『就任承諾書を出さなかったわけ』

 

・・・しかし、いま、私の愛した市大はなくなった。

大学なんかどうなってもかまわないような政治屋や事務屋によって破壊された。

彼らは自分がなにをしたのかを決して理解することはできないだろう。・・・

 

伊豆利彦のホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/index.htm

新掲示板2 http://www1.ezbbs.net/27/tiznif/ より

 

 

 

 

475.就任承諾書を出さなかったわけ

返信  引用 

名前:伊豆利彦    日付:7月9日(金) 0時9分

首大非就任者の会
http://www.kubidai.com/modules/xfsection/index.php?PHPSESSID=35aa4798ec4c4d26f8879f3872060768

都立大の教員で新大学に就任を拒否した方の非就任理由書である。
首大がどんな情況にあるかを知る上で重要な文書だと思う。

横浜市大も同様だと思う。
こうして、日本から民主主義を守る大学が消滅させられていく。
しかも、これは広い国民的な運動に発展することもなかった。
マスメディアの問題について考える。
そうして思うのだ。
民主主義の破壊、大学の破壊は、この国の未来の破壊だと。
そのことを、後の世に、私は伝えたい。

いまは、それを言っても、大学人の繰り言だとしか思われないだろう。
それが、いまの日本だ。
失ったものの意味は、後になってしかわからないのだ。

私は絶望しているのではない。
認識しているのだ。
そして、すべては、この事実の認識の上にしかはじまらない。

私は嘆きはしない。
私はそのような認識の上にたたかおうと思うのだ。
http://www.kubidai.com/modules/xfsection/index.php?PHPSESSID=35aa4798ec4c4d26f8879f3872060768


 

476.Re: 就任承諾書を出さなかったわけ

名前:伊豆利彦    日付:7月9日(金) 0時39分

私は定年退職から10年以上も過ぎた老人だ。
私は横浜市大に39年在職した。
無能だから、他に転じることができなかったのだと思う人もあるだろう。
しかし、私は他に転じようとはこれっぽちも思ったことがなかった。
私の親しい同僚の多くも同様だった。
市大を愛していたというのであろうか。
私の生涯も、私の学問も、すべて、市大で養われたのだった。

私は私の同僚たち、私の教えた学生たちの一人一人を、はっきりと思い出すことができる。

大学紛争と呼ばれた事件もあった。
何度かの整理縮小要求とたたかったこともあった。
私たちは同時代を生きる知識人としての結びつきを感じていたと思う。

しかし、いま、私の愛した市大はなくなった。
大学なんかどうなってもかまわないような政治屋や事務屋によって破壊された。
彼らは自分がなにをしたのかを決して理解することはできないだろう。

いま、私が市大に在職していたらどうしただろうか。

いま、首大就任を拒否して去られる方、市大を退職される方、それぞれにそれぞれの思いがおありだろう。

ただ、私は都立大と市大の終焉がときを同じくして、戦後憲法を否定し、日本が戦争に踏み込もうとしているいま起こったことを改めて思い、そこに戦後民主主義の終焉を見るのだ。

戦後民主主義の終焉は、新しい時代のはじまりだろう。
いまはじまるのはどういう時代か。
好むと好まざるとにかかわらず、私たちはこの時代を生きなければならない。

かつて、私はあの戦争の時代をほとんど何も知らずに夢中で過ごしたように思う。
戦後の時代も同様だ。
しかし、今度は、もうほんとうに残り少ないが、歴史的ないまの時代の刻々を、しっかりと見つめ、認識して生きようとおもう。
http://www.kubidai.com/modules/xfsection/index.php?PHPSESSID=35aa4798ec4c4d26f8879f3872060768


 

477.Re: 就任承諾書を出さなかったわけ

名前:伊豆利彦    日付:7月9日(金) 1時2分

お二人の書かれた文書を読んでいると胸が熱くなる。
そして、戦後民主主義は、敗戦によって得られたもんだっただけに、真に徹底したものではなかったという思いを新たにした。
それは形ばかりの虚妄の民主主義だったのだろう。
それゆえ、こうして壊れなければならなかったのだろう。
そして、いま、私たちは新しい、苦難の時代を迎える。
しかし、やがてふたたび、今度は私たち自身の手で、多大の犠牲を払って、それを実現するのであろう。
その時、私たちの敗北は大事な経験としてよみがえるのだろう。
お二人の文書を読んでいると、お二人がこのたたかいを通じて新しいものをつかんでおられることがわかる。
新大学に就任される方も、おそらく、新しい経験を通じて、新しい成長を遂げられるのだろう。
考えてみれば、私などは、戦中戦後を夢中で生きて来た。
それは、いまの光で照らしてはじめてその意味がわかるようなものだ。
しかし、これからの方は、そんな酔生夢死というようなわけにはいかないのだろう。
私はその若い方がたのこれからに期待するばかりだ。
友よ、ゆけ。運命をおそれるな。運命を逃れようとするな。
http://www.kubidai.com/modules/xfsection/index.php?PHPSESSID=35aa4798ec4c4d26f8879f3872060768