「米長君、君に教育委員は務まらない」

(澤藤統一郎の事務局長日記2004年10月31付)

 

「意見広告の会」ニュース(2004.11.1)より

 

 

日本民主法律家協会HP「澤藤統一郎の事務局長日記」参照
   http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html


20041031日(日)
米長君、君に教育委員は務まらない  

米長邦雄君、君は教育委員にふさわしくない。潔く辞任したまえ。

君は、棋士として名をなしたそうだ。産経新聞社主催の棋聖戦では不思議と強くて「永
世棋聖」を名乗っていると聞く。僕も将棋は好きだがまったくのヘボ。永世棋聖がどの
くらいのものだか、君がどのくらい強いのか理解はできない。

しかし、これだけは僕にも分かる。君は盤外のことはよく分からないのだ。そして盤外
では、自分の指し手に相手がどう対応するのか、まったく読めない。将棋ができること
がエライわけではなく、将棋しかできないことが愚かでもない。問題は、盤外での君が
、愚かを通り越してルール違反をしたこと。禁じ手を指したのだ。即負けなのだよ。教
育委員が務まるわけがない。

本来、教育委員というのは、重い任務なのだよ。日本の将来の少なくとも一部に責任を
持たねばならない。将棋を指すこととは、根本的に異なる。それなりの見識がなければ
ならない。床屋談義のレベルで務まるものではないのだ。不見識を露呈した君は、その
任務に堪え得ない。だから、一日も早く辞めたまえ。それが、若者の将来のためでもあ
り、君自身のためでもある。

君は園遊会で、天皇に次のように話しかけた。
「日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」
このことは、複数のマスコミ報道が一致している。ところが君のホームページを見ると
、国旗国歌問題については何の会話もなかった如くだ。この姿勢はフェアではなかろう
。君のやり方は姑息だ。ちっともさわやかではない。

君が天皇へ話しかけた言葉に不見識が露呈されている。君の頭の中がよくみえる。君は
、子どもたちの無限の可能性を引き出す教育という崇高な営みについて何も考えてはい
ない。教育について何も分かってはいない。国旗・国歌問題だけが「私の仕事」と信じ
こんでいるのだ。しかも、天皇からさえ批判された「強制」が君のこれまでの仕事なの
だ。

君は棋聖なのだから、自分が一手を指すまえに相手の二手目の応手を読むだろう。それ
なくしては一手を指せない。きみは、天皇に話しかけるに際して、相手の反応をどう読
んだのか。いったい天皇のどんな返答を期待したのだろうか。願わくは「しっかりやっ
てくださいね」という激励、少なくとも「そうですか。ご苦労様」という消極的同意を
期待したものと判断せざるを得ない。でなくては、棋士米長にあるまじき無意味な発語
。君がどんなに否定してもそのような状況でのそのような意味を持つ発言なのだ。

これは、天皇の政治的利用以外の何ものでもない。君も知ってのとおり、日本には最高
規範として日本国憲法というものがある。憲法では天皇の存在は認められているが、厳
格に政治的な権能は制約されている。そもそも、天皇の存在自体が憲法の本筋として定
められている国民主権原理に矛盾しかねない。政治的にまったく無権限・無色というこ
とでかろうじて憲法に位置を占めているのが、天皇という存在なのだ。だから、天皇の
政治的利用は、誰の立場からもタブーなのだ。君は、そのタブーをおかしたのだよ。不
見識を通り越して、ルール違反・禁じ手だという所以だ。

天皇が、君の問いかけに対して、こう答えたと報じられている。
「やはり強制になるということでないことが望ましいですね」
君と一心同体の産経だけが、、「望ましい」でなく、「好ましい」としているそうだが
、どちらでも大差はない。

これは、天皇としてあるまじき政治的発言ではないか。誰が考えても、学校教育の現場
での国旗国歌のあり方が政治的テーマでないはずがない。しかも今、強制の波は現実の
課題として押し寄せ、大量処分と訴訟にまで発展している。政治的に大きく割れた意見
のその一方の肩をもつ発言を天皇がしたのだ。由々しき事態である。この問題発言を引
き出したのは、米長君、君だ。君自身が責任をとらねばならない。

もっとも、君もさぞかし驚いただろう。天皇は、君がやっている「日の丸・君が代」強
制の事実を知っていたのだ。しかも、それに批判的な見解をもっていた。都教委が現場
の教師に起立・斉唱を強制し、これを拒否した教員を大量処分した事実に関心を持ちよ
く新聞も読んでいたのだろう。即座に、強制反対を口にしたのは、予てからこの事態を
苦々しく見ていたからに違いない。皮肉なことだが、君とその仲間がやっていたことは
、天皇のお気に召すことではなかったのだ。

この天皇の発言に対する、君の三手目の指し手が次のとおりだ。
「ああ、もう、もちろんそうです」「ほんとにもう、すばらしいお言葉をいただきまし
てありがとうございました」
これをどう理解すればよいのだろう。君は多分天皇崇拝主義者なのだろうね。だから、
天皇に反論したりはせず、滑稽なほど迎合した発言になってしまったのだろう。それは
ともかく、君は、「強制でないことが望ましい」に対して、「もちろんそう。すばらし
いお言葉ありがとう」と言ったのだよ。天皇の前でのこの言葉を、まさか、撤回という
ことはあるまいね。今後は「すばらしいお言葉」を無視して、「日の丸・君が代」の強
制を続けることなどできはすまい。

実は、君の一手目がルール違反で敗着。指し継いでも、相手の二手目が絶妙手で君の負
け。三手目は詰んだあとの無駄な指し手。

もう君には、教育委員の重責は務まらない。やることがあるとすれば、君の言のとおり
強制を望ましくないとして、処分を撤回すること。それができないのなら、すぐに辞め
たまえ。君の流儀は「さわやか流」というそうではないか。この際さわやかに潔く辞め
ることが、君の名誉をいささかなりとも救うせめてもの「形作り」なのだから。