改革のための改革が変質させる大学―横浜市立大学「改革」の現状と問題− (2005.5.16)

 

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2005年05月16日

改革のための改革が変質させる大学―横浜市立大学「改革」の現状と問題−

 下記に,大学評価学会誌『現代社会と大学評価』創刊号(『「大学評価」を評価する』晃洋書房,2005年5月10日)に掲載された中西新太郎氏の論文「改革のための改革が変質させる大学―横浜市立大学「改革」の現状と問題―」を掲載します。横浜市立大学「改革」の経緯と現状,および問題点がクリアな形で理解できます。
 なお,同論文のHP掲載にあたり,著者の中西新太郎氏および大学評価学会編集委員会からご承諾を頂きました。お礼申し上げます。(ホームページ管理人)

■論文「改革のための改革が変質させる大学―横浜市立大学「改革」の現状と問題―」(208〜216頁)より全文掲載(出所『「大学評価」を評価する』(大学評価学会誌『現代社会と大学評価』(創刊号)晃洋書房,2005年5月10日)
同論文(PDF版)

改革のための改革が変質させる大学
―横浜市立大学「改革」の現状と問題−

 

中西 新太郎

 横浜市立大学「改革」は、東京都立大学の再編と並び、巨視的にみて政治権力による大学改変の先導的モデルとなっている。石原都知事の強引な手法がきわだつ都立大の場合と比較し、横浜市大への行政介入の実態、介入メカニズムは外部から窺いにくく、「改革」モデルとしての性格もつかみにくいと思われる。そこで以下では、行政管理大学への道を歩む横浜市大「改革」の現状とその問題点について報告したい。

T 強要された「改革」
 今回の横浜市大「改革」が2002年4月に誕生した中田宏横浜市長のイニシアティヴによることは、市長自身の言明はどうあれ、疑いえない。中田市長は、就任早々、港湾病院等と並んで大学を改革対象に挙げ、9月には、市長諮問機関「市立大学の今後のあり方懇談会」(座長・橋爪大三郎東京工業大学教授)を発足させ、改革圧力を外部から加えてゆく。翌年1月、「横浜市大の累積赤字1100億円、廃校も選択肢」という大見出しのついた橋爪座長試案の地元紙掲載
1) は、市の意に添った「改革」を受け入れさせる政治的脅迫として有効に機能した。「累積赤字」の大半は付属病院建設費を賄う市債であったが、新自由主義行政改革の財政手法であるバランスシート的手法2)を大学部局に用い、これが大学の「赤字」と宣伝されたのである。
 こうして、独立行政法人への移行、学部統合、大学組織・教員人事制度の抜本改変を謳う「今後のあり方懇談会」答申(2003年2月)を学長に呑ませる
3)ことに成功した横浜市は、前田正子副市長を本部長とする「大学改革推進本部」を設置するとともに、大学側が「自ら」改革案を提出するよう期限付きで求めた。事務局、教員同数で組織された学内の改革案策定委員会(略称「プロジェクトR」)は、失笑を呼んだ「プラクティカルなリベラルアーツ」という理念像はもちろん、カリキュラム内容等にまで立ち入った「今後のあり方懇談会」答申の枠内で、市の意に添う改革案(「横浜市立大学の新たな大学像について」)を作成した。2005年度からの独立行政法人化、商学、理学、国際文化3学部の統合(学部名は「国際総合科学部」)、全教員の任期制移行、教授会からの教員人事権剥奪などを内容とした同案(以下、「新たな大学像」)は、2003年10月、評議会内の強い反対を押し切った学長により若干の修正を経た上で市に提出された。この過程で、商学部、国際文化学部の度重なる反対決議は一切無視された。
 「新たな大学像」を大学の自主的改革案とみなした上で、中田市長は、同年12月、独立行政法人発足時の理事長予定者を発表するとともに、大学改革推進本部に改革実行のためのプロジェクト部会を設置し、改革協力を条件に教員を組織し、行政主導の改革準備に入る。教授会はもちろん評議会もふくめ、現行大学組織はこの時点以降、改革準備から切り離され、新たに発足する大学組織と形式上無関係の状態におかれた。学則、規程はもちろん、学内での組織的手続きに一切拠ることのない改革準備が、教員人事もふくめ、現在にいたるまで進行している。その過程を振り返るなら、「自主的改革」という宣伝とは裏腹に、行政権力の介入が、脱法的とさえ言える仕方で行われてきたことはあきらかである。

U 現状を変えることだけが至上命令とされた理念不在の改革検討
 このように強要された横浜市大「改革」の内容上の特質を押さえておこう。
 横浜市当局に大学の将来像、理念像にかんする明確な構想が存在しているとは言い難く、改革像は、この点で、財政負担の軽減や地域貢献策、実用教育への転換とリベラルアーツ教育の強化など、さまざまな要素が雑居する内容となった。「オンリーワン」たることを求める市長の意向に添うべく、ともかく現状を変更させることだけが至上命題とされ、コース名から科目名にいたるまで、「現行と同じでないこと」が追求され強要された。横浜市大の教育・研究にかんするリアルな実態分析
4)欠くそうした改革作業は、ほとんど思いつきに類する提案の混入を許し、また、「大学経営」の観点からしてもマイナスと思われる「改革」策を出現させている。たとえば、文系教職免許の廃止といった理解に苦しむ方針はその一例である。
 もちろん、大学受験界での横浜市大のパフォーマンスがこれまでほぼ良好な水準にあった
5)としても、公立大学として果たすべき役割を大学全体としてどうとらえ遂行するかは真摯に検討しなければならない課題であるし、学生教育等についての見通しをもった取り組みも不断に追求する必要がある6) 。各研究分野の特性を踏まえながら、学部利害にとらえわれない大学理念・戦略を追求するのは当然のことである。
 しかし、上述したような理念なき改革作業の連続は、この課題追求を逆に不可能とした。「プラクティカルなリベラルアーツ」という理念像についても、この下で打ち出された種々の「改革」策についても、それなりに実効あるプランにするために不可欠な学内での検討・議論でさえ忌避されてきた。改革準備をになうプロジェクト部会は全体として密室裡に作業をすすめ、異論や別提案にたいして開かれた協議・討議を行わない。改革評価の前提となるプログラム立案の責任主体が明確にされず、なぜそのプログラムを採用するのかについて、異論等を踏まえた説明もされない。実際上準備作業にかかわる教員が存在するから、具体的検討場面での問題点の指摘は行われているが、それらが集積され大学理念を彫琢し豊富にする民主主義的な保障はまったく存在しない。たとえば、大学の地域貢献を重視すると言うなら、大学に蓄積されている諸資源の適切な評価、他方で、貢献内容についての長期的視野、発想力などが問われる。これらをあきらかにする検討機会のないまま貢献だけを強調することは、教員の意欲を喪失させる点でも、地域貢献の可能性を狭める。教育プログラムであれ、研究プログラムであれ事情は同様である
7)。「これまでとはちがう」ことだけが採用の理由(らしきもの)である「改革」理念・内容の推進は、この意味で大学を思想的に頽廃させる。

V 企業型トップダウン組織への大学改変
 「改革」理念像の曖昧さと比して、大学組織改変の方向性はきわめて明瞭である。
 「新しい大学像」は教員が「大学あるいは組織の目標に沿って」「大学から求められた役割をきちんと果たしているか」を重視し、企業組織と同様の徹底したトップダウン型組織構造に大学組織を組み替えようとした。「新しい大学像」を承け横浜市が2004年2月に提出し市議会を通過した「公立大学法人横浜市立大学定款」は、独立行政法人化された大学のなかで最初に理事長と学長との分離を規定した定款となっている。さらに、教学側の最高審議機関である教育研究審議会よりも、経営審議会の審議事項がはるかに広く規定されており、教育研究関係規則や「大学、学部、課程その他の重要な組織の設置又は廃止」、「教育課程の編成に関する事項で法人の経営に関するもの」など、広範な権限を経営審議会が握れるようになっている。運営交付金を通じての統制のみならず、経営審議機関を通じて研究、教育の内容に行政的介入・管理の可能性が広く開かれた組織なのである。「新しい大学像」が評議会に提案された時点では、教員人事を統括する人事委員会が教育研究審議会から独立した組織とされており、これはさすがに反対に遭って「学長の下に置く」とされたものの、人事委員会構成員として事務局メンバーが加わる組織構成が想定されている。学部教授会から人事権を奪うのみならず、教学組織による人事にさえ徹底した制約を加えているのである。
 独立行政法人化にともなう組織変更の眼目を、大学事務局は、教育公務員特例法から外れることと説明し、学部教授会の権限、審議事項について、学校教育法の規定も無視して制限を加え、いわば「職員会議」と同列に扱おうとしている
8)。教員人事はもちろん、教育課程編成や科目担当まで、教員間の検討や合意を経ずに決定する組織へと大学を変貌させようとしている。そしてこれは、独立行政法人への移行過程ですでに出現している事態にほかならない。
 異様とさえ映るこうした組織改変がすすむ背景には、「教員主導の大学運営の下で、教授会自治が障害となり、かつ下働きに甘んじさせられている」という職員層の反感、憤懣がおそらくははたらいていよう。学問の自由を組織的に担保する大学自治のありようを協力して追求する教員側の努力が不十分であったことは否めず、「楽な仕事に胡座をかいている教員」という像が陰に陽に流布されるなかで、「改革」はつまるところ「教員の思い通りにさせないシステム」づくりに収斂させられてゆく。原則全員任期制への移行、企業の目標管理・成果主義人事制度
9)を持ちこんでの、「努力すれば報われる」教員人事制度10)の導入は、そうした教員統制の体系化を志向するものであり、教員評価を処遇や研究費配分と連動させることで個々の教員を大学組織(実質は、「上司」たるコース長、学部長、学長さらには経営管理組織)の意向に従うよう強く方向づけている11)。大学教員任期法ですら想定していない現職全教員の任期制への移行案は、2003年秋に改定された労基法14条を適用するという、これまで大学では例のないやり方12)ですすめられようとしており、実施には個々の教員の同意を要するとはいえ、この方式が強行されるならば、今後各大学で教員の有期雇用化が恣意的に画策されるさいの悪しきモデルとなりかねない。
 ここで、教員評価とのかかわりで大学評価の課題について付言しておこう。横浜市大、都立大のみならず、処遇と連動させた教員評価が各大学で広がる可能性は今後十分にある。公正な教員評価が各大学において行われているか否か監視し検証することは第3者評価機関による大学評価の重要な一環となろう。個別大学の枠内に封じこめられずそうすべきでもない教員の営為を知的ユニバースのなかに正当に位置づけるためには、個別大学の利害、恣意から自由な評価が必要のはずだからである。

W 広がる行政管理の危険と大学における「知」の変質
 中間的ではあるが、横浜市大「改革」が大学のあり方に及ぼす変化を予測してみよう。
 あきらかに予測できる第1のことは、大学組織のトップダウン組織への改変によって恣意的大学運営の余地が大きく広がることである。独立行政法人移行、学部統合に向け、すでに述べた意味での脱法的準備作業が行われている現時点では、この傾向はとりわけ著しい。学則、規程類の整備や説明責任の履行等により恣意的運営の危険は防げるという考え方もあろうが、教員人事手続きにみられたように、現行方式よりもはるかに不透明で公開性を欠くやり方が可能なのである。そしてそうした恣意的運営の余地は、同時に、その制度特性を利用した行政管理の可能性を出現させることにもなろう。独立行政法人化は公立大学にたいする自治体首長・行政の介入、管理を狭めるわけではない。運営交付金を通じてのコントロール、法人設置者である首長の下に置かれた評価委員会
13)によるコントロールとともに、行政組織ルートを通じた経営コントロールの可能性もまた広がるからであり、大学経営従事者はつねにそうした制約の下におかれる。
 行政管理のこのように幅広い可能性をつくりだすことが、改革作業に加わった個々の人間の意図はどうあれ、「改革」の一核心であることは疑いない。そして広げられた管理可能性は、改変された制度自体の力学によって、大学の知的営為領域にも及ぶことになる。教育課程編成等の「集権」化
14)、競争的研究費調達競争を通じての研究方向の規制、知的ユニバースから切り離され大学間競争の枠内に閉じこめられた教員評価と教員処遇などは、個々の教員及び大学が社会的責任としてになうべき「学問の自由」の確保にとって決して外面的なことがらではない。行政管理の下で「必要な研究」と「不要な研究」とを選別し、大学における知を、たとえあからさまに直接でなくとも、権力的に再編することは、ことがらの深い意味で「学問の自由」を危機にさらすものと言わねばならない。公立の中規模大学がカバーしうる研究・教育領域にはもちろん限界があり、地域社会との関係で果たすべき教育・研究上の役割も当然ながら考慮しなければならない。問題は、そうした諸課題の検討と具体化とが、その課題を現場でになう教員の議論や意思を排除し、かつ、大学における知の再組織にふさわしい手法・手続きを欠落させたかたちですすめられてきたところにある。端的に言うなら、たとえば「国際関係学科」が「国際文化創造コース」へと編入させられるような変化が、ただ便法の上でのこと以上には扱われない事態にこそ、知的変質の危機が潜んでいるのである。笑話にしか受けとれぬエピソードが積み重ねられる果てに現れるのは、およそ知的活力の源泉を見失った大学のすがたではないだろうか。

X 公正な評価をめぐる対抗
 病院建設の「赤字」宣伝から始まった横浜市大「改革」は、大規模な組織改変を可能にする独立行政法人への移行と、医学部ならぬ3学部の統合という「果実」をもたらした。これまで述べた「改革」のありように嫌気がさし横浜市大に見切りをつけた教員の転出は後を絶たない。「改革」理由の一つに教員リストラが囁かれたが、相次ぐ転出教員の出現は労せずしてリストラを成功させたことになる。大学に失望しての転出は経営上の観点から望ましい事態とは思えないが、それは必ずしもこれまでみてきた「改革」を抑制させるものとはなっていない
15)。大学が既存の特権に安住して自浄力を持てないとは、よく喧伝される批判であるが、一つの大学を囲いこんで管理することが可能となった自治体行政権力は、そういう大学以上に自らの管理体制がもたらしている弊害を自浄する可能性に乏しい。行政権力の意向・方針にもっとも鋭敏に反応するよう秩序づけられた大学組織が負う、それは必然的なすがたと言えよう。
 もちろん、大学にとっては、受験生や受験産業による、いわばもっとも市場評価に近い評価がつきまとうから、都立大学や横浜市大の「改革」もこの評価を免れることはできない。大学間競争を勝ち抜くことが改革動機の一つである以上、受験動向という市場評価を無視できないと思われるが、しかし、そこでの「失敗」原因は、改革プランの内容よりもプランを売りこむ努力の欠如に転嫁されるにちがいない。「改革」の検証を有効かつ公正に行うためには、「市場評価」に任せるだけでは足りないのである。
 何よりも必要なのは、「改革」後の大学現場にさらされる教員が下から自律的な評価・検証を行うことである。競争的教員評価システムによる分断的統制に甘んじているかぎり、この課題は達成できない。教育・研究の専門性に依拠する自律的で共同的な評価・検証の場を広げてゆくことが求められよう。
 また、公共的で公正な大学評価のあり方、機会を広げることも重要であろう。横浜市大「改革」や都立大「改革」を大学評価の次元でどのようにとらえ、高等教育機関及び学問研究の全社会的発展の見地からどれだけ踏みこんで評価できるかは、大学評価機関の役割を占う意味でも一つの試金石となるはずである。

 

(注)
1『神奈川新聞』2003年1月17日。
2 バランスシート方式については、安達智則『バランスシートと自治体予算改革』自治体研究社、2002年を参照。
3 「懇談会」答申への談話を求められた学長は、答申に添った改革を進めると表明した。
4 もちろん、大学が抱える問題をあきらかにするという意味でも、である。英語担当教員による英語教育の実態分析と提案が無視された例は、現状に目をつぶる「改革」の性格をよく示している。
5 受験生向けに開催される「ワンデーオープンスクール」は毎年参加者が増加し続け、受験動向にも大きな変動はみられていなかった。
6 横浜市大におけるFDの具体例として、国際文化学部の教育実践を集めた、上杉忍・佐々木能章編『教室からの大学改革』文葉社、2004年を参照。
7 「研究は、外部資金を獲得して行う」とし、大学経費による支出は「競争的資金」のみ、という「新しい大学像」の記述にひそむ粗暴で浅薄な研究観をみよ。
8 もちろん、職員会議は教育の自律性を確保する教員の集団的で実効的意思形成の場として本来位置づけられるべきであり、現状をよしとするわけではない。
9 成果主義人事制度をめぐる諸論点については、土田道夫・山川隆一『成果主義人事制度と労働法』日本労働研究機構、2003年を参照。
10 「教育・研究評価検討プロジェクト(中間案)」(2004年6月)なお、最終案はいまだ(2004年11月現在)公表されていない。
11 「教員全体が、組織の目標や自らに求められている役割を認識し、自らの能力を高めより一掃発揮できるようにする」(「中間案」)という経営書ばりの文言には、企業組織型管理への組織改変が如実に示されている。
12 都立大の場合、「教員任期法」の適用が想定されている。「教員任期法」を労基法14条の特別法とみるなら、労基法14条に依拠しての任期制導入自体が法理に反すると言わねばならない。
13 地方独立行政法人法で規定された評価委員会は年度ごとに大学の評価を行うが、その評価は設立団体の長につたえられるのであり、議会が直接報告を受けるのではない。
14 教育課程・教育組織の「集権」化が生まれる背景には、個々の内容について開かれた議論を行う自信がない、「改革」スケジュールに追われ合意形成は障害にしか映らない、行政管理の実態を隠す余地となる、などいくつかの要因が推測される。
15 職員とくらべ、他大学への転出機会をもつ大学教員の特殊性は、「改革が嫌なら他大学へ移れるのだから、教員関係のしくみはいくらでもいじれる」という反応を生みやすい。また、新規人事により補充はいくらでも可能という受けとめ方もある。

 

投稿者 管理者 : 20050516 01:32