横浜市立大、「改革を強行した人々は今こそ得意の”経営責任”を示すべきである」

 

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2005年03月25日

横浜市立大、「改革を強行した人々は今こそ得意の”経営責任”を示すべきである」

スポイチ編集長日誌(3/24)

2005/03/24 (木) そろそろ市大版”恫喝文書”の出番ですかな

すべての発端となった例の”赤字幇導”を出した某地方紙が、今頃になってまた、志願者半減という事態を他人事のように、あまつさえ”大学の宣伝不足”だけに原因があるかのように書いている。これもまた「決めたのは大学です」(だから責任も大学にあるんです)という官僚の責任転嫁に向けて援護射撃でもしているつもりなんだろう。見え透いている。
”改革”の初期に”単科プ(略)カレッジ化・任期制導入”というレールを敷いた人間と、既に”レール”が敷かれたところへやってきて”改革”に従事している人々とは、責任の重さや質は等しくはない。特に、市大”改革”の初期段階では事務室潰しとか三学部消滅に典型的に見られるように、破壊衝動の発露の方が顕著であった。これは、市大に赴任させられた事自体が不満で、なんとか市大から出て行きたい、ダメならブッ壊してしまえ、という”革新”官僚たちが中心となって”改革”をリードしていたからである。”廃校”報道もこの辺の連中の仕掛けだろう。
一方、学部事務室などの「大学自治」を担保していたと言える土台部分の破壊に成功した人々が市大を去った後は、とりあえず市大は存続させておいて、今度は”教員任期制”などの学内権限奪取の方向に”改革”はシフトしている。なぜなら彼らは独法化の後も市大に居続けなければならないからで、2001〜2003年頃に活躍した革新官僚らのように、無責任に市大を潰すなどとは言えないのである。
だが、受験者半減という事実でもって外から”改革”に対する一つの意思表示がなされた以上、これを強行していた立場の人々は今こそ得意の”経営責任”を示すべきである。さあ早く。しかし本当に責任を負うべき立場の人々は自分の責任を自覚すらしていないだろう。どころか”やはり大学内部に任せておいてはダメ”、という論理により学内の教員から人身御供でも出させるのか。これまでの市大改革が完全に行政機構の上意下達で強行されてきたことは既に明らかになっている。この上なおも大学内の教員へと責任転嫁する気なのか。いずれにせ、”トップダウン”の名の下、官僚からの責任転嫁と圧力が一層強まるのは間違いない。
ここはクビ大の猿真似でもして”受験者半減やマスコミによる批判は改革に反対していた教員の責任”というマジックでも出すんですかね。もしそれをやれば中田政権は名実共に”市民派”の看板を降ろしたことになる。

 

投稿者 管理者 : 20050325 01:06