ライスさん、そりゃないよ 澤藤統一郎の事務局長日記 (2005.3.18)

 

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2005年03月18日(金)

ライスさん、そりゃないよ  

常の世に「強者の論理」というものがある。
経済的強者は市場自由化の徹底を求める。弱肉強食を当然とする。
政治的強者は多数決の万能を言う。少数者の人権を顧みない。
軍事的強者は先制的自衛権を主張する。暴力による国際政治の肯定である。
強者の横暴を合理化する「強者の論理」には、徹底した批判が必要だ。文明とは、強者の横暴を許さぬことと同義なのだから。

ときに、「強者の非論理」というものがある。
自国を神州とし不滅と称える。
他国の地を「日本の生命線」と言ってのける。
大東亜共栄を掲げて近隣諸国を侵略する。
戦時性暴力を「商行為」という。
「番組改変の要求などしていない。公正・中立を求めただけ」。
「思想良心の自由を侵害などしていない。学習指導要領の遵守を求めただけ」。
市場の自由化を唱えつつ、自国の輸入障壁を高くする。
民主化のために殺戮を辞さない、‥‥。
「強者の非論理」には、論理の一貫性・整合性がない。普遍性に欠け、通じるのは身内だけの話。ゴロツキのゴリ押しと変わらない。あの、東京都「非教育委員会」と同様である。論理的な批判だけではなく、抵抗が必要だ。

今晩、ライス国務長官が来日する。携えているものは、「最強者の論理」「最強者の非論理」である。北朝鮮核問題やトランスフォーメーションについては別の機会に言及するとして、牛肉輸入早期再開を求めているのは「強者の非論理」の典型。ゴロツキのゴリ押しの鉄砲玉役を国務長官自らが演じている図である。アメリカとは、何と慎みのない非文明国なのだろうか。

資本主義の合理性は、究極において消費者の利益を実現するという建前に依存している。日本の消費者に安全性の確認されない牛肉を食わせろ、という圧力のどこに正当性があるのか。安全な消費生活に優る価値はないのだ。アメリカもBSEの危険を根拠に、カナダ牛の輸入制限をしているではないか。しかも、議会との連係プレーで、「牛肉輸入を再開しなければ、経済的な制裁措置を発動する」との脅かしである。私は、けっしてナショナリストではないのだが、「日本人を馬鹿にするな」とも言いたくなる。

アメリカ畜産業界のセールスウーマンに対して日本政府が歯の浮くようなお世辞を言ってはならない。ゴロツキの脅迫に屈して、日本の消費者の安全と安心を売り渡すようなことがあってはならない。「脅しに屈してはならない」とは、かつて政府が口にしたことがある言葉だ。二枚舌を使うことのないよう、厳重に監視しよう。

島村農水相は、2月25日の衆院予算委員会で「肉牛の全頭検査は世界の非常識」と言ってのけた。駐日アメリカ大使から要請を受けて、「彼の気持ちにもこたえなければいけない」と思っての発言だという。日本国民の命や健康より、アメリカの要請を優先する姿勢。一昔前にはこのような人物を売国奴と呼んだはず。