小泉内閣の問題――靖国参拝と教科書問題 反省の言葉と政治行為との矛盾 時局報告会 不破哲三議長の講演 「しんぶん赤旗」 より抜粋 (2005.5.17)

 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-17/20_01_0.html 

 

 

【抜粋】

 

小泉内閣の問題――靖国参拝と教科書問題

反省の言葉と政治行為との矛盾

 

和服で正装し靖国神社を参拝する小泉純一郎首相(中央左)=2004年1月1日午前、東京・九段北

 

 村山首相の見解を出してから十年、いま日本では、この問題で、なにが問われているのでしょうか。「侵略戦争」を認めていない点では、村山見解にも不十分さがあることは、すでに申しましたが、その反省が十分なものかどうかということで、日本に問題を投げかけてくる外国の政府は、現在どこにもありません。“ああいう見解を示しながら、日本政府の行動がそれに伴っていないではないか”。これが、いま日本に問われている一番鋭い質問なのです。

 

 実際、日本の政治状況は、あの発言にむしろ逆行して、「日本の戦争は正しかった」という日本の戦争の“名誉回復”論が、以前の時期以上に横行しはじめたことを特徴としています。政界でも、言論界でも、教育の分野にさえ、それが及びはじめています。そのことが、小泉内閣になっていよいよ強まりました。

 

 なかでも、靖国神社の問題と『歴史教科書』の問題が焦点になっています。この二つの問題を、たちいって検討してみましょう。

 

 

靖国神社の問題とはなにか

 

「やすくに大百科」表紙と中のページ

 

 まず、靖国神社の問題とは何でしょうか。

 

 小泉首相による靖国神社公式参拝という問題は、“言葉では反省するが行動ではそれを裏切る”、その典型だと言われてきました。実際はどうでしょうか。

 

 靖国神社は、戦争中は、国民を戦場に動員する役割をになった神社でした。「戦争で死んだら靖国神社で神様にまつられる」、それが最大の光栄だというわけです。だから戦場に出かけていくもの同士のあいだで、「九段で会おう」が合言葉になりました。靖国神社は東京の九段にあったからです。この成り立ちを考えただけでも、その神社への参拝を、戦争への反省の場とすること自体が、まことに道理に合わない話なのです。

 

 しかも、それにくわえて、二つの重大問題があります。

 

戦犯合祀――「戦争犯罪」そのものを否定する立場で

 

 一つは、戦争を起こした罪を問われたA級戦犯が、戦争の犠牲者として合祀(ごうし)されたことです。これは、一九七八年十月に、国会も国民も知らないうちに強行されたことでしたが、このことが問題の性格を大きく変えました。

 

 靖国神社がこの人たちをどういう立場で祀(まつ)っているのか、ご存じでしょうか。これは(手でリーフを示しながら)、「やすくに大百科(私たちの靖国神社)」といって、あの神社に行ったら誰でも配ってもらえる解説のリーフレットです。このなかに、靖国神社にまつってあるA級戦犯について、こう書いてあります。「戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の形ばかりの裁判によって一方的に“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた」方々、「これらの方々を『昭和殉難者』とお呼びして…すべて神さまとしてお祀り」している、という説明です。

 

 要するに、日本には戦争犯罪などなかった、敵である連合軍が一方的な裁判で押しつけた濡れ衣(ぬれぎぬ)だ、その立場でA級戦犯を神さまとして合祀したというのが、靖国神社の公式の立場なのです。

 

 そういう意味で、神としてまつられているわけですから、ここへ公式参拝することの是非というのは、合祀された個々の人々への追悼の是非の問題ではありません。首相が参拝することは、日本政府が、戦争犯罪そのものを否定する立場に立つ。こういう意味をもたざるをえないのです。

 

神社そのものが「正しい戦争」論の宣伝センターになっている

 

 さらに重大な問題は、この神社自体が、「正しい戦争」論の最大の宣伝センターになっているということです。

 

 靖国神社は、自分たちには二つの使命があると言っています。

 

 一つは「英霊の顕彰」です。戦没者の追悼ではありません。「英霊の顕彰」なのです。「顕彰」というのは、神社の言葉を借りれば、「武勲」、戦争のいさおし、“戦争行為”そのものをほめたたえることです。

 

 二つは、「英霊が生まれた近代史の真実を明らかにすること」。もっとはっきり言えば、大東亜戦争批判によって、この真実がおおい隠され、「祖国に汚名が着せられたままになっている」、その「汚名」をそそいで、日本がやった戦争の本当の意味を明らかにすることが、この神社の使命だとしているのです。

 

 では、明らかにしようという日本の戦争の本当の意味とは何でしょうか。この神社によりますと、日本の戦争は、明治の日清日露から大東亜戦争まで、すべての戦争が、「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、さらには世界史的に視(み)れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避けえなかった戦争」だとされます。これはむき出しの、「日本の戦争は正しかった」という主張ではありませんか。このことの宣伝が、この神社の使命だとされています。

 

日本の戦争の歴史がこう描きだされている

 

 靖国神社には、「遊就館(ゆうしゅうかん)」という展示館があります。「遊就」とは中国の古い文書からとった言葉だとのこと。三年前に大改築をやって、現在二十の大きな展示場を持ち、そこに日清・日露から「大東亜戦争」にいたる日本の戦争の歴史を描き出しています。ここに持ってきた『遊就館図録――靖国神社』という本は、展示の中身を詳しく紹介した本ですが、そこから、日本の戦争の「真実の歴史」というものが、どう描かれているかを、見てゆきましょう。

 

 まず「満州事変」。「新国家中華民国」――これは清朝を倒して、孫文などがつくった国なのですが、これを建国した「熱気」が、これまであった各国との条約を無視した「過激な国権回復運動」となり、それが「満州に波及」して、「反日行動」を起こした。これを、日本軍が「武力で制圧した」のが「満州事変」だという説明になっています。事変のそもそもの根は、中国側の過激な反日行動にあるという責任転嫁論です。

 

 次の日中全面戦争はどうか。この神社は、戦争中に日本側がつけた「支那事変」という呼び名を、いまでも平気で使っています。「盧溝橋(ろこうきょう)の小さな事件」が大きな事変となった背景には、「中国正規軍による日本軍への不法攻撃」があり、あわせて「日中和平を拒否する中国側の意志があった」。この調子で、戦争もその拡大も、すべて中国側の責任だとする説明です。さらに、蒋介石は「戦場を上海・南京へと拡大し、広大な国土全域を戦場として、日本軍を疲弊させる道を選んだ」と続きます。

 

 では、太平洋戦争はどうか。靖国神社は、ここでも、「大東亜戦争」という日本の戦争指導者たちがつけた呼び名に、あくまで固執します。そして、開戦の事情説明はこうです。日本は「日米開戦を避けるべく……日米交渉に最大の努力を尽」くしたが、アメリカの側はそうではなかった。アメリカは戦争の用意をすすめたが、米国民の反戦意思は強く、「ルーズベルトに残された道」は、日本を「禁輸」(石油などの輸出禁止)で追い詰めて、「開戦を強要する以外になかった」。結局、日米戦争もルーズベルトの責任だ、真珠湾攻撃も、アメリカが日本を追い詰めて強要したものだ、という議論です。

 

 最後に戦争の結果ですが、ここでは、日本の戦争の長年の努力が実り、念願だった「大東亜」の解放が実現したという、驚くべき歴史が叙述されています。

 

 「日露戦争の勝利は、世界特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が日本を訪れた。しかし、激動の第一次世界大戦が終わっても、民族独立の道は開けなかった。

 

 アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争緒戦の日本軍の輝かしい勝利の後であった。日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て、民族国家が次々と誕生した」。

 

 今のアジアの独立諸国家は、日本の戦争のおかげで生まれたんだ、こういう歴史が靖国神社の展示館に堂々と書かれているのです。

 

靖国神社後援のドキュメント映画

 

 もうひとつ、ご紹介しましょう。ここに、靖国神社の後援でつくられ、現にビデオとして販売されているドキュメント映画「私たちは忘れない」があります。「忘れない」ということは、日本の戦争の真実の歴史、英霊たちの「武勲」を忘れてはならないという意味で、その内容には、「遊就館」での展示以上に強烈なものがあります。

 

 冒頭に登場する戦争解説者の言葉を引けば、日本のやった戦争の全経過を、「欧米諸国の植民地勢力にたいするアジアを代表しての」戦争という立場から、描きだした映画です。内容を詳しく解説するゆとりはありませんから、ケースの一面に「主な内容」として掲げているうたい文句の一部を聞いてください。

 

 まず〔満州事変〕の部分。「アジア安定に寄与する日本と中国大陸で繰り広げられる排日運動と満州事変の真実をさぐる」。

 

 〔支那事変〕――日中戦争の部分です。「中国側が日本軍に発砲した盧溝橋での一撃、あいつぐ攻撃を受けついに日中の全面戦争へ」。「支那事変の拡大を避けようとする日本、裏で中国を支援する米英仏ソ、ついに米国が日本の前面に」。

 

 〔大東亜戦争〕――太平洋戦争のところ。「日本参戦を仕掛けた米国の陰謀、そして日本は隠忍自重しながらついに苦渋の開戦決断へ」。

 

 最後に戦争責任の問題。「日本を侵略国と断罪した東京裁判の不当性を暴き、刑場の露と消えた『戦犯』の無念をふりかえる」。

 

 日本の戦争にたいするこの神社の立場が何か、これ以上の説明は必要ないのではないでしょうか。

 

特定の政治目的を持った運動体

 

 これが、靖国神社の実態です。この神社は、特定の政治目的を持った運動体なのです。その政治目的とは、「日本の戦争は正しかった」という立場を、日本の国民に吹き込むことであって、そのよってたつ精神は、ヨーロッパでいえば、ネオ・ナチの精神に匹敵すると思います。

 

 小泉首相は、「私が参拝するのは、追悼の意思表示だ」と弁明しますが、日本の首相が政治運動体であるこの神社に参拝すること自体、戦没者への追悼という気持ちを「日本の戦争は正しかった」という立場に結びつけることにならざるを得ないのではないでしょうか。

 

『歴史教科書』問題とはなにか

これまでの戦争論は「旧敵国のプロパガンダ」

 

 次に『歴史教科書』の問題にうつります。

 

 これも、靖国神社と同じ流れが生み出したものです。

 

 (二〇〇一年版の扶桑社版『歴史教科書』を手にもって)「新しい歴史教科書をつくる会」が、四年前に、この教科書をつくりました。

 

 この「会」は、何を目的とするかというと、日本の過去の戦争を侵略戦争だとする見方をひっくり返すことを、最大の目的としてつくられた組織なのです。

 

 実際、「つくる会」が発足にあたって発表した文書(趣意書)には、そういう戦争の見方は「旧敵国のプロパガンダ」だとし、これを日本の教育から一掃するという目的を、公然と押し出していました。

 

 私は、四年前にこの教科書が検定合格したことを知ったとき、これを読み、その内容のあまりのひどさに黙ってはいられなくなりました。参議院選挙の直前で全国を駆けめぐっていたさなかでしたが、やむにやまれぬ思いで、「しんぶん赤旗」紙上で、この教科書を批判する文章の連載を始めました。それをまとめたものが、新日本出版社から出した『ここに「歴史教科書」問題の核心がある』というブックレットと、小学館からの『歴史教科書と日本の戦争』という本、この二冊ですが、過去の戦争の正当化ということでは、今回の二〇〇五年版も、やはり同じ性格を持っています。

 

 さすがに教科書ですから、靖国神社の展示の文章ほどむきだしの形では書けません。しかし、戦争の歴史の叙述全体にこの戦争は日本の自存自衛とアジアの独立のために避けるわけにゆかなかった戦争だという「名誉回復論」が脈々と流れています。そこには、政府が公式見解としてこの十年来発表してきた、過去の「国策」への反省――「植民地支配と侵略」への反省の気持ちなどは、ひとかけらも含まれていません。

 

日本の戦争の見方は靖国神社と同じ

 

 一番大事な点だけ指摘しておきましょう。

 

 第一。一九三一年から一九四五年にいたる中国との十五年戦争の経過の叙述の中に、「侵略」という言葉は一言も出てきません。この人たちは「侵略」という言葉を知らないのかというと、そうではないのです。たとえばヒトラー・ドイツがヨーロッパでやった戦争については「侵攻」という言葉を何度も使っています。ソ連がやったことについてもこの言葉を使うのが好きです。しかし、日本が中国や東南アジアにたいしてやった戦争については、「侵略」も「侵攻」も一回も出てこないのです。

 

 とくに中国との戦争についていえば、戦争の局面ごとに、「日本人を襲撃する排日運動が活発になった」とか、「列車妨害や日本人学童への迫害」があったとか、「満州で日本人が受けていた不法行為の被害」などが、本文で繰り返し強調されます。

 

 また、それを根拠づけるために、欄外に特別の項目を設け、「人種意識がよみがえった中国人は、故意に自国の法的義務を軽蔑(けいべつ)し、目的実現のためには向こう見ずに暴力にうったえ、挑発的なやり方をした」などというあるアメリカの外交官の見解なるものを紹介したり、排日運動による「事件」の一覧表なるものを地図入りで掲げたりして、日本の軍事行動が自衛的な対抗措置であるかのように読み取らせる、こんな工夫まで織り込まれています。日本の侵略戦争の責任を中国の側に転嫁するこの論理は、靖国神社の場合とまったく同じものです。

 

 第二。朝鮮の併合についても、この併合が誤った国策だったという認識をしめす言葉は一言もありません。検定で注文がついて、「植民地政策」という言葉は一カ所だけ入りました。どういう入り方をしたかといいますと、なんと、「韓国併合のあとおかれた朝鮮総督府は植民地政策の一環として、鉄道・灌漑(かんがい)の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した」、こういう文章です。いいことをやった、いいことをやった、と書いて、それが「植民地政策」についての記述だというのです。これは、植民地化の反省どころか、それを開発と近代化の政策としてほめたたえたものではありませんか。

 

 第三。戦争を正当化する議論は、太平洋戦争に関する部分で、いよいよむき出しになります。戦争の名称も、靖国神社と同じく、「大東亜戦争」に固執しています。なぜ大東亜戦争と呼ぶかについて、これは当時の日本政府が、「自存自衛」の戦争だという意味で、また「欧米勢力を排除したアジア人による『大東亜共栄圏』の建設」のための戦争だという立場で名づけたものであることを、紹介したうえで、この呼び名を、教科書自身が現在の時点で使う呼び名として、「大東亜戦争」の呼び名をわざわざ復活させたのです。ここには、日本の戦争の正当化という「つくる会」の思いが集中的に表現されている、といってよいでしょう。

 

 戦争の経過の記述でも、「大東亜共栄圏」、すなわちアジア解放の戦争という見方が、しつこいほど繰り返されます。

 

 「日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立への夢と勇気を育(はぐく)んだ」、「現地の独立運動の指導者たちは、欧米諸国からの独立を達成するため、日本の軍政に協力した」などなど。

 

 欄外の読み物には、「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」、「日本を解放軍としてむかえたインドネシアの人々」と言った見出しで、日本軍の解放軍的な役割をたたえる特別記事がならびます。

 

 そしてそのうえで、戦後の東南アジア諸国の独立が、あたかも日本の戦争の延長線上で実現したかのように書くのです。この部分は、検定を通じて、多少文章が訂正されましたが、作成者たちの本音をしめすため、検定前の原文を引用しておきましょう。

 

 「のちに日本が敗戦し撤退したあと、これらの植民地は、ほぼ十数年のあいだに次々と自力で独立を達成した。……日本の南方進出は、もともとは日本の『自存自衛』のためだったが、アジア諸国が独立するにいたるまでの時計の針を早める効果をもたらした」。

 

 これも靖国神社での戦争の結果論とまったく同じ論調です。

 

 自分たちの主張を証明しようとして、侵略された国ぐにの「声」なるものを勝手に持ち出し、それを“証拠”に、この戦争をアジア解放の戦争だったと宣伝するのは、卑劣極まりないやり方というべきです。東南アジア諸国のうちで、戦争の犠牲者の数を政府が公表しているのは、インドネシア、ベトナム、フィリピンだけですが、その数はインドネシア四百万、ベトナム二百万、フィリピン百万、三カ国だけでも七百万の犠牲者です。その国ぐにを「解放戦争」論の証人に仕立てあげようとは、言語道断のやり方ではありませんか。

 

この『歴史教科書』に合格のハンコを押せるのか

 

 第四。教科書は戦争論の締めくくりのところに、「戦争への罪悪感」という一項目をたてて、次のように論じています。

 

 「GHQ〔これはアメリカ占領軍のことです――不破〕」は、占領中、「日本の戦争がいかに不当なものであったかを、マスメディアを通じて宣伝した。こうした宣伝は、東京裁判と並んで、日本人の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後の日本人の歴史に対する見方に影響をあたえた」。

 

 そこから先は書いていません。しかし、「戦争への罪悪感」は、占領軍の宣伝がつくりだしたものだ――発足のときの「旧敵国のプロパガンダ」という言葉を思い出してください――となれば、それに続くのは、そんなものは捨てよう、ということになります。靖国神社の、祖国の汚名をそそぐ、という呼びかけと同じく、「つくる会」の『歴史教科書』の結論も、日本の戦争の名誉回復なのです。

 

 みなさん。これが「つくる会」の教科書が、日本の未来をになう子どもたちの教育に持ち込もうとしている、日本の戦争にたいする見方です。

 

 検定を通じて、こういう教科書に合格のハンコを押す、小泉内閣のこの教育行政が、首相自身が表明した「反省」の言葉を、行動で裏切るものであることは明白ではないでしょうか。

 

「大東亜戦争」と表現する「つくる会」の歴史教科書(申請本)