「靖国と君が代」問題 矢吹 晋(横浜市立大学名誉教授):05/3/22「胡錦濤体制下の中国―中国経済はどこへ向かうのか」より当該箇所のみを抜粋 (2005.5.10)

 

矢吹晋チャイナ・ウォッチ・ルーム http://www2.big.or.jp/~yabuki/ 

http://www11.big.or.jp/~syabuki/koen/to050322.pdf (全文)

 

 

中国の愛国主義と日本ナショナリズムの反発

そういう形で中国の愛国主義が突出してきた。これに反発して、日本側にも逆にそれへの反発の形で実はこれを支持する結果になる要素が日本にもあった。その典型が靖国問題です。ご承知のように、小泉首相は二○○一年に就任してから四回続けて参拝し、中国との関係が本当にメタメタになった。首脳訪問は途絶えて、いまどうしようもないところまで追い詰められた状況です。小泉の靖国四回参拝に、日本国内での批判はあるにしても、まだ世論の半分ぐらいは参拝を支持している。それは中国ナショナリズム、あるいはその対日政策に対して違和感を持っている日本人がたくさんいる。そういうものを踏まえて小泉は参拝パフォーマンスを繰り返しているわけですね。

 

武士道精神とはなにか

靖国神杜自体について私の考えを簡単に申し上げます。故中村元という仏教学・宗教学の専門家がおられました。中村教授の解釈を私は非常に正しいと考えています。日本古来の武士道精神について、「戦争における勝者は、敗者の死骸に合掌して立ち去るのが常であった。これが武士道だった。我々の祖先は、国と国の対立を超え、異なった宗教の間の相克を超えて、敵味方の冥福を祈ったのである。この崇高な、和らぎをいとおしむ日本の伝統的精神、すなわち、武士道あるいは日本のよき伝統が、明治のころから失われたのだ。そこでできたのが靖国神杜だ」(「ジュリスト』一九八五年一一月一〇日号)というわけですね。

私は朝河貫一(一八七三〜一九四八、比較法制史家、元イェール大学名誉教授)という人を研究しているのですが、彼も武士道を論じて、一般に言われている武士道というのは全く間違いだ、ほんとうの武士道とは違うと厳しく批判しています。百年前の話です(Japan Old and New: An Essay on what New Japan owes to the Feudal Japan 1912、邦訳「武士道とはなにか」横浜市立大学論叢人文科学系列第五四巻第一〜三合併号二○○三年)

 

靖国に祭られていない人々

靖国についていえば、そういう日本古来の誇るべき伝統を踏まえたものか、神道の伝統的考え方にかなった神社かどうかということをよく考えなければいけないということですね。例えば小泉さんは、死んだらみんな神様、仏様になるんだから死者を区別していいのかと語りましたが、これは事実に合わないウソですね。私は、福島県守山藩の出身です。会津藩ではないけれども、私の小藩は会津藩や二本松藩に預けられたことがあります。そこで会津藩士たちの運命に関心がある。会津藩士は靖国に祭られていない。死んだ人はみんな神か仏になるとは、大ウソですね。

江戸無血開城の人気者・西郷隆盛も、祭られていないし、日露戦争の連合艦隊司令長官である東郷平八郎元帥も祭られていない。彼は病死した。そして乃木希典陸軍大将。彼は明治天皇の大喪当日殉死したので、やはり祭られていない。死者を厳しく選別するのが靖国の立場であり、ここをごまかすのは許されない。平気でそういうウソを言って、それが通っているのは実におかしなことです。

 

みやしろのこと憂いは深し

靖国問題については、中曽根総理が一九八六年に胡耀邦に手紙を書いています。これは非常にいい手紙です。その一節を私のレジュメの七ぺ一ジに引用したので、ぜひお読みください。中曽根総理は自分としてはこういうつもりで参拝したけれども、隣国の感情を傷つけるのは本意ではないので断念したという手紙を書いた。

私が靖国について思うのは、中国や韓国が文句を言っているからではない。そうではなくて、日本人の内部でも合意はとれていないということを言いたいわけです。例えば典型的な例として、天皇は今参拝できない状況にあります。

 

この年のこの日にもまた靖国の、

みやしろのこと憂いは深し

 

これは昭和天皇の歌です。昭和天皇は、A級戦犯が合祀されてからは靖国に参拝していない。参拝しないという形で意思を表示しています。それを引き継いで、平成天皇も参拝しない、参拝できる状況にはないのです。一部の無責任な煽動家たちは、こだわらずに天皇も行くべきだなんてことを言っている。本当に程度の悪い政治家が大きな声を出しています。そういう愚劣な声で政治が動かされるならば、それは民主主義というよりは衆愚政治になります。実に困ったことです。昭和天皇も、平成天皇も、一つの信念に基づいて、そういう態度をとっているわけです。そのことを全く理解しないのは政治家の怠慢というか傲慢というか、許し難いものだと私は考えるものです。

中国や韓国が非難する、しないの問題ではなく、日本人自身の問題として考えて靖国は日本民族の素晴らしい伝統にかなったものではないということです。実は私の母方は神主の系統です。元和五年三月(一六一九年)に大宮司の「御許状」を得て以来十三代にわたって神職でした。そこで私は子供のころから、神道とは何かを考えてきた。私の感覚は、まさに中村元教授の言う、敵側の死者に対して合掌する。そういう武士道精神に裏付けられて発展してきたのが神道の本流なんですね。靖国は死者を差別しており、異端なのです。明治になってからできた異端であって、正道ではないということですね。

靖国神杜については、故石橋湛山が敗戦直後に書いた「靖国神社廃止の議…難きを忍んで敢て提言す」も興味深い論説です。内容をご紹介する時間はありませんが、いま『全集』に収められているので、図書館で読むことができます。私は若いときに東洋経済新報社に数年勤めて、石橋湛山宅を訪問したこともありますが、この論説を知ったのは最近のことです(『東洋経済新報』一九四五年一○月一三月号社論、のち『全集』第一三巻所収)

 

「君が代」は挽歌である

もう一つ申し上げたいのは「君が代」の話です。私の大学時代の友人に溝口貞彦という人がいます。二松学舎大学教授です。彼が昨年、『和漢詩歌源流考』という本を書きました。この本は非常に面白い。「君が代」の歌詞はお葬式の歌、すなわち挽歌であることを論証しています。まず、語彙の問題。「さざれ石が巌となりて」とは、どんな意味か。これは自然科学の常識に反する。「巌がさざれ石に」なるのは自然だが、逆はない。これは「ちりも積もれば山となる」と思想であり、仏教でいえば、「微塵を積みて山となす」思想を説いたものだと溝口教授はいう。語彙の分析から思想の分析に至り、最後に何よりも決定的なのは、「万葉集」では、君が代の本歌は挽歌に分類されています。紀貫之が古今集を編んだ時に、勝手に賀歌に分類したわけです。

もともとが挽歌だから、挽歌の色彩を非常に強く帯びています。こういう葬式の晩歌を祝いの席で、日本民族の伝統だといいなして、無理やり歌わせるのは、無知もいいところ。滑稽きわまる。これも日本の健康なナショナリズムとは見なし難い。この辺のことも、我々はよく考えて、健康なナショナリズムを育てなければならない。でたらめなナショナリズムを煽るのは、本当の意味で日本の文化を誇る態度ではない。