**氏への返信 初見 基 (2005.5.18)

 

「たまらん」 http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/~hatsumi/tamaran.html 

http://www.bcomp.metro-u.ac.jp/~hatsumi/E-Mail-050518.html 

 

 

**氏への返信




 2005年5月15日付で、元都立大学教員のある方から一通のメールをいただきました。それに対して同月18日付で以下の返信をお送りしました。
 いただいたメールの内容、差出人の立場等、返信からうかがえるかと思い、とくに注釈は加えません。
 なお、文中個人を特定できる箇所については伏せ字にしました。


*** * 様

 私のウェブサイト内の「たまらん」欄に対してご意見をいただきありがとうございます。忙中忙というありさま故に即座にお返事を差し上げられなかったこと、お詫び申し上げます。
 このように学外からも都立大学の動向に注目されている方がいまだおられることには、さまざまな意味で元気づけられます。ただ、私のような〈雑魚〉の、それもほとんど影響力を有していないウェブサイトになんだってそう過剰に反応されるか、という気もしないではありません。それでも、貴兄の抱かれているようなご不満は、背後に組織の意向があるのかないのか知る由もありませんが、おそらく潜在的にはある種の方々の心情を代表しているかと推測されます。貴兄との間には、後で述べる理由により議論を交わす前提ができているとは見なしませんが、それでもいちど限りはこうしてご返答を差し上げる次第です。互いにとって愉快ならざる内容となることをどうしても免れませんがご寛恕のほどお願い申し上げます。
 なお本返信メールの内容は、個人を特定できる箇所を除いてウェブサイト上で公開することをあらかじめお断わりしておきます。


 貴兄からいただいたメールの論旨は明快です。ひと言で表わせば〈いまは都立大学教員の敗北を語る時期ではない〉ということかと存じます。
 端的に言って、私とは認識をまったく異にします。

1)貴兄は私のサイト「たまらん」――及び岡本順治氏サイト「だまらん」――を《最近やや「後ろ向き」というか、「回顧モード」の傾向があることに、一抹の危惧を感じています》と評されます。《「身内の犯人探し」にあまり多くの時間とエネルギーを費やしてしまうことは》もっと大きな問題である《「石原都政(ひいては日本の政治権力全般)による大学・教育破壊」》から目をそらしてしまうことになるからだ、という論拠でした。

 まず私は《犯人探し》などにまったく興味はありませんし、陰で誰がどのようにいかなる画策をしてきたかなどということを調べようと積極的に努力をしたこともありません。
 そもそもこの〈都立大学破壊〉に関して、特定の個人なり集団なりに責任を押しつけて済むなどとも思っていません。その意味で、これを石原都知事個人、あるいは大学管理本部に一方的・全面的にに起因させる言説も能天気と呼ばなくてはなりません。あくまでも〈構造〉の問題として把握してゆくべきです。
 ただ、もちろん〈総懺悔〉によって責任の主体を曖昧にするわけにゆかないのも当然です。石原都知事や大学管理本部長に多くの責任があるのは言わずもがなながら、また――人格的にたとえば茂木元総長を私個人は〈嫌い〉ではありませんでしたし、彼に対して別段恨みがましい感情を抱いてもいないものの――都立大学の総長なり学部長らが一定の責任を有することをはっきりさせておくことは必要と考えます。それは《犯人探し》でも事態から目をそらすことでもありません。まさに《「石原都政(ひいては日本の政治権力全般)による大学・教育破壊」》に抗する全国の人々に参考にしていただき同じ轍が踏まれることなきよう望むからに他なりません。
 それは、いまやなにやら都立大学教員〈抵抗伝説〉のごときものがあちらこちらで語られているようであるからにはなおさらです。それだけ多くの〈抵抗者〉が都立大学に存在していたのならどうして現在のような状況になっているのか面妖なかぎりですが、それはともかく、私自身きわめて不充分にしか〈抵抗〉をなしえなかったことに忸怩たる思いを抱いているが故に、自らの〈失敗〉を切開して明らかにしてゆくことを重要と考えるのです。それは〈抵抗伝説〉で身を覆おうとする向きにとっていかに不快であろうとも、学外の方はもとより他学部、そして人文学部内ですら助手や学生には、教授会構成員の知りえている情報が必ずしも共有されていない、という現実を直視するならば、怠ってはならない作業です。
 ですから私にはむしろ、〈抵抗〉を貫くことができなかったのはどうしてなのか、都立大学内部に存した否定的な側面に光を当てることに貴兄がなぜそこまで嫌悪感を抱かれるのか、不思議でなりません。貴兄もたしかに述べています。《「都立大が廃止に追い込まれた責任は誰にあったか?」という問いかけは重要なものですし、過去の責任を一切不問に付して未来への歩みを進めることができないのは、日本の(対アジア)戦争責任問題でも繰り返し指摘されていることです。》そうおっしゃるのなら、自分たちの汚辱には目をつぶり前向きの姿勢でもっと大きな敵に向かいましょう、という貴兄の言説が、〈自虐史観批判〉と相似形であることにまで思いを馳せていただきたいところです。


2)貴兄は《戦いがまだ続いているときに、過去の戦いにおける指揮官の指揮のまずさを問題にしその責任を追及するのは、その反省が当面の戦いにどのように生きてくるかという視点がない限り、当面の最優先の課題ではないように思います》と言い、《このような問題のおそらく唯一の根本的な解決は、このような暴走をする者を権力の座につけない(権力の座から引きずりおろす)ということではないかと思います》と述べています。この《当面》が何かと思って読んでみると、結局は《当面の課題として、この夏都議選が行われます》とくれば、もう語るに落ちた、と言うしかありません。

 誤解なきようお断わりしておきますが、議会制度・代議員制度を私は軽視しませんし、むしろ民主主義政治体制のためにそれが有効なものと認めます。ただ私見では、もし民主主義的な政治運営を志すのなら、問題を代議員に託す以前に諸個人が〈自立した市民〉として問題解決に向かう姿勢が広く浸透することを不可欠と考えます。諸個人が〈政治家〉の営む〈政治〉に依存しつづけているかぎりは、いかなる党派が政権を握ろうとも〈支配構造〉にたいした変化はないと思います。〈我が党〉に投票しさえすれば万事めでたし、といった政治党派の宣伝はいかがわしく受けとめざるをえません。
 このようなことを申し上げるのは、貴兄の珍妙な譬え《「イジメ」は第一義的にはいじめる側に最大の責任があり、「いじめられた側が毅然とした態度をとれなかった」というようなことは、あくまで二次的な問題だと思います》からはまさにそのような貴兄の態度を垣間見る気がしたからです。
 貴兄の見解では、都立大学教員は一方的に〈イジメ〉を受けて苦しむ〈児童〉に等しいということになります。それに対して私はそうは考えない、少なくともそうあるべきではないと確信します。都立大学教員は、法制度・政治制度に対する知識を有する、ないしその気になれば知識を得られる立場にあり、そして目の前で起きている事態を個人的利害を超えた見地から論理的に検討し、それを言語で表現しかつ公表できるだけの可能性を充分に有した職能集団であるはずでした。また教授会組織も一定の自治を、つまり一定の権力を有していたはずでした。
 そのような〈力〉を持ちながらそれを使用しなかった、そのことにおおきな問題があると考えるが故に、都立大学教員敗北を私としてはどうしても厳しく捉えざるをえないのです。

 少し恰好つけて言わせていただくならば、イマヌエル・カントの「啓蒙とは何か」冒頭を思い出してください。

《啓蒙とは、人間が自ら引き起こしている未成年状態から抜け出ることである。未成年状態とは、他者の導きなしに自らの知性を使用できないことをいう。もしも未成年状態の原因が知性を欠いている点にではなく、他者の導きなく自らの知性を用いる決心と勇気を欠いているところにあるなら、その未成年状態は自ら引き起こされているものである。〈Sapere aude!〉 自らの知性を用いる勇気を持ちなさい! これが啓蒙の標語になる。》

 もしも都立大学教員の振る舞いが〈児童〉のそれだったというならば、しかしそれは〈自ら引き起こしている未成年状態〉であり、その意味で〈イジメ〉に苦しむ児童との同等視は不適切です。〈自らの知性を用いる決心と勇気〉を自覚して〈未成年状態〉から脱却しないかぎり、〈イジメ〉に被虐的な喜びを感じる〈児童〉にとどまりつづけるのではないか、だからこそ自分たちにとって心地よくない事態にも目をつぶるな、というのが私の姿勢でした。

3)実はあまりこういうことを述べたくはありませんでしたが、せっかく水を向けられたこともあり、最後にもう少しだけ言わせていただきます。雉も鳴かずば打たれまい、といったところでしょうか。
 もし貴兄が都立大学における〈抵抗〉と〈敗北〉の経過を少しでも真摯に省察しようというのなら、私のような〈雑魚〉にからんでみせる以前に、もっとやっておくべきことがいくらでもあったはずでした。貴兄の属していた専攻のなかだけでも、たとえば、都立大学教員たちが既成組織に依存せず自分たちの創意工夫で自律的な活動をしようと「開かれた大学改革を求める会」発足の模索をしていたとき――その節は足を引っ張ろうという力が随分働いたものでした――素人集団の運動は覚束なく〈利敵行為〉になる、といった論拠でメーリングリスト上にて**さんや**さんに人品卑しい人格攻撃を仕掛けておきながらその後はしらばっくれた顔をして大学管理本部の茶坊主よろしく首大の下働きに奔走している**や、首大のなかで自分たちは優遇されそうな見込みができるや「8月1日」などなかったかのごとくはしゃぎまくっている**や**、そして誰よりも、一方で「就任承諾書」を提出して首大設置に協力しつつ、他方でいったん承認した「就任」を反故にして他大学へ移り、対岸の火事を楽しげに見物している貴兄自身に対して根底的な批判を行なうことを真っ先になすべきではなかったでしょうか。その位置からしかはじめられないだろう、というのが私の〈常識〉的判断です。
 私は、2005年3月、あるいはそれ以前に新大学構想を批判したうえで都立大学を去っていった多くの方と志を同じにしていると考えますし、また苦渋の選択の末に首大に就任された方々をそれだけで非難する気はまったくなく、そのうちの少なからぬ方が誠実な姿勢を現在でも維持していることを知っています。ただ、「就任承諾書」を提出して首大認可に加担しながらその尻ぬぐいは他人に任せてそそくさと他大学に転出し、それもそんな振る舞いを誇らしげにしてみせている貴兄のような方の論理も倫理も正直なところまったく理解できません。
 それにとどまらず、貴兄の場合には、教員ばかりか学生たちをもさんざん煽ってきた政治的責任も十二分にあると考えます。しかしそれにもかかわらず貴兄がこの件で自己の行動について公的に意見を表わした、ということを寡聞にして知りません。
 貴兄とまともに議論をできるため私にとっては本来、この点は最低限明確にしていただかなくてはならない条件でした。当方の意思が通ずるとは金輪際期待しませんが、ともあれ遅ればせながらここに表明だけはしておくことにします。

 これもまた貴兄に対する個人攻撃あるいは〈イジメ〉とでも受けとめられるだけなのでしょうから、いいかげんこれくらいにとどめておきます。本来ならこんなことにかかずらっている余裕などないはずでした。貴兄とも二度とお会いすることはないでしょう。ご長命をお祈り申し上げます。

 2005年5月18日

初見 基



    ひとびとは自身の恥辱を語るがよい
    私は私の恥辱を語る
             (ベルトルト・ブレヒト)