「昭和“聖戦”の日」法案可決成立 kitanoのアレ (2005.5.14)

 

http://d.hatena.ne.jp/kitano/ 

 

 

昭和“聖戦”の日」法案可決成立

 

北海道新聞が良い社説を書いています。

 

昭和の日*何のための改名なのか(5月14日)

http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20050514&j=0032&k=200505141458

昭和の日とする目的は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ためだという。

具体的にどういうことなのか。

当初、「昭和天皇の遺徳をしのぶ」などの文言を入れたいとの声があったように、天皇崇拝や戦前回帰の願望がにじんでいることは否定できない。

「激動の日々」とは言うまでもなく日中戦争太平洋戦争、敗戦など「戦争の日々」の言い換えである。

衆院通過後、参院での審議が遅れたのは、過去を反省していないとして日本を批判する中国、韓国に配慮したためだった。新たな刺激を生みかねないという懸念を持つこと自体、改名の裏にあるやましさの証明だろう。

両国の批判が一段落したから成立させたというのも、国民が祝う日にふさわしい姿とは言えまい。

改正案はこれまで二度も廃案になりまともな論議もされていない。

みどりの日は「国民の休日」である五月四日に移すのだから国民生活に影響はない、重要法案でもないといった軽い認識しか野党民主党も持っていなかったとすれば驚くほかはない。

自民党内の、天皇の「元首」化を求める改憲論や教育基本法を改正して「愛国心教育」を行おうとする動きと合わせれば、その意味はけっして小さくないのは明らかだろう。

実際に昭和の日となるのは二○○七年からだが、昭和天皇賛美の方向で記念行事を催すなら、天皇政治的利用である。九条を否定し、戦争のできる国をめざす改憲論と表裏一体とみなければならない。

ただ国民の側で、昭和の日本が朝鮮半島や中国などで取った行動、国際舞台での外交や米英などとの戦争に至った理由を若い世代と共に客観的に考える日にすることは不可能ではない。

戦争の惨禍とそれをもたらした国家体制を再現してはならないことを国民共通の決意とするためというなら、昭和の日にも意義は生まれよう。

それこそ「国の将来に思いをいたす」ことになるのではないか。

衆議院

国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案 議案審議経過情報

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/keika/1D9A936.htm

提出時法律

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g15901014.htm

[要綱]

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/youkou/g15901014.htm

二 昭和の日は、四月二十九日とすること。

三 昭和の日の意義は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。」とすること。

修正案1:第162回提出(可決)

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/syuuseian/1_2A26.htm

国立公文書館

http://www.archives.go.jp/

デジタルアーカイブ

http://www.digital.archives.go.jp/index.html

終戦の詔勅 御署名原本

http://jpimg.digital.archives.go.jp/jpg_prg/jgmWeb.dll?TmpFileDisp?env=jpeg2k_images/document/goshomeigenpon/shosho/shosho.env

戦後日本政治・国際関係データベース

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/

サンフランシスコ平和会議関連資料集

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/indices/JPUS/index-sf.html

サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19510907.S1J.html

世界のどこにも将来の世代の人々を戦争の惨害から救うため全力を尽くそうという決意が日本以上に強いものはないのであります。

われわれは、諸国の全権がさきの太平洋戦争において人類がなめた恐るべき苦痛と莫大なる物質的破壊を回顧せられるのを聞きました。われわれはこの人類の大災厄において古い日本が演じた役割を悲痛な気持をもつて回顧するものであります。

私は、古い日本と申しましたが、それは古い日本の残骸の中から新しい日本が生れたからであります。

わが国もさきの大戦によつて最も大きな破壊と破滅を受けたものの一つであります。この苦難によつてすべての野望、あらゆる征服の欲から洗い清められて、わが国民は極東ならびに全世界における隣邦諸国と平和のうちに住み、その社会組織をつくり直して、すべての者のためによりよい生活をつくらんとする希望にもえております。

日本はその歴史に新しい頁をひらきました。われわは国際社会における新時代を待望し、国際連合憲章の前文にうたつてあるような平和と協調の時代を待望するものであります。われわれは平和正義進歩、自由に挺身する国々の間に伍して、これらの目的のために全力をささげることを誓うものであります。われわれは今後日本のみならず、全人類が協調と進歩の恵沢を享受せんことを祈るものであります。

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