何度でも言おう「靖国神社公式参拝は違憲だ」 澤藤統一郎の事務局長日記 (2005.5.7)

 

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20050507日(土)

 

何度でも言おう「靖国神社公式参拝は違憲だ」  

 

靖国神社への公式参拝は憲法に違反する行為である。だから、憲法遵守義務を負う公務員は、その公的資格において靖国参拝をしてはならない。「中国や韓国からの外圧があるから政策としてやめておこう」というものではない。

 

公式参拝が違憲な所以は、靖国神社が宗教施設であるからだ。従って、伊勢神宮でも明治神宮でも、あるいは東郷神社・乃木神社でも同じこと。とりわけ、靖国神社は昔も今も天皇と緊密に結びついた神社であり、かつて天皇制の軍国主義・侵略主義を代表する宗教的軍事施設だったからでもある。「天皇のために侵略戦争を指導したA級戦犯を祀っている」ことは、靖国の性格を際だって象徴するものであるが、その合祀を取り下げれば公式参拝の違憲性が薄らぐという筋合いではない。

 

言うまでもなく、憲法が厳格な政教分離規定(憲法20条3項・89条)を置いたのは、天皇制や軍国主義への国民精神総動員に宗教を利用したことへの反省に基づくものである。「天皇の兵として闘って死ぬことが臣民としての最高道徳」「天皇の兵としての戦死者には靖国の神として祀られる名誉が与えられる」という靖国の教義の復活を許さないためのものである。

 

小泉首相が、「平和を祈念するために靖国に参拝する」「ふたたび戦争を起こさぬために参拝する」というのは、あまりに無知・無教養・無神経・牽強付会。平和を求めるならば、ふたたび戦争を繰り返さぬ誓いをしようとするならば、侵略と軍国主義の象徴である施設に行くべきではないのだ。

 

明日は、5月8日。ドイツ降伏の日。ドイツの歴代の首脳は、「平和を祈念するために訪れる」にふさわしい場所として、アウシュビッツやノルマンディーを選んでいる。小泉首相よ、南京で、柳条湖で、盧溝橋で、重慶で、ソウルで、広島・長崎・沖縄で、パールハーバーで、反省と平和渇仰の意を表すべきではないか。

 

靖国が靖国であるかぎり、国や公共団体とのとの関わりはいささかも許されない。最高裁は、玉串料奉納については大法廷の圧倒的多数でこの当然の理を認めた。が、残念ながら公式参拝についてはまだ最高裁判例がない。公式参拝を違憲と争って、最高裁の実体判断を求める事件が組めないからだ。岩手靖国違憲訴訟が、高裁段階での違憲判断を勝ち取ったが、最高裁の判断を仰ぐまでには至っていない。問題は、これを可能とする訴訟類型がないことである。

 

いま、違憲国賠訴訟が果敢に損害論の壁を乗り越えようと挑戦を続けている。その成果を待ちたい。