学長という病

 

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新掲示板2 激動する現代 戦争と平和

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1879.公立大学という病:横浜市大時代最後の経験

返信  引用 

名前:うのき    日付:2月15日(火) 21時44分

香川大学経済学部へ転出された吉田誠先生のHPから
http://yosisemi-ku.ec.kagawa-u.ac.jp/~labornet/MyDoc/ycu2004.html

「04年9月、市大独法化後の学長は米国人になるということが発表された。このニュースの意味することは現学長の解任である。独法化時点で現学長の任期はまだ1年残っており、それを全うせずに職を降ろされることになるからである。現学長の残りの任期を勘案して、市大独法化の定款ではわざわざ最初の学長の任期を1年としていたにもかかわらず、その飴玉をもらうことはできなかったのである。当局も誠にシビアで、ただロボットのように当局の言い分を繰り返すだけの無能な学長は、もう用無しだということなのかとも思う。ある市大の先生は、「次がどのような学長であるかはさておき、現学長が独法化後の学長にならないのはざまあみろという気持だ」と語ってくれた。
 確かにその通りであるが、しかし民主的なプロセスを経て選出された学長が解任されるということは、法人化前後で制度的連続性を一片たりとも残させないということになる。独法化された国立大学でも学長選考会議が組織され、この会が学長を最終決定することとなっている。しかし、旧来からの学長選出手続きをふまえ多くの大学では意向調査として学長選挙を実施するようだ。それは独法化前に選挙で選ばれ学長が、独法化後の学長となっており、旧制度との連続性が実質的に存在しているためだと考えられる。形式的には学長選考会議が学長を選ぶが、実質はできるだけ大学構成員の意思を反映させるような工夫といえる。しかし横浜市当局は、小川学長を解任することによって、形式的にだけでなく、実質的にも連続性を断ち切ることを選択したのである。」

「「小川学長」と呼びかけた。ちょうど学務課の前あたりだ。自分はこの大学を去る商学部の教員だと自己紹介し、最後に御挨拶をしたいと申し出た。学長は「名前はうかがっています。随分とゼミ生から慕われている先生だと聞いており、転出は残念です。」と答えた。私は挨拶にかこつけて何故、市大を辞めることを決心したのかその理由を学長に話した。そして私は学長選で小川氏に投票したこと、そしてその理由は小川氏が民主的なスタンスをもっとも堅持してくれそうだと思ったからだったこと、しかし全て裏切られたことを語った。そして、この改革の問題、とりわけ任期制の問題を学長に訴えた。その時の彼の回答は失望さすに値するものであった。「私は任期制については素人だが、運用次第でどうにでもなるでしょう。」
 私は怒りがこみあげてきた。全教員を不幸のどん底につき落す決定を下しておきながら、この時点になってもまだ「素人」と言い逃れする学長の無責任さにあきれはてた。本当に最高責任者なのであろうか。自らの下した決断が無知に基づいたことであったことを、さも我関せず風に答えられる学長のいいかげんさが許せなかった。
 もう一つ許せないことがあった。3月の市会での学長の答弁である。改革が嫌で大学を去る教員が多いと新聞に書かれているがどうかという議員の質問に、学長は「流出する教員と改革とは関係がない。」と断言し、改革が問題のないものであると強弁していた。私はこれが許せなかった。当然、学長は多くの教員が改革に嫌気を出して辞めていることを感じているはずだ。もしそうでないなら、本当に「裸の王様」であろう。だから市会の答弁は嘘であり、こんな嘘を堂々とつける人間がいやしくも学者をやっていたというのが、許せなかった。「私はこの大学が好きだったが、この改革のせいでやめていくのです。学長も良心が残っているのなら、市議会で嘘の答弁をするのは辞めてください。もし多くの教員が辞めていく理由がわからないというならはっきりと申しておきます。少くとも私はこの改革が嫌で辞めていくのです。」彼は神妙な顏をして聞いていたが、何も答えてはくれなかった。
教員組合の作成した2004年3月11日の市議会傍聴記録によると学長は田中議員の質問に対し、「「逃げ出す教員」についても、教員の移籍は、大学相互の人事交流・活発化、さまざまな理由によるもので、大学改革によるものとは考えていない」と答えている。ただ四月以降、少し変化した学長の発言をどこかで読んだ記憶がある。議会での答弁かインタビュー記事であったかも定かでないが、「改革のために、行く先のないにもかかわらず辞めた教員がいる」と述べていたと記憶している(ただ残念ながらソースを見つけることができない)。この程度の前言撤回で何がどうかわるというわけではないが、私に問いつめられて若干の良心を蘇えらせた見るべきか、それとも単なる裸の王様だったというべきか。それはわからない。」
http://yosisemi-ku.ec.kagawa-u.ac.jp/~labornet/MyDoc/ycu2004.html


 

1882.Re: 公立大学という病:横浜市大時代最後の経験

名前:伊豆利彦    日付:2月16日(水) 15時38分

吉田さんがこんな厳しい批判を書かれようとは思わなかった。
市大問題の実態を経験を通じて書かれている。
ありがたい記録です。

ただ、学長を推薦した人たちを責めるのはかわいそうだ。
政治的に過ぎる前学長に対して、非政治的な学究の人を推薦したのだと思う。
しかし、時代が悪かった。
こんなひどい時代には、事務局に自由自在にあやつられ、その「責任感」や「誠実さ」が、逆めに出た。
彼は、はやく辞職すべきだった。それを拒否したときに途方もない転落がはじまったのだ。

大学事務局が市役所の役人で、大学については無知であるばかりでなく、その未来に対してもまったく無責任で、市長の機嫌取りに、普通では考えられない馬鹿げた大学批判と改革をやって、それで市役所にかえり、出世の道を求めたいと考えたのだという指摘は、私もそう考えていて、まったく共感する。

そこに大学の専門家である国立大学の事務官とのちがいがある。
もっともこれは市大の教員ならだれもが考えていたことだ。

そうである以上、常識はずれの彼らの攻撃には、もっと捨て身の反撃が必要だったのだが、いい子で通してきたの教員たちにはそれができなかった。
それが、残念だ。

しかし、いまは、次々に優秀な教員が去り、やがては、辞職しなければダメな教師だとレッテルが貼られ、こうして、市大の文科系は沈没していく。
これは自然の法則で、私たちが心配したのはこのことだ。

以前なら定員増で増収をはかることもできたが、驚いたことに事務職員の何某はそうすれば入学者の偏差値がさがるから、教員の人件費を削る方がいいのだなどと、とんでもないことをしたりげに言ったりしたのだ。

そうして、いまは。全国レベルで相当の位置を得ていた大学が、みじめに転落してしまった。
大学の核は教員だということ、そして、市大の教員がどれほどの評価を一般に受けているかをしらない木っ端役人の浅知恵が市大を滅ぼした。

紳士的な教員たちはなすすべもなく豪腕だとか、やり手だとかといわれる何某の思うままになって汚名を千載に残すことになった。
そして、かれはもう、とっくに市大を離れているのだ。