梅原猛かく語りき‥ 澤藤統一郎の事務局長日記 (2005.5.17)

 

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梅原猛かく語りき‥ 

 

梅原猛さんが朝日に「反時代的密語」というコラムを連載している。月に一度のペース。本日は「日本の伝統とは何か」。平明な文体で論じられているテーマは、「果たして教育勅語が日本の伝統に根差すものであろうか」というもの。

 

結論はこうだ。「教育勅語はけっして日本の伝統に根差すものではない。教育勅語を復活させるのは、伝統文化を愛さず、もっぱら私利を追求する知なき徳なき政治家のいうことを、天皇の命令だといって従わせることになるのではないか」

 

氏によれば、神仏習合こそが日本の伝統。「ところが、偏狭な国学者によって思想的に占領された明治政府は神仏分離、廃仏毀釈の政策をとり、仏ばかりか神々までも殺してしまった。そして、その神仏不在の場所に新しい天皇という神を導入したのである」という。天皇を神とする思想は、江戸中期以降「倒幕の思想として利用されたに過ぎない」ともいう。天皇を神とし、天皇のために死すべきことを中心道徳とする教育勅語の思想は、廃仏毀釈、神仏分離の延長上に明治政府が作りだした「新しい神道」で、日本の伝統などではない。これを否定した、天皇の「人間宣言」から日本の近代化が始まった。

 

注目すべきは、次のトーン。

「太平洋戦争中には『天皇のために死ね』という言葉が、天からも地からも響いているようであった。この声に従って多くの友人は‥潔く戦って散っていった。私は幸運にも命永らえて帰ってきたが、三百万以上といわれる日本人を空しく死に至らしめたこの戦争を心から憎んだ」

 

私がこの人に注目したのは、例の靖国懇のとき。芦部信喜教授と並んで首相の公式参拝に反対の立場を鮮明にしたのが梅原さんだった。私だけでなく、多くの人が驚いたのではなかったか。以来、主張は一貫している。

 

本日の文章に不満が残るのは当然。「日本の加害責任についての自覚に乏しい」「天皇個人に対する親和感はいただけない」「憲法改正・教育基本法改正の論争事情を良くお分かりだろうか」などなど。しかし、氏の真摯さには襟を正さざるを得ないし、「日本学」の権威の言には耳を傾けざるを得ない。氏が「九条の会」の一員となったことにも大いに敬意を表しなければならない。今後の発言に注目したい。