横浜市大、役人の机上の論理でつくった改革 受験生半減、教員去り 責任は誰に? 『東京新聞』 特報 (2005年3月23日付) + [上記報道に対するコメント] (1)大学改革日誌(永岑三千輝教授)−最新日誌(3/23) (2)公立大学という病:横浜市大時代最後の経験 更新雑記(05/3/23)

 

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2005年03月24日

横浜市大、役人の机上の論理でつくった改革 受験生半減、教員去り 責任は誰に?

■東京新聞(3/23)
学問の自由と大学の自治の危機問題
 ●『東京新聞』 特報 (2005年3月23日付)経由
[上記報道に対するコメント]
大学改革日誌(永岑三千輝教授)−最新日誌(3/23)
公立大学という病:横浜市大時代最後の経験 更新雑記(05/3/23)

横浜市大 改革の責任誰に? 競争力つくはずが… 受験生半減、教員去り… 需要調査せず机上の論理で

 全国の国公立大学のなかで、最大幅の出願者減少―。四月から新体制になる「横浜市立大学」の入試状況が芳しくない。横浜市大の競争力をつけるための改革だったが、現実は受験者はほぼ半減。大学関係者からは「大学のレベルダウンは避けられない」との危ぐの声も出ている。教員の流出も相次ぐ。横浜市大の前途は―。

受験生半減、教員去り…

 中田宏横浜市長は今年の年頭所感で「改革の成果が問われるのは、世界に貢献する人材を輩出し、地域の誇りとなる大学になることだ」と発言。今月の記者会見でも「市大はもっとも期待する大学」と強気に述べた。しかし、その将来に疑問符をつける声もある。

 今春の受験で出た数字が悪すぎたからだ。出願者は前年の四千六百五十四人から、今年は二千四百二十人と半減した。昨年、大学全体で定員に対する出願倍率は七・九倍だったが、今年は三・七倍と半減以下。全国の国公立大学のなかで最悪の数字だ。

 当然、学部の入試倍率も大幅に下がった。大学改革で、前年度の理学部、商学部、国際文化学部が国際総合科学部(理学系、経営科学系、国際教養学系)に統合される。同系統で比較すると、@理学部四・八倍→理学系一・九倍A商学部五・九倍→経営科学系三・〇倍―と半減している。

 受験大手のベネッセコーポレーション担当者は「これだけ倍率が下がると、かなり入試が易しくなっているのではないか。合格者のレベルが下がっている可能性が高い」と分析。別の受験関係者は「理学系が二倍を切っている。また、合格者が私立大学に流れた可能性もある」と危ぐする。

 市大の佐藤真彦教授は「将来性に見切りをつけた複数の理学部四年生が、大学院の進学先を、すでに合格していた市大から他大学へと志望変更する連鎖反応も起きている」と指摘する。

 大学改革の目的の一つに「優秀な教員の流出防止」が掲げられたが、実際は改革が流出を加速させているという。佐藤教授らの調査結果では、過去三年間の退職者五十六人のうち、定年以外の退職者が75%を占めた。

 佐藤教授は「日本中世史の泰斗、今谷明教授(現・国際日本文化研究センター教授)の流出をはじめとして過去三年間に合計四十二人が流出し、本年度だけでも十四人の教員が去る。今月末の流出予定教員の中には、現・前学部長などの幹部教員も含まれている」と指摘する。次の就職先が決まらないまま、横浜市大を去る教員も複数いる。佐藤教授もその一人だ。

 昨年四月、他大学に移ったT教授は「ある学問分野では、自治体が改革を断行した横浜市大と都立大学の先生が他大学の公募に殺到し、いすの取り合いになっている」と内情を語る。市大理学部の一楽重雄教授も「具体的に他大学から話があれば、出て行きたい教員ばかり」と話した。

 横浜市の担当者は、受験者減少の理由について「二次試験が本年度入試から、論文だけになった。それで受験者が避けたのでは」と説明。「副理事長予定者が『来年度も倍率が落ちれば責任を取る』と明言している。体を張ってやるということ」と決意表明した。

「需要調査せず 机上の論理で」

 それでもT教授は「表向きは『学生のための改革』だが、実際は役人の机上の論理でつくった改革。今回の数字で、お客さん(受験生)の需要調査をやっていないことがよくわかった」と切り捨てる。一楽教授も当局の姿勢をこう批判する。

 「大学改革過程の後半になって参加した副理事長予定者が責任を取るというのは筋違い。今回の改革は誰が責任を持って行ったのか、実際にリーダーシップを取ったのは誰であったのか。はっきりしない。誰も責任を取りそうにない」

 

(大学改革日誌(永岑三千輝教授)−最新日誌3/23より,上記記事に対するコメント)

3月23日(2) 東京新聞記事が掲示板等にはりだされていた。「改革の責任 誰に?」、「受験生半減、教員去り・・・」。

それをスキャンして(1と2に分割して)リンクを張ると同時に、資料として保存しておこう。今回の改革が、歴史的に積み上げられてきた改革の実績を踏まえ、それを発展させるとということになっているのかどうか、教員の内発的改革意欲を結集したものかどうか、この2年間問い続けられてきたことが改めて問題として提起されているといえよう。この点は、下記(本日日誌の(1)参照)の「スポイチ編集長」の主張するところと重なる論点であろう。 トップダウンで迅速にやれば画期的な改革が実現できるというものではないことは、今回の「改革」が明らかにしたのではなかろうか。

いまなお、制度設計として深刻な問題を抱える「任期制」に差別的処遇を掲げながら同意を迫るなど、教員の士気をそぐような「決定」事項が目の前にぶら下げられている。記事の中で一楽教授が、「具体的に他大学から話があれば、出て行きたい教員ばかり」とはなしているのは、こうした士気阻喪状態の別の表現である。

これで、どうして優秀な教員があつまるのだろうか?教員組合が提示したさまざまの重要な問題点に応える姿勢は、いまのところないのである。教員組合と話し合いを始めた段階で、任期制への同意だけは求めるのである。差別をちらつかせる高圧的行政的なやり方である。やり方そのものを関心ある全大学人が見ているのである。

優秀な人材が集まらないでどうしていい大学となるのだろうか?

今いる教員が安心感と意欲を持って、前向きに努力できるようなシステム設計でないとき、どうしていい大学となるのだろうか?

『東京新聞』の記事の最後に総合理学研究科の一楽教授の発言として、「実際にリーダーシップを取ったのは誰であったのか。はっきりしない。誰も責任を取りそうにない」と書いている。たしかに、そうした面はあるが、これまでのところ、「あり方懇」(市長諮問委員会・市長任命の7人の委員)の路線(「国際教養大学」化路線、学部統合路線、3学部統合による予算削減路線、そして教授会自治・大学自治の限りなき削減・破壊、市長任命の経営陣による大学経営)が貫徹した、ということはいえるのではないか? 先日の4月以降の大学と法人の組織説明会においても、参加した教員から一番強く出た指摘、繰り返し出された疑問点は、大学の自治、学問の自由に関する諸論点であった。教員の権限、それに対応する責任の相互関係がまったく不明確なのである。経営サイドの答弁では、「権限と責任」の相互関係さえわかっていないものがあった。身分保障に戦々恐々とする教員、そうした教員がほとんど権限を持たないシステム(責任だけは負わされるシステム)、それでいい大学は作れるのか?

行政当局任命の経営陣と、それによる「経営」に「協力」する教員による大学運営。そこでは、大学教員集団の自主性・自立性・自律性は切り刻まれている。東京新聞の記事が問題とする今年度の「受験者数の半減」、レベル低下の予測などに関して言えば、問題が教授会などできちんと報告され提起されるということがなかった。たとえば、AO入試など、いったいどのような入試方針でやっているのか、どこでその入試選抜方針が議論されたのか、すくなくともわれわれふつうの教員にはまったく知らされていない。推薦入試はどうか? 「指定校」制度が今年度導入されたが、それも一度も教授会審議を経ていないと記憶する。「過去三年間の実績」なるものがいかなる基準であり、いかなる妥当性を持つのか、どのようなことを議論したのか、少なくともわれわれ一般教員は知らない。

トップダウンの決定が下された後、われわれはその実務だけに駆り出されるのである。

政策・制度の決定に参加する、決定において権限を持ち、したがって執行において責任を持つ、という自治・自律のシステムにはなっていない。一度も教授会で審議事項になったことがないのである。その教授会さえ、来年度はどうなるか? トップダウンが可能な構成になっている、と私は考える。18日の説明会における多くの疑問もその点に集中したと考える。

AO入試をやるということも、「あり方懇」答申や経営サイドからの決定、ではないか? 文書に当たって検証する必要があるが、少なくとも、教授会で審議し、決定した記憶はない。「新しい学部の入試であり、新しい学部の教授会は存在しない」ということで、やられてきたのが実態であろう。

今年度のような入試のやり方(教授会審議抜きのやり方)が来年度以降もつづけば、かつて大問題になったような(たとえば、昨日、40年勤務した本学出身のある職員の退職祝賀会で配布された資料によれば、60年安保ころの問題として、「大学民主化闘争、林学長代行問題、不正入試」とある)不明朗さが問題になるのではなかろうか? そうした危惧をすでに何人かの人から聞かされたが、その危険はあると考える。

 

公立大学という病:横浜市大時代最後の経験 更新雑記(05/3/23)より,上記記事に対するコメント)

05/3/23 22日付け毎日新聞神奈川版、23日付け東京新聞が独法化直前で混乱している市大を取りあげていることをネットで知る。特に東京新聞は、昨年「改革」について批判的に論じ中田市長を激怒させたにもかかわらず、再度批判的観点から舌鋒鋭く伝えている。きちんと中田市政下の問題伝えてくれるメディアがあるのは、本当にありがたい。
 多くのメディアが石原都政、中田市政の翼賛メディアとなり、世間受けするイメージだけを伝えている。特にテレビ朝日のサンデー・プロジェクトはひどい。あまりにも無批判にすぎ、再選のためのプロモーションビデオを見ているかのようだ。しかし、多くの国民はそれを信じている。現場から遠く離れた地方に住むようになり、私にはそうした現実がよくわかるようになった。対抗的メディアが地方には存在していないのである。
 同記事中に、この改革に「体を張っている」という役人の言葉が出てくるが、改革のしわ寄せは全て教員に向う。実際、改革の余波で定員割れとなった大学院の入試(二次募集)が先週の土曜日に行われたが、当日サポートする事務職員はほとんどいなかったと伝え聞いている。決めるのは役人、ツケは全て教員にということであろう。
 永岑先生のホームページで、市大在籍時随分とお世話になった事務職員の方の定年退職を知る。市大の卒業生でもあり、長きにわたり商学部の事務を実務面から支えてきた方だ。氏の本年度での退職は、一つの時代の終焉を象徴するかのようである。

投稿者 管理者 : 20050324 01:12