悲劇は喜劇より偉大である 日々通信 いまを生きる 第149号 (2005.5.4)

 

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悲劇は喜劇より偉大である
     
中国のデモ、尼崎の大事故に揺れた4月は不安と動揺のうちに去って行った。

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29日は昭和天皇の誕生日、30日はヴェトナム戦争終結30周年記念の日、51日はメ
ーデー、そして、53日は憲法記念日だ。

福知山線の事故は、おこるべきものがおこったという感がある。
限りなきダイヤの過密化、効率第一主義はいつかそのような事故を起こさずにはいなか
ったのだと思われる。
逆に言えば、このような事故がおこらなければ、JRは事故を正すことができなかった
のであろう。
JRについで日航、そして静岡県警のヘリコプター、その他、三菱自動車をはじめ、事
故が頻発する。
それぞれに理由があろう。
しかし、根本には何があるか。
いま、一つの時代が終わろうとしている。
時代の終りの徴候は、これらの事故がただ一つだけではなくて、連続しておこることで
ある。
個々の事故、事件を、一つ一つ切り離すのでなく、それを全体として、総合的に把握す
る必要があるのだと思う。

『虞美人草』の末尾に甲野さんの手記として、漱石は次のように記した。

悲劇は喜劇より偉大である。これを説明して死は万障を封ずるが故に偉大だと云うもの
がある。(中略)運命は単に最終結を告ぐるが為にのみ偉大にはならぬ。忽然として生
を変じて死となすが故に偉大なのである。忘れたる死を不用意の際に点出するから偉大
なのである。巫山戯たるものが急に襟を正すから偉大なのである。襟を正して道義の必
要を今更の如く感ずるから偉大なのである。

昭和天皇の誕生日を「昭和の日」とする法案が今国会で成立を急がれている。
昭和とはどういう時代か。
私にとっては、それはあの815日で終わった。
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15日からはじまったのは新しい時代ではなかったか。
この時代の転換を転換、断絶としてよりは連続としてとらえたいという意図が「昭和の
日」制定を推進しようとするものにはあるようだ。
それは、国民を言いくるめるためにさまざまな理由を並べ立ててはいるが、戦後憲法を
変えようとする勢力の隠し持った意図であるように思われる。

明治以来の80年、たしかに日本は驚異的発展を遂げたのだ。それを偉大な民族の歴史と
いうこともできるかも知れない。
この明治以来の歴史がなければ、いまの日本の繁栄もなかった。
しかし、それはアジアの諸民族を犠牲とする残酷な歴史でもあった。そして、その結末
があの815日だったわけだ。
いま、日本の繁栄を讃美し、その上に寝そべって安きをむさぼろうとする無気力な政界
人が、戦前の日本をなつかしがるのはもっともだ。
しかし、いま私たちが立つべき地点は昭和天皇即位の日か、815敗戦の日か。

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月は、大きな展望で日本とアジア、そして世界の未来を考える月でありたい。
日露戦争から100年、戦後60年を記念するとはそういうことであるだろう。
戦後の60年を考えるとき、日本は平和憲法によって守られ、長期にわたる平和を維持し
て想像もできなかったような繁栄を実現した。
そして、日本の支配から解放された中国、韓国も、驚異的な発展をとげた。
北朝鮮はいまなお、経済的困難に苦しんでいるが、しかし、中国・韓国の支援を得て、
新しい発展の道を模索している。
かつての植民地が独立し、経済的な安定と発展を実現していることが、日本の未来にと
っても決定的に重要なことだと思う。

日本とアジアだけでなく、二度の世界大戦の惨禍を経て、世界は変わった。
はげしく対立し、覇権を競い合ったフランスとドイツが手を結び、EUが成立したこと
は、かつて想像もできなかったことだ。
このEUにかつて西側ときびしい対立をつづけた東欧諸国がぞくぞくと加盟し、経済的
にも大きな発展を遂げている。
いま、戦後六十年を迎えて、ロシアもアメリカもふくめて、大々的な祝典がおこなわれ
るのであろう。

 
独仏の結合を中軸とするヨーロッパ諸国連合と、日中の結合を中軸とするアジア諸国
連合が、二十世紀の悲惨な戦争を教訓に、相互に、信頼、互恵、平等、協力に基づく新
しい安全観が形作られていくならば、それは新しい世界史の展開となるであろう。

しかし、このひと月、反日の嵐が中国、韓国に巻きおこったのはなぜだろう。
日本政府は、中国政府に対してはげしく抗議したが、マスコミではこれでも弱腰外交だ
と非難する傾向も見られた。
「理由は何であれ」暴力行為はけしからんというのであった。
しかし、「理由」が問題なのではないか。
マスコミが連日「中国謝罪せず」という大きな見出しをかかげているのを見て、私はな
にかわびしい気がした。
とにかく、この混乱を契機に、中国政府は強力なデモ取り締まりをし、小泉首相はバン
ドン会議で村山談話を繰り返して、形式的ではあるが小泉・胡錦濤のトップ会談も行わ
れた。
両国政府は日中間の結びつきが両国にとって死活の問題だということをあらためて認識
したのであったろう。
小泉首相は「雨降って地かたまる」などと言っていたが、そして、日本側はデモさえな
ければ、時がたてば問題は解決するかのように思っているが、はたしてそうか。

胡錦濤主席をはじめ中国側が強調しているのは、「行動で示せ」ということだった。一
応の収拾はしても、中国や韓国側の日本に対する不信は深いようだ。
これを見あやまって、中国も韓国も、日本との経済関係を無視しては成り立たないのだ
からと甘く見ていると取り返しがつかなくなるのではないか。

問題の根源は「歴史認識」にある。
明治以来の日本の発展をどう見るか。あの侵略戦争をどう見るかという問題である。
この点で、それを遠い過去のことととして、ただ、「未来志向」で行こうというだけな
ら、アジアもヨーロッパも納得しないだろう。

過去はもう取り返しがつかないのだから、いつまでもそれにこだわって未来を閉ざすの
は間違っているだろう。
しかし、過去をどう考えるかはいまの問題だ。

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