スポイチ編集長の「市大“改革”批判」(2005.3.2)

 

スポイチ編集長日誌 20052月〜3月より

http://www3.diary.ne.jp/user/327670/

 

参考文書

『部外秘資料』が語る,横浜市立大学の"独裁官僚"と似非民主制

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page036.html

 

・・・「教授会がごちゃごちゃいわなければ,すんなり決まる.その辺をはっきりするということだ.」「教員は現実は違うのに自身をスーパーマンだと思っている.なんでも出来ると思っている.そこに事務が配転してくればやる気がなくなる.」「教員は横浜市に雇われているという意識がない.設置者がつくった制度を知らないで議論している.権限の構造がどうなっているかを教員は知らなければいけない.」・・・

 

「社会が成熟してるから」

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040723seijuku.htm 

・・・ていうかなんだこの「社会が成熟してるから」ってのはコラ。「今日の特カラは脂身が多い気がするなあ」「社会が成熟してるから」「なんで福浦は冷暖房完備なのに八景は以下略」「社会が成熟してるから」…もうね、あほかと。・・・

 

 

2005/03/02 () 昇任認めないでポストガラ空きよりどりみどり…

 

公立大学の事務官僚が、これまでは主に教員らによる「大学自治」の領域であるとされてきた大学の”管理・運営”に乗り出すことを理論化・正当化する”公立大改革”論。その実質的なイデオローグとなっている人々のトレンドとも言うべき動きがあるということについて、20039月の時点でちょこっと触れたことがある(http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=327670&log=20030912)[注1]。そこで予知しておいた、「大学自治は素人によるもの。これからはプロの職員に任せるべき」という主張がその後実際に登場し始めている。そのままとはな。

その理論とは、「大学自治の原則」つまり教員が学長・理事長職等の管理職となる形態は、地方公務員が一時的に非専門分野である大学事務職に就いている状態と、兼業的であるという点で変わらないのだ、という大学自治批判の主張である。

つまり、教員が就任する大学の運営職も、実は数年の任期しか持たない一時的なものであり、さらに教員には研究・教育活動もあることから、大学運営に対する力の入れようも教員本来の業務との兼業状態になっていると、事務職員の場合と等価値的に述べ批判するのである。

さらに、これからの時代には、大学としての全体的な”戦略”を専門的(専任的)に考えることのできる人材が大学に必要であると説く。また従来の事務職員と大学教員とのいびつな関係を指摘し、非専門家である事務職員は教員に対して制度的に強い態度を取ることができず、これまでの公立大学では、大学全体の方向性について考える者がいなかったと主張する。

これらの主張の中には長年に渡り、学長職や理事長職など大学の主要な管理ポストを大学教員に独占されてきた、地方公務員としてのプライドと怨念が見え隠れする。市大の場合、俺に言わせれば事務職員は虐げられた人々などではなく、”改革”以前から学内規制や財政などの方面では教授会は既に名目的な存在であり、学内の諸々は実質的に事務職員らが案を出し取り仕切っていたとさえいえるのだが、やはり名目上のポストさえも手中に収めなければ気がすまないということらしい。

このような”官僚の不満”をお上品に、そして”論理的”に述べたのがこれらの”公立大改革”論であるとするならば、官僚の不満や怨みをストレートかつ包み隠さずに語ってしまったのが某”理事殿”の内部文書だったと言えるだろう。

両者はともに表裏一体の関係にある。

 

2005/03/01 () いますこしマシなポストを分けてほしいものだな(謎)

 

主に教員や大学の研究者の立場から”大学改革”を分析し批判しているサイトや資料はたくさんあるのだが、ではその”改革”をやっている張本人たちが、自分たちの改革を自分で解説している資料はそんなに多くはない。いや、なくはないのだが、なんかタテマエキレイゴトに終始していて読み物としてはイマイチなんだよなー。

つまり俺が期待しているのは今現在”改革”をやっている事務職員とかがひそかにブログとか作ってて「今日学長のヤローに”キサマ反抗するかァ?”って言ったら”すいません!すいません!”ってガタガタ震えてたぜウヒョー」とか「組合の奴に会ったらまともに目合わせねーでやんの(プゲラ」とか書いてたらすっげー面白そうだな。俺もそういうの読みたい。大学とか○から特命掲示板になんか突撃してないでもっとオモシロイものを見せろコラ。どうせヒマだろが。

それはともかく”改革派”や”革新”官僚が出している数少ないそして語彙の貧弱な拙い資料によると、どうやら彼らのアタマの中には、近い将来少子化に伴う大学全入時代の到来だしい、だから改革を〜みたいな前提条件があるようだ。そういや、かつて某”理事殿”が学費大幅値上げの上での奨学金充実、なんてことを主張していたのも、当時は「お前バカだろ」とさんざん批判されていたけども、”大学全入時代”の到来を前提にすれば、決して的外れな対応ってわけでもないんだな。でも大学全入時代の到来を本気で予想していたとするならば、まったく脳内お花畑な未来図ですな。まあ、今の”構造改革”による社会階層の二極分化にともなう教育と大学の差別化理論に乗っかる形で出てきたのが、この間の”大学改革”を唱えて登場してきた人々であり、しかも彼らは故意か偶然か、そろいも揃って以前に何らかの形で市立大学に”因縁”を持っていた。そういう人々が”改革派”を名乗って華々しく登場してきた”設置者”の周囲にブレーンとして最初から集結していたのが、この間の”改革”で過激に突出してしまった市大とクビ大の不幸である。しかも”改革”の前哨として”事務機構改革”の名の下、過去の受験者情報を扱う部署が関内直轄となったことにより一部で根強く噂されていた件については、今後否定も肯定もそのしようがないだろう。

ま、”改革”は常に怨恨から始まる。恥じることはない当然のことだ。

 

2005/02/28 () 地方の時代=地方官僚の時代=痴呆の時代

 

軍事占領されたわけでもないのに知多という名を捨て去ろうとする感覚も理解不能ですが、それに替わる新市名「南セントレア」死ね。いや、市ね…。と誤変換も放置したくなる赤恥名称である。しかもセントレア全然遠いし関係ないし。新市名を検討した委員会とやらの投票では、実は「南セントレア」つー名前は2票しか入らなかったらしい。なのにそれが正式な”新市名”として一度は決定されちゃったんだからメチャクチャですな。役人がナントカ委員会をつくって”議論”させたのに、結局役人主導の結論ありきでわけわからん少数意見を採用しちゃうから大騒動に…ってクビ大とかあり方懇とかと同じ構図かあ。

いまだにマスコミ等では単純に地方の時代〜とか言ってはしゃいでるけど、実は”地方の時代”=地方官僚の時代=痴呆の時代であり、その結果としてのカタカナひらがな名称の氾濫であり、今回のトンデモ地名騒動だろう。こういうことがあると、結局は”民度”というものを問われちゃうんですな。知多の人々は極めて常識を示したというところだろう。

合併までもが白紙撤回された当の自治体だが、その首長らはまだ”南セントレア”に未練たらたらで、また機会があれば再提案する気があるらしい。しつけえな。さすが”それだけやってれば給料もらえる人種”っていいね。

しつこく再提案といえば、今度出る”人権保護”法案という法案では過剰な取材として「反復的つきまとい、待ち伏せ、見張り、押し掛け、電話、ファクシミリ」を明記してるとか。

へぇー。政治家や官僚って、ストーキングされたりインターセプトされたり監視されたり突撃されたり電話かけられたりファックス送られたりするのがすんごくイヤなんですね。

ていうかそのぐらいは経験的に知ってるけど、こういうこと明記するなよな〜。自分の苦手を自分で明らかにしちゃってるではないか。わはは。

あと「公式文書には名前が出ないけども実質的権限振るってるレベルの人」って本名とか出すとなんかすげえ反応してくれるよね。ちょっと触れただけで「誹謗中傷だ!」とか言って。他に言えんのかって感じですが、すぐれて”政治的な”職務に首を突っ込んでいる人間ならば様々な論評、ときに激しい批判を受けるのは当然だろう。それがイヤなら批評を受けても恥ずかしくない仕事をすればいい。それもイヤならさっさと職を辞すなり民間に移って”市井の人”としてつましく暮らせ。

 

2005/02/27 () おおっとついに職員のバイト解禁ですか

 

役人って(リーマンもだけど)、組織に隠れるとどんな悪い事も平気でやるけど、いったん個人として丸裸にされちゃうと信じられないほど脆いな。これは彼らが”組織”に守られて”肩書き”で生きているからであって、ここがまず「自分の名前で出ています」な教員とは違うところだ。よって少しでも自分を庇護していた”組織”の枠から引っ張り出されて”個人”として包囲されちゃうと、とたんに彼らの頭の上ではヒヨコがクルクル回りはじめちゃうんですよ。たとえば官僚個々について、今まで己の肩書きをフルに使い職務で行った行状をちょこっとでも取り上げられると、彼らは決まって「誹謗中傷だ!」だの「槍玉にあげられた!」だのピキピキ喚きだして「ピンチ×」と「打たれ弱い」が発動しちゃうんだな。つかいつもボキャ同じだし。そういう訓練でもされてるんでしょうか。

官僚の生態についてもう一つ。

常識的な感覚があれば、”これまでの市大”に対し、自分が当事者の一人であるにも関わらず、改革を唱える立場から忌憚無く批判し、あるいは例の”あり方懇”に乗り込んで某座長らと共に嬉々として大学をこきおろす某”理事殿”の姿を一種奇怪なものとして受け止めたはずだ。特に研究者の場合は、その分野専門に関わらず、または先行研究を継承するか否定的に取り上げるかは別として、その道の先達や先行研究に対するある程度の敬意つーかプライオリティとか、一定の評価を示すことが前提となっているように思う。

がっ!

官僚の場合は、前任者の怠慢や自分の着任以前の混乱を指摘し、これを取り上げて徹底的に批判することで、逆に自分の”有能ぶり”を証明することになる。この一見内部批判のようにも見える発言も、出世欲に燃えた”革新”官僚によくある威嚇行動なのである。決して”謙虚さ”や”自己反省”から出ている行動ではないので勘違いしないように。だって批判対象はエクセプト・ミーだし。

それは自分の離任後もまた同様。”自分がいなくなった途端に混乱した”という状況を現出せしめることは、これまた逆説的に己の”辣腕”(笑)ぶりを示すことにもなる、実に喜ばしい事態なのだな。彼らが後は野となれ山となれ感覚で目先の功績の為に仕事するのは当然なんですな。もう3月だし人事は決まってるから無駄なことやめろって感じだが、ところがどっこい法人に移行後1年でまたまた論功ニンジン設定ですか。

ええい、よくやる。

 

2005/02/25 () 大学改革にハマってやめられねえ

 

年に教員20人流出です

教員は全く抵抗しねえ

スゲーつまんねえ

前一回意見広告出したやついたけど

飲み屋でシメた

 

な、八景周辺は避けてるだろ?

 

ここでちょっと一言。「ええい、なぜ三章のアップまで直リンを待たなかったのだ。さかりおって。ばかめ。」(謎)

 

今後独立行政法人化を睨んで、関内に法人の”監督””調整”を担当する部署が新たに設置され、当然そこにも「幹部」が置かれることになる。学内の”理事会”と合わせて、幹部官僚が利権にあずかることの出来るポストが増えるということだ。独法化という名称に反して大学はより一層関内の直接影響下に置かれるだろうな。学内の「学長」「理事長」には露骨なM塾系人脈の起用や”改革”に功のあった”革新”官僚の成り上がり人事は避けたようだが、4月以降になれば独法化による新”学内規則”導入で内部からの批判はいくらでも抑え込める。露骨な利権割り振り人事はおそらくこの辺からだろう。

今回の独法化移行などという外的要因にかこつけて、雇用体系だとか施設管理とか学内諸規則までをも規制強化の方向で改変するということはできない、というのが常識的な見解だ。しかーし”当事者”の”合意”さえ取り付けられれば好き勝手にがんがん改変しちゃおー、というのは実は官僚の得意技の一つなんだな。

たとえば昔の八景には学生会館という建物があったのだが、ここの管理は学生の自主運営とされ、使用団体の割り振りスケジュールだとかは学生の手に委ねられていた。ていうか実はスんげーボロだったので職員にもいまいち管理意欲が湧かなかったのかもしれん。空調ナシは当然として鍵もかかってなかったらしいし。

ところが、この学生会館の老朽化にともなって建て替え計画が具体化してくると、学内の有象無象…いや様々なセクションが口を出し始め、結果として「学生会館ではない、新規の福利厚生施設」であるということにされ、いまやシーガルセンターの名で官僚の管理下にある。まあ学生のレベルが落ちて自主管理なんぞ到底無理だと思っているのかもしれないが、だったらそうとはっきり言えばいいのにね。

で、この”シーガルセンター”完成時の利用規則”制定”に向けて暗躍したのが、かの極悪君率いる学内有名人の面々であった。つまり、できないはずのことでも裏切り者が勝手にオッケーを出せば、官僚の思うがままの”改変”はできちゃうというわけである。

 

2005/02/24 () いまだ「商学部以外の」負債とか言ってる憐れ

 

新市政誕生直後にはあの某”参与”殿なども頻繁に登場したりして、マスコミにより派手に紹介されていた気がする関内某所の某会議。もう”改革”にも新味が無くなってきて飽きられたのか、ここの行状をウォッチしている人もあんまりいなさそうだ。

ところが、ここの議事概要には、大学”改革”について”「あり方懇談会」の答申を踏まえた改革案について大学に検討させる”とある。しかもこれが20034月に学長名で「あり方懇答申路線で改革に邁進」なる”怪文書”が出た直後。もう”待ってました。うけけけ”とばかりにここから一大攻勢が開始されているんだな。とここまでは既知情報である。だが、その結果として出たR案について(事務)”局案の基本的内容については了承”とか書いちゃっているのだ。ぐへぇ。

うほっ、官僚マジック。いい連係プレーです。「こぉれが官僚ですよ!」みたいな?

市大”改革”については以前に「密室ではない」「トップダウンでいきなり公表ではない」とシャウトしてたヒトがいた気がするのだが、ここまで堂々と書いちゃってるので本気でそう思っているのかも。彼らに言わせれば事務局官僚は「大学の人間」だから、彼らが作る案(局案)は「大学側が自発的に検討して出した改革案」だと本気で考えてるのかもしれんが、”大学事務幹部”とはもはや明らかになっているように、関内から短期ローテで派遣される、ついこの前まで”関内の中の人”だった人々である。しかもここにあるように彼らは大学赴任後も関内に伺候して”了承”をもらったりしてるんである。これって”改革”は完全に上意下達の行政タームの中にスケジューリングされていたって事ですな。大学としての独自の改革などではなくって、当初から関内主導+そこから降って来た事務局官僚の思惑が加わった官僚による改革案だったわけだ。これは、もはや以前一部の人々が分析していたような”改革案は実質的にR幹事会で作られた”どころの話ではなくて、完全に関内行政機構の上意下達による”改革”案を、いかにも大学による独自の案として見せるための官僚マジックだったわけだ。

…まあ確かにこんなプランを並べ立ててる人々に向かって「大学の自治が学問の自由がどーたらこーたら」なんて言っても単にブチ切れられそうだよな。彼らにとっては、大学なんぞ行政セクション(しかもリストラ対象セクション)か、利権分配所の一つでしかないわけで。

 

2005/02/23 () あんなモン残業して作るんじゃねえ

 

さて、今やその関係者にとっては赤っ恥過去状態の”あり方答申”路線に唯々諾々で関内の腹話術人形としての役割を忠実に果たしたはずの学長さえもが一発クビということで、この3月までの横浜市立大学と、4月以降の「独立行政法人・市大」との間には、組織や学則、学内諸規則の引継ぎにおける連続性はいったん否定されると見たほうがいい。今頃はあらゆる諸規則の類は、既存のものを一度”無かったこと”にして、先般の教員に対する就業規則”案”を準用した各種トンデモ”新規則”が同一人の手により次々と作られている最中だろう。”就業規則”は教職員だけだからフツーの学生は安心〜でもないんだな。もうすぐわかるよ、うけけけ。

人を支配する最も有効な手段は圧力と処罰である、というのが彼ら規制派”革新”官僚の一貫した行動原理になっているんではないか、と前から見ていて思う。ま、彼らも普段は教員学生には威張ってはいても、関内から某”部屋”の某会議(謎)に呼ばれ、まだ教員に改革案を飲ませられんのかコラというプレッシャーを日々かけられていただろうから当然かもしれない。そのような認識に立って”案”を見ると教職員に科せられる”義務”がずらりと並び、違反者には懲戒解雇などの”罰則”が並ぶ。法人に移行後は市の組織変更を理由とした教職員の契約打ち切りが出来るなんていう条項がさりげなく入っていたりもする。「職務」と関係のない集会を開いたり文書を配ったりする時には事前に理事長の許可を取れだとか、まるで校則だけは厳しいD(略)N校みたい(笑)。学内で文書配るっていうのの内には学内で鯖立てしてサイト公開するのも入っていると見るべきだろう。あるいは法人批判も懲罰対象になっているかのような条項がどかどか並ぶ。前もどっかで見たなこんな”案”。

独法化以後の法人の主体とは理事長などの経営陣であり、横浜市のことだ。だが経営陣の批判も許さず言論活動も許可制で違反者は処罰などという大学などありえねえ。まるでピョンヤン状態である。ここ3年余りの間に行われた教員らによる”改革”批判、官僚批判に突撃型ジムはよほどアタマにきているようだな。果たして彼らはガチで教員の言論活動取締りを考えているのか。故意にどうとでも拡大解釈して普段から教員へのプレッシャーとなるよう玉虫色にしたのか、それともコレ作ったヤツが単に処罰マニアのアホなのか。”前の時”は後者だったよな。

 

2005/02/19 () ○ギナーマンがM字固め?うわあぁぁ

 

市職員が”市大に赴任すると、好き勝手を出来ないからやる気を失う”などと公に発言したのは某”理事殿”こと市大有名人池テルミが初めてだったのではなかろうか。それまでは酒の席での愚痴だとかあくまで裏の話として漏れ伝わっていた主張が、なんと活字として作成され表の世界に出て来ちゃったわけで、上が上なら下も…というわけで市大”改革”以前から事務職員の”規律”はとっくに弛緩していたのであった。

大学の独法化が目前に迫っている時点で教職員の新就業規則”案”とかいってあんなモノ作ってる時点で笑いをとれてしまうのだが、予想された官定案よりはマシになっていると評価する声もあるようだ。うは。「滅茶苦茶ですね」とメール出したのは俺じゃあないけど、では今度は俺が言おう。「また廃棄文書からコピペか!」

相変わらず人を振り回すのがうまい。

一読してなにかヘンだなと思わされる特徴的かつ誤った日本語により、またも手抜き仕事で済ませているな、という感想。それとももともと度し難いボキャ貧なのか。法的にも日本語的にもきちっとした文章を書けないのなら、法学系の教員(仲イイ人まだいるよな?)に依頼するか素直に関内に泣きつけよな。

もともと一昨年の”市大改革官定案”によって突如持ち出された「教員全員任期制」なるものは事務官僚による学内支配のための手段の一つであって、それ自体は究極の目的ではない。もちろんこれが達成できるかどうかで、今いるジム連中の一部が”臨時ボーナス”としてめでたく関内に凱旋するか、それとも一生ドサ廻り暮らしになるかが決まるだろうから、彼らはまるで決定事項であるかのように脅したりスカシたりしながらムキになっているというだけで、それは市大”改革”の真の狙いではない。どっちかつーとフェイクだ。”改革派”主流の従前からの目標は、かつての”テルミ語録”などからも明らかなように、学内のあらゆる決定権を教員主導の組織(学部教授会等)から奪い取り、事務官僚の独裁的権限を無制限に行使できる体制を構築することである。

そして、教員や学生の発言権を極度に制限した上で、事務幹部官僚が理事長の名によりすべての決定権を握る。たとえ今回は過激な”任期制案”が見送られたとしても、今後は官僚独裁化された”経営”システムの上で”合法的”にどんどん官僚のやりたいことが実現できる。これこそが、いわゆる彼らの言う”新体制”なのである。

 

2005/02/18 () 相変わらずアホな”火消し”に必死ですなあ

 

だいたいよ、教員が移籍する場合には、同輩の妬み嫉みによる足引っ張り工作や、あるいは”有力者”が横からプレッシャーをかけたり妨害したりするのを避けるため、”本決まり”になるまでごく近しい人々にもかん口令を敷いて、徹底的に秘密にしようとするのは常識なんですな。だーから一般に噂として割愛・移籍の話が出た時点で、もうその教員は”脱出決定”だったりするんですよ。

なーのにそれを知ってか知らずか、いや知ってて言ってるならスゲー悪質なんだが「人気のある主力教員はまだ残っているからダイジョウーブ!」とか「全員隠れFAなんてウソッぱち!マスコミに抗議しちゃる!」とかあちこちでのん気に言ってまわっている人々は、底抜けの陽気アホか実は自分だけ仲間はずれの情報孤島状態でいじめられてるんだと思いますよぉ。やーい、みそっかす。ていうか日頃その程度の情報収集能力しかないもんだから、教員の引き止め策も採ろうとせず、逆に「全員任期制」だのと教員が逃げ出したくなるような策謀ばかりこらした挙句、単なる学内権限奪取のくだらん”改革”なんぞに3年もかけるんだろうな。3年も。まあそもそもその程度の仕事ぶりしかできない能力なもんだから市大なんかに来る破目に(以下略

でもまあもうそういうヤツらのアイデンティティの拠り所だったらしい商学部も完全に消えちゃいましたからねぇ。ひょっとして自分がいる間に破断界が来なければいいやえへへぐらいにしか思ってないんだろうな。まったく無責任だなあ。

つか今後社会の経済状態の急激な悪化によって、”改革派”がどうやら思い描いているような”大学全入時代”なんて来ねえと思うよ。しかもそうなったときに真っ先に、「イラネ」となるのが今まさに”市大改革”が目指しているような、中途半端に就職予備校化させた3セク系パン教コミュニティカレッジである。そうなる前にもう少しマシな市長や”経営者”が現れて、今よりはちょっとはいい方向に軌道修正する可能性も絶対にないわけではないのだが、さらに過激な”改革派”が登場し、次なる”大学改革”によって、もはやどこにでもあるコミュニティ・カレッジとして公立で保持する必要ナシとして簡単に潰される可能性のほうが高そうですな。いま”改革”で暴れている連中もその時にはもうとっくにいないだろうからね。ていうか一部のはねっかえり連中は確実に最初からそれが狙いだろうけどね。

 

2005/02/17 () 多村が腱鞘炎にならないか心配です…

 

「我が忠勇なる自治系学生達よ、今や八景三学部は我が大学改革によって宙に消えた。この改革こそ我ら事務官僚の正義の証である。決定的打撃を受けた教授会に如何ほどの戦力が残っていようとも、それらは既に形骸である。

敢えて言おう、カスであると!

それら軟弱の集団が、この全員任期制を止めることは出来ないと私は断言する。

市大は我等選ばれた優良種たる事務官僚に管理運営されて、初めて永久に生き延びることが出来る。これ以上戦い続けては、市大そのものの存亡に関わるのだ。教授会の無能なる者どもに思い知らせ、明日の未来の為に、我々事務官僚は立たねばならんのである!ダーッ!」

なんちって。

まあアホがメチャクチャ案をゴリ押ししようとして、皆が精神的に疲れきってしまった時に、玉虫色で一見よさそうに見える案を横からスッと出して通してしまうのって確か得意技でしたよねー。(謎)

しかしまあ、日本語の通じない人にクレーム処理を担当させちゃうネタっていうのがあった気がしたのだが、まさか本当に実行しちまうヤツがいるとはな…。

 

ところでまたまたアホが刃物持って小学校に突撃したようですが、なんでああいう連中って、いたいけな子供しかいない小学校みたいな場所にしか突撃できないんですかね?

怖えー生徒がいっぱいいるD(略)N高校とかヤックーザの事務所とか自衛隊の駐屯地とか在日米軍基地とかには絶対に突撃しないんだよね。まあ、そんなところに突撃しても刃物出したところで「なんだオメー!?あぁ?コラ!」とか言われてブン殴られて終わりだろうからな。

 

一方、それでも言論機関か!な沈黙逃げ切り態勢に入った朝日のようですが、ここにきてあべさんもニュース番組などで大反論を開始〜。が、対北強硬派のエースとして北朝鮮について語るのはほんのちょっとで、後は自身の”呼びつけてない”弁明と朝日批判に終始しているようだ。今の時期、本当だったらここでは主に”北”への対応についての話をしていたことだろうと考えると、確実に”他の事に時間を取られた”状態ですな。というのは朝日新聞の記者なんぞいくらでもいるけど、あべさんは一人しかいないわけで、4年前の出来事とはいえその対応にずいぶん時間と神経を使っただろうし、その分、対北関係への対応に充てるはずだった時間と能力は確実に削られたことだろう。

アサヒが囮となって対北強硬派の時間を割く。いい作戦だ。

 

 

[注1] 

 

http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=327670&log=20030912 

 

2003/09/12 () ”管理者”を目指し始めた革新官僚たち(2)

 

(一個下の続き)

市大”改革”におけるこれら一連の事務局官僚作成による教務・事務分割案は、いわゆる”行政経営””パブリック・アドミニストレーター”理論について職務の傍ら研究していた(つまりヒマを持て余していた)官僚兼研究者?的な地方中堅幹部たちにより体系化されてきたものであり、その起源は、某”座長”らによるインスタントかつ「昼飯はチキンラーメンと卵でいいな?」並みに手抜きな”プ(略)カレッジ案”などよりもずっと古い。

これらの理論の担い手として市大”改革”の叩き台づくりに参画しているのは、某大学に本拠を置く”行政経営”を研究している某研究会グループ、同様の分野に関心を持つ某新設大学の教員つながりグループ、あるいはみなとみらい等の”都市開発”や都市国際化等に関わっていた、某中央省庁出向組を含む市中堅グループ等で、これらが時に”人事交流”しあい、時に足を引っ張り合いながら練り上げてきた、いわば現代の最先端(笑)”理論”なのである。

 

偶然と言うべきか、市大”改革”では、大学”改革”の実績をアピールし、また”改革”に対する批判をひきつける為のフレアーとして”プ(略)カレッジ”案が先に表に出された格好だが、実は現在の大学”改革”の真の目的は、この”パブリック・アドミニストレーター”理論に基づいた、大学の「経営・管理」権の奪取、ということのようだ。「プ(略)カレッジ」の具体的な中身が、現在もなお”ほとんど不明”ということは、実はそれ自体があまり重要でないハリボテだということを示している。官僚にとって重要なのは、教授会等に代わって名実共に”大学の管理者”として大学”経営”に生き残りかけ、さらにそこでの利権にあずかりたいということのようである。研究者の間では、これらは「違法」であるとの批判も根強いらしいのだが、なんとも手回しのよいことに、彼らは某省庁に法改正を働きかけ、来年初頭にも国会提出との話だ。マジで。彼らが現代の”革新”官僚と呼ばれるゆえんであろう。

これは、今までの「公僕」「パブリック・サーバント」という認識に替わって、”公共の管理者”理論を武器とした、新たな、よりいっそう強固な”官の支配”の確立であり、そこに待っているのは先日書いた新設D(略)N大的惨状であろう。まさに時代に逆行した理論と言える。

 

2003/09/12 () ”管理者”を目指し始めた革新官僚たち(1)

 

最近、市大の事務官僚によるアクロバティックな暴走について、「大学のことを何も知らないアホバカクソ素人がたかだか2〜3年のローテで関内から降ってきて好き勝手に大学を引っ掻き回していきやがってチョー迷惑」なので「市大もプロとしての事務職を育てるべき」、という批判があちらこちらで出されるようになってきている。だが、これまでさんざん同様のことを市大に強襲降下してくる”パラトルーパー官僚””規制派革新官僚”の暴走による弊害としておもしろ半分におちょく…いや、批判してきた本紙としては、「今ごろ何言ってんの」状態であるが、これからの市大どころか日本に仇なすのは、まちがいなくこれらの新”革新”官僚とも言うべきグループだろう。それはそうと、おかげで「革新官僚」で検索するとエライ事になっとるな。真面目に「革新官僚」の研究してる人たちごめんなさい。あう、あう、あう…。

 

だが、これらの”事務局=素人”だからイクナイ、という線での批判は、一歩間違うと事務局幹部による、さらなる権限強化に大義名分を与えることにもなりかねないのだ。

というのは、「大学にふさわしい”経営者”を育てればいいんだろコノヤロー」ということで彼ら官僚が持ち出してきたのが、他ならぬ大学における学究・経営の分割理論、すなわち教授会と理事会の分離と、理事会(=事務局)の権限強化案だからである。まさに「転んでもタダでは起きない」「自らに対する批判を自らの権限強化にすりかえる」という官僚の十八番である。ふむ、なかなかの手並みである。というか、まさに市大や関内で”あり方懇親会”が開催され、一部の教員たちが注視していたころ、某所では市大”革新”官僚による「大学の”管理者”としての事務官僚による大学経営」とその為の「事務局権限強化」についての研究が頻繁に行われていたというのだ。ヒョー。

事務官僚が「素人であることが悪い」というのなら、同じく教授会の自治も学生の自治も”素人”だから同様に悪いということになり、これまでの伝統的な「大学の自治」の考え方そのものが悪い(素人だから)ということになりかねない。”経営のプロとしての官僚がいるんだから、教員学生(素人)は黙ってろ”という方向に持っていくのが狙いだろう。てか、もともと某懇親会の言う”赤字”は”経営者気取り”の官僚が作ったんだが、そういう反省は皆無なんだろうな。

(続く)