立憲主義 日本ジャーナリスト会議 視角(2005.5.22)

 

http://www.jcj.gr.jp/view.html 

 

 

立憲主義

明治憲法が審議されていたとき、枢密院議長の伊藤博文と文部大臣の森有礼が論争したという。森は「臣民は統治の対象であり臣民の権利義務を憲法に入れる必要はない」と主張、伊藤が反論した。「憲法を創設する精神は第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保全することにある」。
ことしの憲法記念日。当然のことだが、改めて「憲法とは国民を縛るものではなく国家権力を縛るもの」という立憲主義の原則が説かれていたのが印象的だった。この話は全国憲法研究会の講演会で樋口陽一教授が紹介、中日・東京の社説も取り上げた。他のブロック紙や県紙の社説にも立憲主義を強調する論調が目立った。
もちろん、自民党など改憲派から、国や伝統や文化が持ち出され、愛国心や国防について、義務とか責務と言って国民に押しつける姿勢が目立つからだ。森は再反論で「基本的人権は人民の天然自然に所持するもの。法により与えられるものにあらず」と主張し、憲法起草者の井上毅は「君主は人民の良心に干渉せず」と言ったそうだ。
日本国憲法は「良心の自由」や「表現の自由」を保障した。だが、君が代伴奏を拒否する教師は、教育委員会の通達で処分、卒業式の前に訴えると威力業務妨害、ビラを配ると住居侵入と刑法犯で裁かれる。九条だけではない。いま、あちこちで憲法と立憲主義が破壊されている。
憲法を「憲法」でなくし、人々を守る「法」を人民を縛るものに貶めている現実…。これを拡大しようとするのが、いまの改憲論だ。言い換えれば、いま、九条をテコに立憲主義とその基礎にある自由や民主主義や天賦人権、近代思想そのものが挑戦されている。改憲に未来はない。

e-mail