『東京新聞』2004年12月21日付 特報 教育委員 だれが決める?原点は『子どもが主人公』

 

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特報


教育委員 だれが決める?

原点は『子どもが主人公』

 埼玉県の上田清司知事が、県教育委員に「新しい歴史教科書をつくる会」元副会長で明星大学教授の高橋史朗氏を任命、二十日の県議会で承認された。任命をめぐって、上田知事は「人物本位」と説明したが、反対する市民グループや教職員らは、「つくる会」主導の「歴史教科書」(扶桑社)を採択するための布石ではないかと批判、県内外に波紋も広がる。教育基本法が「教育の中立性」をうたう中、教育委員とは−。

 「二十一世紀の子どもたちに事実を教えられない。埼玉の教育はどうなるのか」。県議会で高橋氏就任の議案が審議された二十日、JR浦和駅で開かれた緊急集会には約三十団体から約二百人が集まり、人事案件の撤回を呼び掛けた。

 同県川口市から駆けつけた主婦(61)は「泥にまみれた土屋県政に失望し、革新的な政策を期待して民主党の国会議員だった上田さんに投票したが、最も保守的な教科書の導入を唱え、男女平等の社会参画に異議を唱える人を招くとは。選挙で公約に掲げていたら絶対投票しなかった」と話す。

 この日、約二百の県議会傍聴席は、任命に反対する市民らでいっぱい。傍聴人と保守系県議らがにらみ合う一幕もあったが、午後四時すぎ、人事案件は賛成多数で採決され、傍聴席は重苦しい空気に包まれた。

 高橋氏は政府の臨時教育審議会の専門委員などを歴任。一九九七年のつくる会結成時から参加し九九年から副会長を務めたが、「中立性が問われるのでけじめをつけた」として、今年十一月に辞任している。

 議会後、記者団に取り囲まれた上田知事は「高橋さんは荒れた学校や、荒れた子どもを受け入れて立ち直らせた学校を回る、実践的な研究者。体験教育、感性教育をうたっており、教育委員会に新風を吹き込んでほしい」と強調。「教育委員は六人。多様な意見があったほうがいい。(非難は)特定の意図を持っているとしか思えない」と訴えた。

■『選んだ真意説明すべき』

 今回の任命について、来年、中学校に入学する長女を持つさいたま市の主婦(39)は「教育の学識者は大勢いるのに、どうして高橋氏なのかとは思う。その経歴から、反対運動が起きるのは分かっているはず。あえてこの人物を選んだ真意を、少なくとも学校関係者や父母にはきちんと説明するべきでは」といぶかった。

 教育委員が生まれたのは、戦前の国家主義的な教育に対する反省からだ。政治的な中立性を保ち、住民自治で政策決定する。四八年から市民が委員を選ぶ「公選制」として始まったが、左右のイデオロギー対立が厳しかった時代に、「政治的な対立が持ち込まれる」などを理由に、五六年に「任命制」に改められた。

 議会の同意が必要とはいえ、教育委員の任命は自治体の首長の一存で決まる。そこでは、政治的な中立性と住民意思の反映をいかに両立させるかで、「ねじれ」が生じることもある。

 東京都国立市では九九年、市民派の上原公子市長が「教育の自治を守る」を選挙公約に当選した。ところが、自ら任命した前教育長の施策が、「公約に反しているにもかかわらず、市長が不介入の姿勢をとった」ことで、支持者からも批判を浴びる事態になった。

 この経緯を、二期目の上原氏は今、「私が介入することで教育の中立が崩れてはいけない。首長が教育に介入を進めるという逆のケースを考えてみればいい。為政者が代わることで、教育への行政の介入があってはいけないから、不介入を貫きたい」と説明する。

 任命制のため、住民には選挙の際、「まっとうな教育委員を選びそうな首長」を選ぶという間接的な機会しかない。

 これに対して、東京都中野区は今年、新たに教育委員を選ぶ過程を公開する仕組みを取り入れた。全国から人材を募り、区は登録者のプロフィルを公表、公開の意見発表会も開いた。

 区の担当者はいう。「“公募”と呼ばないのは、最終的には区長がふさわしい人を選ぶからだが、『区長がだれを選ぶか』は住民から注目され、区長もそれを意識せざるを得ない」

 中野区といえば八一年から、区民が委員を選び区長が任命する「準公選制」を実施し、「教育自治のシンボル」として注目を浴びた。十数年の歴史に幕を閉じたのは、投票率が25%前後になるという関心の落ち込みなどもあった。

 準公選制時代の中野区で教育委員を務めた評論家俵萠子さんはいう。

 「私は、教育委員にだれを選ぶかの根拠は、住民がどういう人を選びたいかだと思う。準公選制は、制度としては間違っていなかった。住民が意思表示し、それを首長がチェックし、議会も再チェックできる比較的、慎重な選び方だった」

■注目集める『土佐の改革』

 一方で、「開かれた学校」づくりとして注目を浴びているのが、橋本大二郎高知県知事が九六年に打ち出した「土佐の教育改革」だ。かつては勤務評定闘争で流血事件にまで発展、長く尾を引いたが、「子どもが主人公」という一点で、行政も教職員組合も父母も同じテーブルに着いた。

 同県教委教育政策課の担当者が話す。「政治的な問題が教育に持ち込まれ、何が起きたか。父母らに不信感しか招かなかった。手続きを極力クリアにし、それまでの上意下達から、情報を開示することで教育改革の第一歩とした。石原都知事などのトップダウン方式とは対極のやり方。トップダウンの方が結果が早く見えるのも事実だが、教育改革で最終的な目標は何かを考えれば、時間はかかるが仕方がないことだ」

 「土佐の教育改革」の著書もある帝京大学の浦野東洋一教授は「教師、父母、地域など『学校の当事者』が本気で議論し、その中心にあるのは、いつも子どもだ。大人の価値観を押しつけるのではなく、下からつくっていくことが重要だ」と説明する。

 「つくる会」主導の歴史教科書については、来年四月開校の都立初の中高一貫校の白鴎高校付属中学での使用が決まっている。市民団体が約二万九千人の署名を添えて不採択を求めたが、記者会見で石原知事は「今まで余計な外部からの干渉があったが、教育委員会の責任で選択していくことの一つの表れだと思う。教科書の一つであり、さしたる問題もない」と話した。

 今回の高橋氏の任命を問題視する市民グループは、こうした石原知事のやり方を上田知事も踏襲するのではないか、と危ぐする。

 東京大大学院の高橋哲哉教授(哲学)は「このままでいくと埼玉県では、歴史教科書と男女共同参画を目指す条例の二つを焦点に、きわめて反動的な教育行政が起こってくるだろう」と話し、こう指摘する。

 「高橋(史朗)氏をはじめ『日本の教育改革』有識者懇談会(民間教育臨調)の人たちが示すような、『教育全般を教育委員会ではなく自治体の首長の直属の組織に集中させるべきだ』といった考えも強まる。こうした動きは、教育基本法や、憲法の改悪につながりかねない。今回の問題は、一教育委員の任命にとどまる話ではない。今後、日本が戦後民主主義をより深める方向で変わっていくのか、再び国家主義的な教育に向かっていくのか。私たちはそうした分岐点に立っている」

■メモ 新しい歴史教科書をつくる会

 中学歴史の全教科書に従軍慰安婦の記述が掲載されたことなどをきっかけに、従来の歴史教科書は「自虐的」だと批判する学者らが1997年に設立した。会長の西尾幹二(にしお・かんじ)電通大名誉教授らが執筆した扶桑社発行の中学歴史教科書が2001年4月、文部科学省の検定に合格。内容に賛同する意見と「戦争賛美」「国粋的」と批判する意見が激しく対立し、中国、韓国とは外交問題に発展した。