横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー (2005.5.19)

 

 

横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー         2005.5.19

もくじ
教員集会をよびかけ
国際総合科学部の教授会(12日)
重要論文・中西新太郎「改革のための改革が変質させる大学」
 (全文掲載)


教員集会をよびかけ

 執行委員会は、これまでの労使交渉の経緯を把握し、今後の展望を討論するため
に、教員集会を26日に開催することを決定し、ビラで市大の教員に参加を呼びかけま
した。
 組合員と非組合員教員にあらためて、奮っての参加を訴えます。
 
教員集会
《法人化1ヵ月 何が起きているか? 労働条件をめぐる交渉の経過と今後の展望》
日時  2005526日(木)17:30
場所  小会議室(金沢八景キャンパス 商文棟5階)
主催  横浜市立大学教員組合



国際総合科学部の教授会(12日)

 12日、国際総合科学部の第2回の教授会が開催されました。前回から持ち越された
代議員会の選出方法について審議が行なわれました。
 その結果、大学院国際総合科学研究科教授会(先月14日)の例を参照し、学部に属
する7つのコースと共通教養課程から各4名、計32名の代議員を選挙によって選ぶこ
とが決まりました。このうち、共通教養課程の代議員については、教授会において選
挙を行なうことが決定され、当日の教授会において4名の代議員が選出されました。
 また、すでに、教授会の決定は代議員会のものに優越すること、教授会構成員の一
定数以上の要求があった場合、教授会が開催されることが決定されています。
 3月に当局が示していた案では、代議員会の構成員の大部分が、指名・任命を受け
た者により構成されることになっていました。当組合は、代議員会については、民主
主義と代議制の原則に基づき、教授会の全構成員が平等の権利を持つ選挙を通じて選
出する制度とするべきことを訴えてきました。
 今回、代議制の原則がほぼ確立されたことになります。そもそも当然そうあるべき
であることだったとはいえ、多くの教員の真摯な討論と取り組みによる成果といえる
でしょう。
 今後、大学の自治と民主主義的運営制度の構築のためには、多くの課題がありま
す。
 その一つとして、教授会に、人事・カリキュラム編成・学則改正等の重要な事項に
ついて決定権を認めないばかりか、審議権すら保障しない学則の諸規定は、学校教育
法に反するものであり、その見直しを求めることが、重要な課題となるでしょう。
(関連記事:4月6日号、15日号)



重要論文
 中西新太郎「改革のための改革が変質させる大学」

 本学教員、中西新太郎氏の論文「改革のための改革が変質させる大学横浜市立大
学「改革」の現状と問題」が、大学評価学会の会誌『現代社会と大学評価』創刊号
10日発行)に掲載されました。
 これまでの市大「改革」の経緯と内容の問題点が鋭く分析されていますので、本紙
において紹介します。
 なお、中西氏は当組合の副執行委員長ではありますが、あくまで個人としての見解
であり、組合としての見解の表明ではありません。
(次頁以下、全文掲載)



大学時評
改革のための改革が変質させる大学
横浜市立大学「改革」の現状と問題−
                             中西新太郎

 横浜市立大学「改革」は、東京都立大学の再編と並び、巨視的にみて政治権
力による大学改変の先導的モデルとなっている。石原都知事の強引な手法がき
わだつ都立大の場合と比較し、横浜市大への行政介入の実態、介入メカニズム
は外部から窺いにくく、「改革」モデルとしての性格もつかみにくいと思われる。
そこで以下では、行政管理大学への道を歩む横浜市大「改革」の現状とその問
題点について報告したい。

T 強要された「改革」
 今回の横浜市大「改革」が2002 4 月に誕生した中田宏横浜市長のイニシ
アティヴによることは、市長自身の言明はどうあれ、疑いえない。中田市長は、
就任早々、港湾病院等と並んで大学を改革対象に挙げ、9 月には、市長諮問機
関「市立大学の今後のあり方懇談会」(座長・橋爪大三郎東京工業大学教授)を
発足させ、改革圧力を外部から加えてゆく。翌年1 月、「横浜市大の累積赤字
1100
億円、廃校も選択肢」という大見出しのついた橋爪座長試案の地元紙掲載
1
は、市の意に添った「改革」を受け入れさせる政治的脅迫として有効に機能し
た。「累積赤字」の大半は付属病院建設費を賄う市債であったが、新自由主義行
政改革の財政手法であるバランスシート的手法2を大学部局に用い、これが大学
の「赤字」と宣伝されたのである。
 こうして、独立行政法人への移行、学部統合、大学組織・教員人事制度の抜
本改変を謳う「今後のあり方懇談会」答申(2003 2 月)を学長に呑ませるこ
とに成功した横浜市は、前田正子副市長を本部長とする「大学改革推進本部」
を設置するとともに、大学側が「自ら」改革案を提出するよう期限付きで求め
た。事務局、教員同数で組織された学内の改革案策定委員会(略称「プロジェ
クトR」)は、失笑を呼んだ「プラクティカルなリベラルアーツ」という理念像
はもちろん、カリキュラム内容等にまで立ち入った「今後のあり方懇談会」答
申の枠内で、市の意に添う改革案(「横浜市立大学の新たな大学像について」)
を作成した。2005 年度からの独立行政法人化、商学、理学、国際文化3 学部
の統合(学部名は「国際総合科学部」)、全教員の任期制移行、教授会からの教
員人事権剥奪などを内容とした同案(以下、「新たな大学像」)は、2003 10
月、評議会内の強い反対を押し切った学長により若干の修正を経た上で市に提
出された。この過程で、商学部、国際文化学部の度重なる反対決議は一切無視
された。
 「新たな大学像」を大学の自主的改革案とみなした上で、中田市長は、同年
12
月、独立行政法人発足時の理事長予定者を発表するとともに、大学改革推進
本部に改革実行のためのプロジェクト部会を設置し、改革協力を条件に教員を
組織し、行政主導の改革準備に入る。教授会はもちろん評議会もふくめ、現行
大学組織はこの時点以降、改革準備から切り離され、新たに発足する大学組織
と形式上無関係の状態におかれた。学則、規程はもちろん、学内での組織的手
続きに一切拠ることのない改革準備が、教員人事もふくめ、現在にいたるまで
進行している。その過程を振り返るなら、「自主的改革」という宣伝とは裏腹に、
行政権力の介入が、脱法的とさえ言える仕方で行われてきたことはあきらかで
ある。

U 現状を変えることだけが至上命令とされた理念不在の改革検討
 このように強要された横浜市大「改革」の内容上の特質を押さえておこう。
横浜市当局に大学の将来像、理念像にかんする明確な構想が存在していると
は言い難く、改革像は、この点で、財政負担の軽減や地域貢献策、実用教育へ
の転換とリベラルアーツ教育の強化など、さまざまな要素が雑居する内容とな
った。「オンリーワン」たることを求める市長の意向に添うべく、ともかく現状
を変更させることだけが至上命題とされ、コース名から科目名にいたるまで、
「現行と同じでないこと」が追求され強要された。横浜市大の教育・研究にか
んするリアルな実態分析4欠くそうした改革作業は、ほとんど思いつきに類する
提案の混入を許し、また、「大学経営」の観点からしてもマイナスと思われる「改
革」策を出現させている。たとえば、文系教職免許の廃止といった理解に苦し
む方針はその一例である。
 もちろん、大学受験界での横浜市大のパフォーマンスがこれまでほぼ良好な
水準にあった5としても、公立大学として果たすべき役割を大学全体としてどう
とらえ遂行するかは真摯に検討しなければならない課題であるし、学生教育等
についての見通しをもった取り組みも不断に追求する必要がある6。各研究分野
の特性を踏まえながら、学部利害にとらえわれない大学理念・戦略を追求する
のは当然のことである。
 しかし、上述したような理念なき改革作業の連続は、この課題追求を逆に不
可能とした。「プラクティカルなリベラルアーツ」という理念像についても、こ
の下で打ち出された種々の「改革」策についても、それなりに実効あるプラン
にするために不可欠な学内での検討・議論でさえ忌避されてきた。改革準備を
になうプロジェクト部会は全体として密室裡に作業をすすめ、異論や別提案に
たいして開かれた協議・討議を行わない。改革評価の前提となるプログラム立
案の責任主体が明確にされず、なぜそのプログラムを採用するのかについて、
異論等を踏まえた説明もされない。実際上準備作業にかかわる教員が存在する
から、具体的検討場面での問題点の指摘は行われているが、それらが集積され
大学理念を彫琢し豊富にする民主主義的な保障はまったく存在しない。たとえ
ば、大学の地域貢献を重視すると言うなら、大学に蓄積されている諸資源の適
切な評価、他方で、貢献内容についての長期的視野、発想力などが問われる。
これらをあきらかにする検討機会のないまま貢献だけを強調することは、教員
の意欲を喪失させる点でも、地域貢献の可能性を狭める。教育プログラムであ
れ、研究プログラムであれ事情は同様である7。「これまでとはちがう」ことだ
けが採用の理由(らしきもの)である「改革」理念・内容の推進は、この意味
で大学を思想的に頽廃させる。

V 企業型トップダウン組織への大学改変
 「改革」理念像の曖昧さと比して、大学組織改変の方向性はきわめて明瞭で
ある。
 「新しい大学像」は教員が「大学あるいは組織の目標に沿って」「大学から求
められた役割をきちんと果たしているか」を重視し、企業組織と同様の徹底し
たトップダウン型組織構造に大学組織を組み替えようとした。「新しい大学像」
を承け横浜市が2004 2 月に提出し市議会を通過した「公立大学法人横浜市
立大学定款」は、独立行政法人化された大学のなかで最初に理事長と学長との
分離を規定した定款となっている。さらに、教学側の最高審議機関である教育
研究審議会よりも、経営審議会の審議事項がはるかに広く規定されており、教
育研究関係規則や「大学、学部、課程その他の重要な組織の設置又は廃止」、「教
育課程の編成に関する事項で法人の経営に関するもの」など、広範な権限を経
営審議会が握れるようになっている。運営交付金を通じての統制のみならず、
経営審議機関を通じて研究、教育の内容に行政的介入・管理の可能性が広く開
かれた組織なのである。「新しい大学像」が評議会に提案された時点では、教員
人事を統括する人事委員会が教育研究審議会から独立した組織とされており、
これはさすがに反対に遭って「学長の下に置く」とされたものの、人事委員会
構成員として事務局メンバーが加わる組織構成が想定されている。学部教授会
から人事権を奪うのみならず、教学組織による人事にさえ徹底した制約を加え
ているのである。
 独立行政法人化にともなう組織変更の眼目を、大学事務局は、教育公務員特
例法から外れることと説明し、学部教授会の権限、審議事項について、学校教
育法の規定も無視して制限を加え、いわば「職員会議」と同列に扱おうとして
いる8。教員人事はもちろん、教育課程編成や科目担当まで、教員間の検討や合
意を経ずに決定する組織へと大学を変貌させようとしている。そしてこれは、
独立行政法人への移行過程ですでに出現している事態にほかならない。
 異様とさえ映るこうした組織改変がすすむ背景には、「教員主導の大学運営の
下で、教授会自治が障害となり、かつ下働きに甘んじさせられている」という
職員層の反感、憤懣がおそらくははたらいていよう。学問の自由を組織的に担
保する大学自治のありようを協力して追求する教員側の努力が不十分であった
ことは否めず、「楽な仕事に胡座をかいている教員」という像が陰に陽に流布さ
れるなかで、「改革」はつまるところ「教員の思い通りにさせないシステム」づ
くりに収斂させられてゆく。原則全員任期制への移行、企業の目標管理・成果
主義人事制度9を持ちこんでの、「努力すれば報われる」教員人事制度10の導入
は、そうした教員統制の体系化を志向するものであり、教員評価を処遇や研究
費配分と連動させることで個々の教員を大学組織(実質は、「上司」たるコース
長、学部長、学長さらには経営管理組織)の意向に従うよう強く方向づけてい
11。大学教員任期法ですら想定していない現職全教員の任期制への移行案は、
2003
年秋に改定された労基法14 条を適用するという、これまで大学では例の
ないやり方12ですすめられようとしており、実施には個々の教員の同意を要す
るとはいえ、この方式が強行されるならば、今後各大学で教員の有期雇用化が
恣意的に画策されるさいの悪しきモデルとなりかねない。
 ここで、教員評価とのかかわりで大学評価の課題について付言しておこう。
横浜市大、都立大のみならず、処遇と連動させた教員評価が各大学で広がる可
能性は今後十分にある。公正な教員評価が各大学において行われているか否か
監視し検証することは第3者評価機関による大学評価の重要な一環となろう。
個別大学の枠内に封じこめられずそうすべきでもない教員の営為を知的ユニバ
ースのなかに正当に位置づけるためには、個別大学の利害、恣意から自由な評
価が必要のはずだからである。

W 広がる行政管理の危険と大学における「知」の変質
 中間的ではあるが、横浜市大「改革」が大学のあり方に及ぼす変化を予測し
てみよう。
 あきらかに予測できる第1のことは、大学組織のトップダウン組織への改変
によって恣意的大学運営の余地が大きく広がることである。独立行政法人移行、
学部統合に向け、すでに述べた意味での脱法的準備作業が行われている現時点
では、この傾向はとりわけ著しい。学則、規程類の整備や説明責任の履行等に
より恣意的運営の危険は防げるという考え方もあろうが、教員人事手続きにみ
られたように、現行方式よりもはるかに不透明で公開性を欠くやり方が可能な
のである。そしてそうした恣意的運営の余地は、同時に、その制度特性を利用
した行政管理の可能性を出現させることにもなろう。独立行政法人化は公立大
学にたいする自治体首長・行政の介入、管理を狭めるわけではない。運営交付
金を通じてのコントロール、法人設置者である首長の下に置かれた評価委員会
13
によるコントロールとともに、行政組織ルートを通じた経営コントロールの
可能性もまた広がるからであり、大学経営従事者はつねにそうした制約の下に
おかれる。
 行政管理のこのように幅広い可能性をつくりだすことが、改革作業に加わっ
た個々の人間の意図はどうあれ、「改革」の一核心であることは疑いない。そし
て広げられた管理可能性は、改変された制度自体の力学によって、大学の知的
営為領域にも及ぶことになる。教育課程編成等の「集権」化14、競争的研究費
調達競争を通じての研究方向の規制、知的ユニバースから切り離され大学間競
争の枠内に閉じこめられた教員評価と教員処遇などは、個々の教員及び大学が
社会的責任としてになうべき「学問の自由」の確保にとって決して外面的なこ
とがらではない。行政管理の下で「必要な研究」と「不要な研究」とを選別し、
大学における知を、たとえあからさまに直接でなくとも、権力的に再編するこ
とは、ことがらの深い意味で「学問の自由」を危機にさらすものと言わねばな
らない。公立の中規模大学がカバーしうる研究・教育領域にはもちろん限界が
あり、地域社会との関係で果たすべき教育・研究上の役割も当然ながら考慮し
なければならない。問題は、そうした諸課題の検討と具体化とが、その課題を
現場でになう教員の議論や意思を排除し、かつ、大学における知の再組織にふ
さわしい手法・手続きを欠落させたかたちですすめられてきたところにある。
端的に言うなら、たとえば「国際関係学科」が「国際文化創造コース」へと編
入させられるような変化が、ただ便法の上でのこと以上には扱われない事態に
こそ、知的変質の危機が潜んでいるのである。笑話にしか受けとれぬエピソー
ドが積み重ねられる果てに現れるのは、およそ知的活力の源泉を見失った大学
のすがたではないだろうか。

X 公正な評価をめぐる対抗
 病院建設の「赤字」宣伝から始まった横浜市大「改革」は、大規模な組織改
変を可能にする独立行政法人への移行と、医学部ならぬ3学部の統合という「果
実」をもたらした。これまで述べた「改革」のありように嫌気がさし横浜市大
に見切りをつけた教員の転出は後を絶たない。「改革」理由の一つに教員リスト
ラが囁かれたが、相次ぐ転出教員の出現は労せずしてリストラを成功させたこ
とになる。大学に失望しての転出は経営上の観点から望ましい事態とは思えな
いが、それは必ずしもこれまでみてきた「改革」を抑制させるものとはなって
いない15。大学が既存の特権に安住して自浄力を持てないとは、よく喧伝され
る批判であるが、一つの大学を囲いこんで管理することが可能となった自治体
行政権力は、そういう大学以上に自らの管理体制がもたらしている弊害を自浄
する可能性に乏しい。行政権力の意向・方針にもっとも鋭敏に反応するよう秩
序づけられた大学組織が負う、それは必然的なすがたと言えよう。
 もちろん、大学にとっては、受験生や受験産業による、いわばもっとも市場
評価に近い評価がつきまとうから、都立大学や横浜市大の「改革」もこの評価
を免れることはできない。大学間競争を勝ち抜くことが改革動機の一つである
以上、受験動向という市場評価を無視できないと思われるが、しかし、そこで
の「失敗」原因は、改革プランの内容よりもプランを売りこむ努力の欠如に転
嫁されるにちがいない。「改革」の検証を有効かつ公正に行うためには、「市場
評価」に任せるだけでは足りないのである。
 何よりも必要なのは、「改革」後の大学現場にさらされる教員が下から自律的
な評価・検証を行うことである。競争的教員評価システムによる分断的統制に
甘んじているかぎり、この課題は達成できない。教育・研究の専門性に依拠す
る自律的で共同的な評価・検証の場を広げてゆくことが求められよう。
また、公共的で公正な大学評価のあり方、機会を広げることも重要であろう。
横浜市大「改革」や都立大「改革」を大学評価の次元でどのようにとらえ、高
等教育機関及び学問研究の全社会的発展の見地からどれだけ踏みこんで評価で
きるかは、大学評価機関の役割を占う意味でも一つの試金石となるはずである。




1
『神奈川新聞』2003 1 17 日。

2
バランスシート方式については、安達智則『バランスシートと自治体予算改革』
自治体研究社、2002 年を参照。

3
「懇談会」答申への談話を求められた学長は、答申に添った改革を進めると表明
した。

4
もちろん、大学が抱える問題をあきらかにするという意味でも、である。英語担
当教員による英語教育の実態分析と提案が無視された例は、現状に目をつぶる「改
革」の性格をよく示している。

5
 受験生向けに開催される「ワンデーオープンスクール」は毎年参加者が増加し続
け、
受験動向にも大きな変動はみられていなかった。

6
 横浜市大におけるFDの具体例として、国際文化学部の教育実践を集めた、上杉
忍・佐々木能章編『教室からの大学改革』文葉社、2004 年を参照。

7
「研究は、外部資金を獲得して行う」とし、大学経費による支出は「競争的資金」
のみ、という「新しい大学像」の記述にひそむ粗暴で浅薄な研究観をみよ。

8
もちろん、職員会議は教育の自律性を確保する教員の集団的で実効的意思形成の
場として本来位置づけられるべきであり、現状をよしとするわけではない。

9
成果主義人事制度をめぐる諸論点については、土田道夫・山川隆一『成果主義人
事制度と労働法』日本労働研究機構、2003 年を参照。

10
「教育・研究評価検討プロジェクト(中間案)」(2004 6 月)なお、最終案は
いまだ(2004 11 月現在)公表されていない。

11
「教員全体が、組織の目標や自らに求められている役割を認識し、自らの能力を
高めより一掃発揮できるようにする」(「中間案」)という経営書ばりの文言には、
企業組織型管理への組織改変が如実に示されている。

12
 都立大の場合、「教員任期法」の適用が想定されている。「教員任期法」を労基


14
条の特別法とみるなら、労基法14 条に依拠しての任期制導入自体が法理に反す
ると言わねばならない。

13
 地方独立行政法人法で規定された評価委員会は年度ごとに大学の評価を行うが、
その評価は設立団体の長につたえられるのであり、議会が直接報告を受けるのでは
ない。

14
 教育課程・教育組織の「集権」化が生まれる背景には、個々の内容について開か
れた議論を行う自信がない、「改革」スケジュールに追われ合意形成は障害にしか
映らない、行政管理の実態を隠す余地となる、などいくつかの要因が推測される。

15
 職員とくらべ、他大学への転出機会をもつ大学教員の特殊性は、「改革が嫌なら

大学へ移れるのだから、教員関係のしくみはいくらでもいじれる」という反応を生
みやすい。また、新規人事により補充はいくらでも可能という受けとめ方もある。

===========================================================
発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
236-0027 横浜市金沢区瀬戸222
Tel 045-787-2320    Fax 045-787-2320
 
mail: kumiai@yokohama-cu.ac.jp
HP:
 http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
===========================================================