二十歳のころ 米長邦雄にきく

 

立花隆ゼミ『調べて書く、発信する』インタビュー集

二十歳のころ http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/

http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/yonenaga.html より

 

米長邦雄にきく

岸本渉  *齊藤淳  中村義哉  藤井由紀子


米長邦雄(よねなが・くにお)
 棋士。将棋九段・永世棋聖。一九四三年六月十日山梨県生まれ。五六年に佐瀬勇二名誉九段に入門。五九年初段、六三年四段、七一年八段、七九年九段。七三年に棋聖戦で初タイトルを獲得。八四年には王位を除く四冠を達成。八五年永世棋聖の称号を得る。九三年名人位獲得。著書に「人生一手の違い」「人間における勝負の研究」「運を育てる」「泥沼流人生相談(絶版)」などがあるように、独特の人生評論でも著名。


 米長さんは事務所の庭に本を敷き詰め、そこに立っていた。インタビューの当日、何と庭で古本市を開いていたのだ。
 読み終えた本はこうして毎年古本市を開いて売ってしまい、また新しく本を買うそうだ。外から取り入れたものはどんどん捨てる。それが大事だ、と米長さんは言う。

 二十歳というのは、ちょうど、大学をやめよう、と決断した時ですね。中央大学の経済学部に入ってすぐだったんだけども、時間が無駄になる、と思ったんです。この時には、もうすでに将棋で生きる、ということを決めていました。だから、二十歳というのは、大学に見切りをつけ、将棋の専門家になろう、そう決めた時です。これは、誰にも相談せずに自分で決めました。
 僕は、偏りということを恐れていたんです。小学校を終えて中学から将棋という道に入るということが特殊だということはわかっていました。将棋の世界っていうのは、真剣な時間を長く過ごすから偏る。偏るということは、常識的でない自分が生ずる。常識というものを知るためにも、同じ年頃の連中と付き合う場である学校が必要だったんですね。ただ、大学になると、みんなある程度専門に入るのだから、私は将棋という専門の道を行こう、と決めました。
 大学と違って、将棋は四年で卒業とかいうものではないですから、家族は心配だったでしょう。実際兄貴は、成績はそこそこいいのだから大学に行ったらどうだ、と言いました。将棋の世界で僕がものになるかどうか、まったく保証がない。しかし中学一年の時から、自分は将棋の道を信じて進んでいる。親としては、そんな僕を信じて祈るしかない。

 二十歳というのは、母親の影響力がなくなる歳なんです。人間二十歳までは九十五%母親の善し悪しで決まります。
 僕の場合は十二歳で弟子入りしましたから、もうその時からすでに親離れしているわけです。親父は十六歳で亡くしてます。親子は離れた存在、独立した存在なんです。親の影響力はありません。それでも、母親が人間の九十五%を決めます。
 うちは貧乏でね。没落地主ってやつで、言ってみれば社長が無一文になるようなものです。無一文になって、一家心中しようかということも経験しています。そんな中で、力強く生きる、ということは親から学びました。努力すれば何とかなるということで、生きた教訓になりました。

 中学3年の時、師匠と高校進学について意見が対立しましてね。師匠は高校へ行くな、その時間を将棋の勉強の時間にまわせ、と言う。しかし僕は、将棋の勉強を真剣に集中してできるのは一日四時間が限度だから、将棋に偏らず高校にも行って規則正しい生活を送ったほうがいいと思った。
 そこで、僕は師匠に説教をした。一日五時間六時間もぶっ通しで勉強するようなそういう勉強法だからあなたは七段止まりなんだ、と。ここで拳骨が飛んできた。あなたの考えた勉強法では、あなた止まりになってしまう。ここで拳骨がもう一発。結局、思想の違う人と一緒に住むことほどばからしいことはないので、すぐ飛び出して下宿を始めました。
 師匠は、僕が将来師匠を超え、トップクラスの棋士になることがわかっている。僕も、将来自分がそうなると信じている。師匠は、すべての時間を将棋にまわして、僕を早く強くしたい。しかし、僕は中学の時、すでにどのように勉強すればタイトルを獲れるようになるかわかっていたんです。つまり、人の物真似をするようなのは二流にしかなれない。

 当時も今も、一番大切なものは時間ですね。時間というものは、残せないんですよ。お金だったら、一万円持ってて今日五千円使って明日五千円使って、ということができる。時間だと、今日五千円使っても使わなくても、五千円は取られちゃう。一日ごとに二十四時間取られちゃうんだね、死ぬまで間違いなく。そこでいかに人生の時間設計をするかなんだが、まず睡眠、それから真剣な勉強、そして残りは、狭い人間にならないためにも、いかに無駄に過ごすかが大切。

 二十歳のころの習慣としては、とにかく、棋士として強くなろうと努力すること。どんなことをしていても、心の居場所は必ず将棋でした。それと、「悲願千人斬り」という目標を立てましてね。千人の女性とする、と。
 当時は、歌声喫茶なんかに行きました。今でいうところの、カラオケですな。何でこういうところ行くかっていうと、女性が好むからね。そういうところへグループで行って、歌を歌って、そして清らかな一時を過ごした後、まあ二人でちょっと飲みに行かないか、とこういうことになる。毎日こういうことをやるわけだ。
 千人というのは、もうとにかく大変な数なんです。三百八十人くらいまでノートに付けていたんだけど、結局五百人くらいまでいったのかな。二十歳のころを振り返って、なんで千人斬りをもっと早く始めなかったのか、という反省がありますね。
 こういうことをして、正直言って、ばかなことしたなあ、という気持になることのほうが多かった。終わったら、あほらしくなるんだよね、あれは。どうしてこんなことしたのかって。
 それでもそのときに、これは非常に大事なことなんだけどね、ビールでも飲もうか、と言って別れる。これが大事なんだ。なかなかそういかない。一人の人が終わったら、できたら豚カツでも食べながらビールを飲む。じゃあ、ここでさようなら、そういうつきあいをしたい。終わったらはいさようなら、そういうつきあいではない。

 僕が、この一対一の修行で得たことが一つある。それは、人に福分を与えて、その分だけ自分が幸せになっていく、ということ。人間同士だから、ああ、良い一時を過ごしたな、というふうにして別れたい。一番大事なことは、相手の女性が喜ぶということなんですよ。自分が奉仕し、自分の肉体で相手の女性が喜ぶ。
 しかし、困ったことに、まったくの不感症というのがいるんだよ。これがえらいことになっちゃう。オール一の成績なのに東大受けさせるようなものでね。そんな相手でも、体力精神力忍耐力ありとあらゆる能力にものいわせて三時間も相手すればオール五の成績になるんだ。そうなると、なんで俺こんなことしてるんだろうな、という気になる。そこをさらに乗り越えていって僕が得たことは、一番この世の中で大事なことは、自分の目の前の人間に喜んでもらうことなんだ、これが勝利なんだ、ということですね。
 将棋というのは一対一です。将棋では目の前の人間に嫌な思いをさせることになりますよね。相手が一番嫌なこと、困ることをやる。その積み重ねで勝っていく。男と女っていうのは一対一で対等に向かい合っているようだけど、実は一対になる。最後の一を引くということが何かと言えば、自分を捨てて相手に奉仕するということですね。一対の精神になる。そこに将棋との一番の違いがあり、共通したものがある。

 60年安保が高校のときでした。僕は社研の部長をしていて、国会を取り囲んだ高校生の一人でした。その当時は安保はよくないと思った。でも、二十歳になって、千人斬りをして、だんだん大人になったんだな。なるほど、世の中っていうのは、理屈だけではうまくいかない、ちょっとものの見方を変えなければいけないのだな、と。つまり、この世の中に、絶対正しいものなんていうのはない。絶対正しいというのは間違っている。
 一対一の女性というのは非常に敏感なんですよ。理屈じゃない。目と耳から入ったものは通用しませんからね。裸ですから。自分のからだの中から湧き上がるものしか通用しません。自分の中から、どれだけ発信できるか、生み出せるか。それが人間にとって一番大事なことなんです。そうするには、外から入って来たものを捨てる、ということが重要なんです。

 二十歳までは外からのものを吸収するということが許される。二十歳までは親の影響がある。小学中学高校では目と耳から入ってきたものを吸収し、大学受験ではこれがどれだけ多く正確に蓄積されているかが試される。これは全くくだらないものなんだ。自分で発するということがなかった。いかに取り入れたかということだけだった。
 二十歳から重要なのは、外から入るものをものすごく限定するということです。自分から生み出すためにはどうしたらいいかと常に努力する。二十歳っていうのはその節目の歳なんですよ。人が言っているのを聞くのでなく自分の足で行くことです。そうして自分が発信する人間になれるかどうか、決まるのが二十歳。
 自らが発信し、影響を与えるもので一番大事なものは何かと言ったら、愛です。人を楽しませるとか、人を喜ばせるとか、仏で言うと慈悲、ということが非常に大事。自分の中から、どれだけ人を楽しませるか。人に与える喜びというのは、自分の中から出たものですからね。
 そういう自らが発信する人間になるために、どうしたら良いか決める。それが自立というものです。自ら立つには、自分自身の中に骨がなければいけない。その骨というのが、ものをつくり出す精神です。自分で調べるための足があって、骨がある。そのどこか端っこのほうに、目と耳が付いている。それが人間だ、と僕はそう思っています。


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