関岡英之氏の偉大な発見 「年次改革要望書」 森田実 (2005.5.8)
森田総研 http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/A7.HTML
2005.5.8
新たな公共事業が日本を救う[7]
「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」の拘束から脱却することなくして日本の自立と再生なし(その6・補論2)――関岡英之氏の偉大な発見
「不幸というものは、耐える力が弱いと見てとると、そこに重くのしかかる」(シェークスピア)
--------------------------------------------------------------------------------
「年次改革要望書」が日米経済関係における決定的文書であることを発見したのは関岡英之氏である。この貢献は大きいと思う。深く敬意を表したい。
関岡英之氏(ノンフィクション作家)の著書『拒否できない日本――アメリカの日本改造が進んでいる』(文春新書)を目黒駅の有隣堂で見つけたのは、2004年5月5日のことだった(発売されたのは4月中旬)。すぐに帰宅して繰り返し読んだ。強烈な印象が残った。
実は、日本が米国への従属国家化を深めていることは、私にはわかっていた。着々と計画的に従属国化が進んでいることも知っていた。米国政府が日本政府をコントロールし、日本政府の指針になるような指令書のようなものがあるはずだと思いながら、見つけることができなかった。発見したら著書を出そうとも考えていた。
2004年5月5日、ついに発見した。それは、1961年生まれ、元東京銀行員で、早稲田大学理工学部大学院で建築学を学んだ建築家の関岡英之氏の著書のなかに書かれていた――これが、「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」である。
関岡英之氏は本書の「あとがき」でこう書いた。
《いまの日本はどこかが異常である。自分たちの国をどうするか、自分の頭で自律的に考えようとする意欲を衰えさせる病がどこかで深く潜行している。私が偶然、アメリカ政府の日本政府に対する『年次改革要望書』なるものの存在を知ったとき、それが病巣のひとつだということはすぐにはわからなかった。
だがこの病は、定例的な外交交渉や、日常的なビジネス折衝という一見正常な容態をとりながら、わたしたちの祖国を徐々に衰退に向かって蝕んでいるということに、私はほどなくして気づかされた。まるで癌細胞があちこちに転移しながら、自覚症状の無いまま秘かに進行していくように、私たちの病はすでに膏肓に入りつつある。》
名文である。力強い。関岡英之著『拒否できない日本』を繰り返し読んでいるうちに、私は、関岡氏は日本を蘇らせる救世主ではないかと考えるようになった。“関岡氏のこの著書を全国民が読み、日本の真実の姿を知ることができたら、日本を変えることができる。どこまでできるか、とにかくやってみよう”という気になった。しばらくすると、多くの人が関岡氏に注目するようになり、関岡氏の論説に関心を示すようになった。今やっと一歩踏み出したところである。全国民が「年次改革要望書」の本当の意味を知ったとき、日本は自立と再生への第一歩を踏み出すことが可能になる。
もう一つ、勇気ある記事をあげることをお許しいただきたい。朝日新聞社発行の週刊誌『アエラ』2005年4月18日号の記事「〈現地報告B〉アメリカ帝国の神々」 である。この欄で「アメリカンスタンダード広める年次改革要望書」を取り上げたのだ。この記事は衝撃的なものである。同誌編集部の石川雅彦氏が書いている。
《安全保障面のアメリカ追随ばかりが目につく裏で、静かに通産関係が変質しつつある。声高なガイアツが鳴りを潜め、気づかぬうちに、アメリカンスタンダードに侵蝕されている。》
記事のなかに衝撃的なやりとりがある。答えているのは、最近までUATR(アメリカ通商代表部)で働いていて、ごく最近辞めた人物である。
《「日米間で毎年交換している年次改革要望書とは、USTRのなんではどんな評価なんですか」 「あれは、二国間交渉のひとつの理想型でしょう。文書に掲載することで、日本が米国の意向をくみ取り、国内調整をして貿易障壁を取り除いてくれるんですから」》
「年次改革要望書」による二国間交渉は、米国政府にとって理想的なものだというのである。日本側が自主的に米国政府のいうとおりに日本を改造してくれる、というのだ。 さらに石川記者は書いている。
《要望書が登場して10年。その間米国側が取り上げたもので、その後日本で法改正や制度改正が行われた主なものは、
・持ち株会社解禁(97年)
・NTT分離・分割(97年)
・金融監督庁設置(97年)
・時価会計(00年)
・大規模小売店舗法の廃止(00年)
・確定拠出年金制度(01年)
・法科大学院(04年)
00年の要望書では、公正取引委員会の所管庁を総務省から内閣府に移すよう要求している。理由は、総務省が郵政事業や通信事業も管轄しているため、同じ傘下にある公正取引委員会が郵政民営化で中立に動くか疑わしい、というものだ。そして結果的に03年、所管官庁が変わった。》
小泉・竹中体制になって以来、米国政府の対日要求が、そのまま日本政府の強い意思として実行されている。日本政府が米国政府と同じになってしまっているのである。しかも、小泉首相は国内の反対派に対しては非妥協的だ。これをマスコミがバックアップしている。
日本は、1億2700万人の人口をもち、独自の言語と伝統と文化を有する独立した国である。この日本国の政府が自主性を放棄し、あたかも風にそよぐ葦のごとく、信念も定見もなく、米国政府のサーバーントのように振る舞っている。これでいいのだろうか。日本国民全員に問いたい。本当にこんな日本でいいのか、と。そして、この真実を国民に知らせないまま、郵政民営化という日本の将来を左右する重要問題が強引に決定されようとしている。本当にこれでいいのだろうか。