「みどりの日」から「昭和の日」へ? 澤藤統一郎の事務局長日記 (2005.4.29)

 

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「みどりの日」から「昭和の日」へ?

 

今日は「みどりの日」。明治天皇・睦人の誕生日を「文化の日」としたのと同工異曲。昭和天皇・裕仁の誕生日を国民に記憶させておこうという魂胆の日である。

 

国民の祝日に関する法律では、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としている。この法文には、昭和のシの字も、裕仁のヒの字も出て来ない。自然・みどりは誰もが受容する当たり障りのないテーマ。右派にとっては、昭和天皇の誕生日を祝日とできたは手柄としても、みどりの日という意味づけやネーミングは大きな譲歩の結果でもある。

そこで、「昭和の日」が登場してくる。推進側の主張は、以下のごとし。

 

今の「みどりの日」という祝日の名前をはじめて聞いたとき、自然を大切にされ、いつくしまれた昭和天皇を思いうかべた人々もあったと思います。

しかし、今のままで世代の交代がすすめば、この祝日の由来は忘れ去られてしまうでしょう。そうなると祝日の意義は風化します。

この日は、昭和天皇のお誕生日です。国民の心に、昭和天皇のお人柄をしたい、激動の昭和を忘れがたい気持ちが強くあったために、祝日として残されました。しかし、このままでは由来が忘れられてしまうのではないのでしょうか。

私たちは、祝日名を「みどりの日」から「昭和の日」とし、趣旨として「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日の実現を目指しています。

今の祝日の中には、身近な歴史をふりかえる日がありません。「昭和の日」ができれば、日本人が一緒に生きたもっとも身近な歴史を、暮らしのなかにとどめることが出来ます。

 

このような論調を掲げる人たちには、アジア太平洋戦争の加害責任は見えていない。戦犯としての裕仁の姿も視野の外である。枢軸国トップの責任のとりかたはどうだったか。ムソリーニは民衆によって虐殺され、ヒトラーは追いつめられて自殺した。独り、裕仁だけが占領軍の政治的思惑から戦争責任を免れ、畳の上で死ぬ幸運を手にした。その人物について、「昭和天皇のお人柄を慕い」という心情の押しつけはご免こうむる。また、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日なら、8月15日を措いてあるまい。「昭和」という時代区分がそもそもおかしいし、その時代の位置づけが偏頗なのである。

 

ところが、「みどりの日」を「昭和の日」に改めようという祝日法改正案が今国会で成立する見通しとなったという。既に、自民、公明両党の幹事長らの会談で、今国会成立を目指すことで一致したと報じられている。ああ、またしても公明の役割。

 

改正法案では、「みどりの日」は5月4日に押しやられ、4月29日の「昭和の日」は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧みる」と規定されている。

日本は、基本的にあの大戦を反省していない。戦前の旧体制を本心では懐かしんでいる。侵略戦争の最高責任者をこれだけ持ち上げているのだから‥。外からそう見られることをなんとも思ってはいないのだ。