小泉首相の暴走を止めるのは誰だ 天木直人メディアを創る (2005.5.24)

 

天木直人メディアを創る

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小泉首相の暴走を止めるのは誰だ

 

 小泉首相の有頂天ぶりはとどまるところを知らない。薄ら笑いを浮かべ軽口を連発する小泉首相は、権力を独り占めする余裕を楽しんでいるかのようだ。「私は様々な権力闘争を勝ち抜いてきた」(24日産経)、「絶妙だっただろう。国会議員要覧を毎晩、ひっくり返しながら決めたんだ」(24日日経)。いずれも先週開かれた与党幹部との内輪の会食の席で、郵政民営化の決意をすごんでみせた時の発言だという。いまだかつて日本の首相でここまで好き放題を許された首相がいたであろうか。

何故彼はそれほど傲慢であり続けられるのか。その責任は自民党、民主党、そして小泉首相を支持し続ける5割の愚かな国民にある。

郵政民営化の茶番劇をここまで放置させた自民党の政治家たちは、閣僚人事で釣られ、解散と公認で脅かされて、身動き出来ないでいる。

一方、「民主党が野党でいる限り安心だ」と舐められっぱなしの民主党の体たらくはどうだ。政権を自民党から奪い取る実力も、その可能性も無いのに、「政権準備政党」などと先走って、自民党の補完勢力に成り下がっている。そんな民主党こそ小泉政権を支えている元凶だ。国民の多くが望んでいるのは徹底した政府批判なのだ。民主党はもっと野党精神に徹するべきだ。ひたすら批判し続けて小泉首相を追い詰めなければならないのだ。それがさっぱり出来ない。坊ちゃん集団の限界だ。

しかしなんと言っても小泉首相の横暴を許しているのは50%もの支持率を与える国民である。小泉首相が政策よりもパフォーマンスにうつつを抜かすのは、政策づくりに頭を使うより食事や観劇に興じる彼の内容の無さから来るものだが、やはり国民受けを狙ってのものでもある。そのパフォーマンスに騙される日本国民の半数こそ、芸能政治家小泉純一郎の最大の応援団なのだ。

日本全体がこんな風だから誰も小泉首相の暴走は止められない、そう思っていたら、そうではなかった。小泉首相に最大の強敵が現れた。

おごり高まった首相は5月16日の衆院予算委員会で、民主党仙谷由人議員の挑発に乗って思わず口を滑らせてしまった。靖国参拝は他国に干渉される話ではない、A級戦犯合祀の何が悪い、と言い切ったのだ。ジャカルタでの首脳会議で反日デモの収拾策を合意したばかりというのに、それを逆なでする挑発的発言だ。これが日中間の外交関係に発展しないはずはない。果たせるかな、万博参加で訪中していた呉儀中国副首相は、予定されていた小泉首相との会談をキャンセルして帰国した。

24日の各紙は大騒ぎでこの顛末を書いている。格下の副首相にドタキャンされて黙っていられるかとばかり国民の反中感情を煽り立てるマスコミはまるで小泉首相の別働部隊のようだ。歯向かうものには容赦の無い小泉首相は、さぞかし怒り心頭に発していることであろう。「先方が会いたいというから予定をつくったのに、野党の審議拒否が伝染したのかな」、「(靖国参拝中止の圧力をかけようとしているのだろうが)そんなものは通用しないんですけどねえ」ととぼけて見せている。その内心は「ダメと言われてやめられるか」(週刊現代5月14日号)とガキのようにムキになっているに違いない。

愚かだ。日本の軍国主義の被害になった「当事者」である中国を「他国」と称し、「他国が干渉する問題ではない」と言い切る神経の無さ。それが、これ以上日中関係を悪化させまいと努力する胡錦涛主席をいかに困らせ、刺激していることか。訪中した武部幹事長が、日中平和友好条約の相互不干渉の原則を強引に引用し、小泉首相を弁護しようとしたところ、王家瑞共産党対外連絡部長は「今なんと言ったか。信じられない発言だ」と強く抗議したという(24日産経新聞)。胡主席はまた「(中日関係の発展という大きなビルの建設は)レンガを一つ一つ積み上げないと出来ないが、壊すことは一瞬で可能だ」と述べたという(24日毎日新聞社説)。さすがの公明党も神崎代表、冬柴幹事長が自粛を言い始めた。小泉首相の財界応援団長である奥田経団連会長も、「首相の姿勢は理解している」と述べた上で、「個人の判断と国益の判断は違う」と靖国参拝に反対し始めた(24日各紙)。

誰にもとめられない小泉首相の暴走は、中国の壁に激突してやっと止まるのであろうか。しかしそれはあまりにも悲しいことだ。小泉首相の激突死のことではない。日中関係が悪化することが分かっていながら何も出来なかった我々の想像力のなさについてである。その無気力さについてである。小泉首相を放置し続ける我々は、本当に真剣に考えなければならないところまで来ていると思う。