭に発し何をするか分からない。管理本部は,そういった事態に対して,もう覚悟ができているのかな?・・・》
(1)『横浜市立大学理学部数理科学科廃止についての意見をお寄せください』04-5-7
http://suuri.sci.yokohama-cu.ac.jp/math/bosyu.html
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040507suri-boshu.htm
(2)『大学改革に対する数理科学教室の主張』04-4-9
http://suuri.sci.yokohama-cu.ac.jp/math/index.html
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040409suri-shuchou.htm
《小川学長の“たび重なる背信行為”》について.
『04/2/25数理科学科主任から学長への手紙2004/3/4up』
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040225suri.htm
【抜粋】
《・・・この『04/2/25学長への手紙』では,横浜市が,(大学院どころか)<学部>教育からも数理科学を消滅させるつもりでいることを知った教員(理学部数理科学科・主任教授)が,その余りの理不尽さを説き,横浜市に再考をうながすよう小川学長に訴えている.ところが,下記の参考資料『03/12/04学長との“対話”集会』では,(学部は勿論のこと)<大学院>教育からも数理科学を消滅させるようなことはしないと学長が確約している.学長は,自ら述べた言葉をよく思い出して,誠意ある対応をするべきであろう.
【参考資料 】
03/12/04 『学長との“対話”集会』の記録 http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031204taiwa.htm より抜粋
[○○(一般教員)]
小川先生と柴田先生に言っておきたいんですが、われわれは情報なんて全然与えられていませんよ。テレビとか新聞でしか知りません。ほとんどここの人は、だいたいそんなもんですよ。全然下の方に伝わってきていない。<大学院>では突如、数理情報が消されて、ナノ(注:ナノサイエンス)と環境生命の2つになった。数理情報はナノに含まれるというバカなことを書く人がいるわけです。それは、われわれは認めるわけにはいかない。<大学院>が、なぜこういう形になったのか。そこを説明していただきたい。
[小川学長]
あの、まったく○○先生のご指摘のとおりでして、非常に無理がそこにあるわけですね。これは私、何て言うんですか、これから、先程もご説明しましたように、これから後、見直しをしますので、その時には、いま○○先生がご指摘になったような、あるいは、もっと別の方法があるかもしれませんが、きちっと見直します。≪数理≫はですね、分かりにくいことのないように、必ずいたします。
[○○(一般教員)]
あ、それじゃあ、ぜひお願いします。
[小川学長]
はい。私、≪数学≫はたいへん重要な学問だと思っていますから。》
《行政主導で“推進”される“官僚統制大学化”》について.
横浜市の官僚の本音が,ストレートに表現されている下記(1)の発言(注:2002年以前の発言)を参照.その後の事態の推移を見れば,“独裁官僚”池田輝政氏(前総務部長・現泉区長)の願望が,中田宏市長の威を借りて,その発言どおりに実現しつつあることがよく分かる.
(1)『部外秘資料』が語る,横浜市立大学の"独裁官僚"と似非民主制03-1-28
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page036.html
【抜粋】
《・教員は商品だ.商品が運営に口だして,商品の一部を運営のために時間を割くことは果たして教員のため,大学のためになるのか.
・大学の中に厳しさがない.極端に言えば要らないカリキュラムの教員がなぜ必要なのか.
・教員はだれにも管理されていない.自己管理だから問題なのだ.国立は教員評価がはじまった.評価が一番低い教員はクビになることだってある.
・人事を誰が握るかですべてが決まる.私立の理事会のように,決めたものを拒否できるシステムを作るべきであろう.
・大学教員はパーマネントで,教員を管理している人が誰もいない.そういうものを作らない限り,よくやっている人が馬鹿を見ることにもなると思う.
・定員を増やせば偏差値が下がる.そうすると推薦が来ない.定員を増やすのではなく,教員を半分にすればいい.
・教授会がごちゃごちゃいわなければ,すんなり決まる.その辺をはっきりするということだ.
・教員は現実は違うのに自身をスーパーマンだと思っている.なんでも出来ると思っている.そこに事務が配転してくればやる気がなくなる.
・教員は横浜市に雇われているという意識がない.設置者がつくった制度を知らないで議論している.権限の構造がどうなっているかを教員は知らなければいけない.
・大学人の自由でありたいという願望があるわけだが,そのことと教員ひとりひとりがどういうふうに今の制度を認識しているかということの差の現れだと思う.市大の教員になった時に,公立大学であるということ,だからこういうルールがあるのだということを知らしめないといけない.》
(2)『横浜市立大学問題を考える大学人の会:「横浜市立大学の新たな大学像について」に関する大学人の声明−「官僚統制大学」化をおそれる−』03-11-25
http://www.ac-net.org/doc/03/1125-daigakujin-seimei.php
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031125daigakujin-seimei.htm
【抜粋】
《アメリカ合衆国をはじめ多くの国では、「学問や科学が政府や行政の直接的な統制を受けず自由に発展することが、最も国民に貢献する道である」ということが、広く政府や国民によって理解されてきた。学問や科学の中心をなす機関である大学においては、研究・教育の内容に関して、大学人の自主的な決定にゆだねる「大学の自治」が、そのための制度として確立してきたことは周知のとおりである。
大学自治の中心は、大学教員の人事である。その中核の一つは、教員集団が自身の専門性に基づき、教員候補者の学問・教育の水準を判定し、その判定に基づき教員の人事選考を行なうこと、つまり教員集団が教員人事を実質的に決定することである。・・・》
《当局側が画策している“全教員任期制”・“年俸制”》について.
(1)04/03/28「大学人の会」≪任期制・年俸制シンポジウム≫『報告集』
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328houkoku.htm
(2)教員組合週報:《任期制・年俸制問題を考える》第1回『「普通に仕事していれば任期は更新される」という説明は本当か?』ほか04-4-26
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040426weekly.pdf
【抜粋】
《小川恵一学長も朝日新聞紙上でそういう趣旨の発言をしていますが,雇用関係のあり方に則してみるとき,この説明はまちがいです。きちんと評価されさえすれば任期がついていても現在と変わらないと考えていませんか?そう思いこむのは甘い判断です。・・・つまり,任期制とは,解雇という手段を用いなくても,したがって厳しい制約をくぐり抜ける必要もなく,使用者が労働者をやめさせることのできる制度です。・・・雇用形態としての任期制のこの本質は,どれだけ歯止めの条件を積み上げても,決してなくなることはありません。この点を歪めた,「真面目にやっていれば大丈夫」という類の発言は,主観的にどういう意向をもっているかにかかわらず,甘言を弄しているというべきです。問題はあくまでも,就業期間が定められた雇用契約だという,制度としての任期制の性格にあるからです。》
(3)『04/3/28任期制・年俸制シンポジウム』の報告から04-4-8
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040408houkokukara.htm
【抜粋】
《・・・以上の実体験に基づく貴重な証言から,つぎのことを(再)確認することができる.すなわち,「新横浜市立大学」および「首都大学東京」等が導入しようとしている「任期制・年俸制」は,その“モデル”にしたとされるアメリカの大学,とくに,いわゆる“研究中心大学”(リサーチ・ユニヴァーシティ)では,ほとんど採用されておらず,横浜市や東京都等の主張は,“無知,誤解あるいは意図的な曲解”に基づくものであるから騙されてはいけない(福井証言).
しかも,“日本型年俸制・日本型目標管理制”の導入はモチベーションを向上させることはなく,実際の企業事例でもことごとく失敗している“最も危険な人事改革”である(永井証言).
さらに,任期制は多数派による少数派弾圧の手段となりやすく,学問の進展を阻み,学問の自由を侵すので,大学が沈滞するのは必然であるから,導入すべきでない(阿部証言).・・・》
《(恣意的な運用が懸念される)“人事制度および教員評価制度”》について.
(1)(a)《公正性・透明性・客観性》の美名とレトリック(『市立大学改革案に対する設置者の基本的な考え方』03-12-1)で粉飾することに加えて,(b)《大学あるいは組織の目標に沿って、「大学から求められた役割をきちんと果たしているか」の視点が重要》であるとする(どうにでも解釈可能な,つまり,行政による恣意的解釈が可能な)《評価の視点》(『新たな大学像』03-10-29)に基づいて,当局側が強引に導入を謀っている非専門家(素人)をまじえた人事制度・教員評価制度のこと.ピアレビュー(専門家集団による,専門的見地からの評価)という世界標準の評価制度に無知,もしくは,これを意図的に無視している.《素人の非常に勝手な学問観》(注:孫福CEOの言)によって数理科学科が消滅させられたのと同様の弊害,すなわち,(横浜市の官僚等の)非専門家による恣意的な運用に陥る恐れが強い.
(2)『福井直樹(上智大学):アメリカの大学における「任期制」と「年棒制」』04-3-28
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328fukui.htm
【抜粋】
《・・・このテニュア制度(注:終身雇用制度)というのは、絶対的な権利、要するに、アカデミック・フリーダムを守るための絶対的な身分保障なわけです。学問の自由を守るための絶対的な権利・・・。このように、何重にも、いわばバックアップ態勢を設けて、学内で処理していく、知識人のコミュニティーの中で処理していくというのがアメリカの大学の基本的姿勢であって、そこに役人であるとか産業界の意向であるとかが介入する余地はないのです。そして、社会に対しては常に緊張関係を保ちながら、大学の存在意義を社会にアピールしていくというダイナミズムが、おそらく、アメリカの大学がいちばん成功した例であると多くの国で思われている重要な側面なのであって、決して市場原理主義的なものが、アメリカの学問が進歩してきた理由ではないのではないかというのが、内部から見てきた者の率直な意見です。・・・》