「役人大好きの、モノを言わせなくさせるシステムを構築する手段として任期制を導入しようとしているのであると見て間違いなかろう」

 

「公立大学という病」 更新雑記 (2005.3.18)

http://myoshida64.hp.infoseek.co.jp/ycu/ycu2004.html

 

 

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更新雑記

  • 05/3/18 横浜市大の最高経営責任者の名で出されている「任期制運用の基本的な考え方について」という文書を一瞥した。何故、任期制を導入すれば教育や研究が活性化するのか、なぜ教員等の交流の活性化が促進されるのか、説得的な説明は何もない。ただ任期に同意しなければ差別しますよという宣言がなされているだけである。争議権が否定されている公務員だからこそ、こんな無茶苦茶な案を押し付けてこれるのである。
     「普通にやっていれば再任される」制度というのは噴飯ものだ。そのように考えているのならば、「期間の定めのない」雇用とするのが通常の雇用の考え方である。しかし何らかの理由で市大には任期制が是非とも必要だというのであるならば、その理由こそが語られなければならない。それが経営責任者としての説明責任であろう。しかし、それはまったくなされず、脅迫めいた説明があるだけだ。
     また「任期制は、任期の期間の雇用を約束するもので、教員のリストラを第一義の目的としたものではありません」と書いてある。文の前半はあたり前のことを書いているだけだ。三年契約とは三年間の雇用を約束するだけだ。どういう文脈で、文の後半につながるのかが、まったく理解できない。
     そもそも任期制とは「任期を超える雇用の約束はできない」というのが本旨である。だから、リストラを「第一の目的」としていなくても、たまたま再任の時期とリストラの時期とが重なれば、「普通にやっている」位では再任されることはまずなくなることを意味する。世間で増えている有期雇用とはまさにこの論理に基いているのである。
    再任拒否に対しては抗うことは難しい。それが有期雇用の法理であり、だからこそ簡単にリストラの道具に転じるのだ。今後市からの繰り入れ金が13億円以上の減らされるなかで、その可能性はますます高い。
     また「リストラを第一義の目的としたものではない」とすれば何がその目的なのか。本文中に多用されている「教員評価」や「大学全体」という言葉を踏まえると、教員の統制である。大学のあり方について異議を唱える教員を抑え込むのがその第一目的ということになろうか。「任期制は、教員に四の五の言わせない教員統制が目的で、教員のリストラを第一義の目的としたものではありません」と書きたかったのかもしれない。役人大好きの、モノを言わせなくさせるシステムを構築する手段として任期制を導入しようとしているのであると見て間違いなかろう。