日々通信 第131号 (2005年1月12日) 暗黒の時代

 

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>>日々通信 131号 2005年1月12日<<

いま、新掲示板2で、大学問題が論じられている。
<うのき>さんは横浜市大を罵倒して、あんな大学はなくなった方がいいのだと言わ
れた。
私は半ば共感し、やはり、こういう言い方に疑問を感じた。
これは、漱石について罵倒に近い否定の言葉を聞いたのといくらか似ている。

私は横浜市大の問題が横浜市大だけの問題ではなくて、日本の全般的な問題ではない
かと思っているのだ。

私が心配しているのは、日本がふたたび暗黒の時代を迎えることだ。
いまと昔はちがうというのだろうか。
いまは民主主義の時代だという。
しかし、これが民主主義なのか。
日本人民がみずからの手でかちとったものでないから、上辺だけで、脆弱さをまぬが
れないのだろうか。
日本とアメリカでは、根本的なちがいがあるようだが、どこがどのようにちがうのか。
そして、そのアメリカは民主主義の大義を振りかざして、イラクで大殺戮を展開して
いる。

そして、私はファシズムが日本を支配した当時のことを考える。
滝川事件のときは、全国的な反対運動が起こったが、美濃部事件では、ほとんど抵抗
らしい抵抗はなかった。

なぜ、そうなのか。

滝川事件の年は多喜二が殺された年だ。
昭和とよばれる時代の初頭、1926,7年ころ、共同印刷、大日本楽器、野田醤油など各
地で大きな争議があった。
多喜二の暮らす小樽でも、磯野農場の争議があり、港湾労働者の争議があった。
そして、三・一五の大弾圧がやって来た。
しかし、ナップが成立し、プロレタリア芸術運動の全盛期が来た。

それも、満州事変がはじまると、文化運動に対する弾圧がはげしくなり、転向者が続
出した。
そして、滝川事件の1933年を迎えるのだ。
プロレタリア芸術運動は壊滅し、暗い時代がやって来た。
はげしく揺れ動いた時代だ。

やがて、226事件が起り、日中事変に突入する。
それから、15年もの長い戦争がつづき、学徒動員があり、学生たちは戦場で死んでい
った。

昨日の是は今日の非になるを、という「舞姫」の言葉が身に沁みる。
時代は変わった。
人々は変った。
私は小林多喜二という作家の名前も知らなかった。
戦争の時代から戦後へと、時代は変わり、人々は変った。
そして60年。
滝川事件から72年、歴史はくりかえすのか。
いまの学生たちの多くは小林多喜二の名前も知らない。
滝川事件は知っているだろうか。
いまも昔も変わらないと思う。
抵抗運動という点では、いまが昔よりひどいと思われてならないのだ。

昔は野球や相撲のときに日の丸を掲揚して、観客に起立させ、君が代を斉唱させると
いうようなことはなかった。
大本営発表のときにも、日の丸をぶら下げたりはしなかった。
いつから総理大臣や官房長官の記者会見に、だらっとしおたれた日の丸をぶら下げる
ようになったのだろう。
あげくに教師が君が代をうたっているかどうかを調べるために都の教育委員会の連中
が月給もらって調べに来たりはしなかった。
元来、入学式や卒業式に日の丸をぶら下げたり、君が代をうたったりしただろうか。
私には記憶がないが、記憶のある方は教えてほしい。
どうも、私には戦争末期に国民儀礼というものが始まって、その時以来のことではな
いかと思われるのだが。

いまの70代前半の人たちは戦争中というと、あの対米英も末期のことを思い出すらし
い。
しかし、戦争中といっても、1930年代は戦争末期とはまったくちがったのだ。
戦争体制は次第に強化されていった。
その始まりが、左翼に対する弾圧だ。

歴史は同じ形ではくりかえさないだろう。
しかし、やはり、くりかえすのだ。
だから、過去を知るものは未来を知り、未来を知るものは、過去の復活をおそれる。
私の言葉は矛盾に満ちているだろうか。
しかし、この矛盾のなかに過去と未来、そして現在の問題がある。

いまの若者が学んでいる歴史はどんな歴史か。
そして、いま、どんな<新しい歴史>が持ち込まれようとしているか。
私たちが学んだ<国史>の教科書を思い出す。
そして、歴史を学ぶとはどんなことかを考える。 
美濃部事件から<国体明徴>ということが強調されるようになり、やがて「国体の本
義」が出版される。

私はおおいかくされた過去の真実を、いまあらためて思い起こし、再検討することが、
平和運動にとっても重要だとおもう。

新掲示板1に19111月の啄木の短歌と日記を掲載した。この年のはじめには、まだ、
幸徳らは殺されていなかった。
この年の4月、啄木は貧困と病苦のうちに世を去った。
当時の啄木は涙なしに読むことができない。


1
月もやがて半ばになる。
この頃、しきりに心に浮かぶ歌。

世の中を憂しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

寒さも今年は異常高温のせいか、それほどひどくないようだ。
しかし、スマトラ沖地震と大津波につづいて欧州では大雨が降って大洪水が起こって
いるようだ。
本当に、何がおこるかわからない。
皆さん、お体に気をつけてお過ごしください。

     伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu
                         

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