大学や教員が“改革”で大変だって言っても スポイチ編集長日誌 (2005.5.28)

 

スポイチ編集長日誌 市大最強スポーツ紙の裏日誌

http://www3.diary.ne.jp/user/327670/

 

 

2005/05/28 () 大学や教員が”改革”で大変だって言っても

 

 民間よりは全然恵まれてるでしょ、的な感想は”全員任期制”だの一部を除けば割と一般的に普通な感覚ではあると思う。そういう面からの”クビ大論争”は既に起きていて、そこでは教育論だとか、今の日本はどうだとか、そもそも大学はどうあるべきかとか果ては日本文化に関する考察まで出ていてちょっと興味深い。だけど昨今の大学改革、特に都立大と市大に関して言うのなら、”改革”の発端はそんな高級なモンじゃないと思うよ。全然。

 それは一言で言えば、利権とポストの分捕り構想であって、つまり既存の教員は邪魔っつーことだ。都立大の場合、慎-CHANの理屈では大学なんて要らなくなるのに…との意見は結構耳にするが、自分のお友達にポストを与えてあげるという大事な目的があるさね。

 ”改革”の発端が大学への恨みだろうが利権乗っ取りだろうが、真面目に将来を見据えたものであれば評価しなければならない。その上で、”改革”を単なるプロジェクトで終わらせずに、多くの人が納得できるような内容へと昇華させる事ができるかってことだ。クビ大では一応、それが妥当であるか、あるいは内容がともなっているかどうかは別として慎-CHANは入学式で大学について熱く語っている。

 だが、こと市大”改革”については、その理念・内容について語るべきものは何もなかったんではないか。大学に派遣される市職員の蓄積された鬱憤、教員や学生への反感。そういう負の感情の噴出しか感じ取れないんだな。象徴的なセリフが「カネ出してやってる」…。こんなのクビ大では三下都議の言うセリフですが。とにかく「これまでの市大」を罵倒して、これを完膚なきまでに叩き壊したいという怨念以上のモノが感じられんのだよ。いやマジで。

 都庁や関内でのリストラは不可避であった。けども本庁でリストラを行うには抵抗も大きい。そこで抵抗の弱そうな外郭(八景)がまず狙われたというだけの事だ。職員は大学へは赴任したくないから大学潰しの”改革”に協力するし、一般人は関わりのない大学の事には無関心だから、反対するのは教員だけとなるので強行は容易だ。反対する教員や嫌気がさした教員は辞めていくに任せ、空いたポストには官僚や自分のブレーンを送り込む。そうやって大学を官僚の直接支配下に置き、官庁リストラによって不足する官僚のポストを確保することが主要目的だから、”改革”の内容が最初から虚しいのは当然である。