公立大学協会会長交替:責任の所在はどこへ? だまらん (2005.5.30)

 

都立大の危機 --- やさしいFAQ だまらん http://pocus.jp/damaran.html 

http://pocus.jp/05-2005/053005-kdk-kaicho.html 

 

・・・この人は、自分の公的立場での言動に責任のとれない人なのではないか?現学長としての責任感も、あやしいと考えざるをえない。

 

公立大学協会会長交替:責任の所在はどこへ? [2005/05/30]

526日に『山陰中央新報』は、公立大学協会の会長が交替したことを伝えた。首都大学東京の学長、西澤潤一氏が退き、島根県立大学の宇野昭学長が選出された。以下は、その記事の引用である。

            公立大学協会会長に島根県立大の宇野学長

 公立大学協会の第64回総会がこのほど、東京都内で開かれ、会長に島根県立大の宇野重昭学長を選出した。都市部の大学が務めてきた会長職に、地方大学の学長が就任するのは異例。独立行政法人化など重要課題の山積する公大協のかじ取りを担う。

 公大協は、県立大や市立大など公立大学73校で組織。総会で役員改選があり、首都大東京の西沢潤一学長の会長退任に伴い、宇野学長が後任に就任した。任期は2年間。

 宇野学長は2003年に公大協の中国・四国地区協議会議長を務め、04年5月からは会長代行の副会長に就任。今後は公大協の進める調査研究の総括、文部科学省や全国知事会といった関係機関との協議などの重責を担う。

 宇野学長は「地方分権が進む中、公立大学の果たす役割はますます重要になる。地方に公立大学の根をしっかりと張るため、人材育成に力を入れていきたい」と話している。

 国立大学協会や日本私立大学連盟など大学の全国組織は、都市部の伝統校が会長職を務めるのが慣例。公大協も従来、東京都立大、横浜市立大などの学長が歴任してきたが、前会長の西沢氏(就任当時・岩手県立大学長)が初めて地方の大学から選出された。

情報源:新首都圏ネットワーク<『山陰中央新報』(2005526日)

公立大学協会は、すでに2002年(平成1488日)に、 公立大学法人の目的と意義(以下「目的と意 義」と略)を発表していたが、翌年(2003年)102日に当時の公立大学協会会長、西澤潤一氏の名前で 「公立大学法人化に関する公立大学協会見解」(PDF)を発表していた。その中に、以下の文言が含まれていたのは記憶に新しい。

 「大学における教育研究の特性に常に配慮しなければならない」ことを定めた配慮条項は、設置自治体が法人化を選択し、それを実施に移す過程においても不可欠の前提となります。設置自治体が法人化を選択する場合、公立大学と十分な協議を行い、新たな協力関係を築いていくことを要請します。
 設置自治体が法人化を選択した場合には、教育研究の特性及びこの特性のもっとも重要な要素である自主性に常に配慮しつつ、大学側と十分に協議しながら双方の協働作業として進めていくという姿勢が何よりも必要です。
平成15102

(「公立大学法人化に関する公立大学協会見解」  公立大学協会 会長 西澤 潤一   P.5 より

今、改めて2002年の公立大学協会(以下「公大協」と略)の文書を読み直してみると、公大協は、独立行政法人化を積極的に推進することで、公立大学を活性化できると考え、地域密着型の大学を目指して変革を図ることを宣言していた。 「公立大学にとって、『地域貢献』は本質的な使命である。」 と断言するあたりは、かなり強行な姿勢が見て取れる。

しかし、良く見ると、その中には、 2003年の「公立大学法人化に関する公立大学協会見解」を待つまでもなく、いくつかのクギが刺してある。このような文書をまとめるにあたっては、当然、賛否両論があったことが予想され、よく読むとかなり矛盾しそうな主張がちりばめられているが、その幾つかは、明確に「歯止め」として書かれていると思われる。以下、その3つの側面を見てみたい。

(1) 2002年の「目的と意義」で前提としているのは、<大学の自主性・自律性> である(文章中では形を変えて、5回現れる)。

高等教育・学術研究を使命とする大学には、その特性にふさわしい自主的・自律的組織的原理が必要である。
大学を行政から切り放し法人格を与えることによって、大学にふさわしい自主性・自律性を尊重しつつ、組織のスリム化・効率化を確保することが可能である。
公立大学法人制度の基本的枠組みは、大学の自治の理念に則し大学運営の自主性・自律性を保障する意味で、「法律」(公立大学法人法)に規定する。
また教育研究の自主性・自律性を尊重するため、大学が原案を作成し、設置者は原案を十分に尊重しなければならない。
評価制度は「大学運営の自主性・自律性や教育研究の専門性を尊重しつつ、評価により、大学の継続的な質的向上を促進するとともに、

このように見てみると、「目的と意義」は、公立大学が独立行政法人となることを、全体的に強く肯定する一方で、大学の「自主性・自律性が保障」されるように繰り返し述べられている。裏をかえせば、それだけ繰り返し述べる必要があったということで、ともすると蔑ろにされてしまう危惧が当初からあった、ということだろう。

(2)「目的と意義」の 2 公立大学法人の特色 (1)」は、全体の中で異色を放っている。すなわち、公立大学の欠陥を明確に指摘し、「公立大学には、国の「文科省」に相当するものがない。したがって、大学運営の自主性・中立性・専門性と地方自治的な制度運営の間に、合理的なバランスを確保するための特段の工夫が必要である。」と警句を発しているからだ。

高等教育政策所管の部局も専門家集団不在。
大学運営の自主性・中立性・専門性と地方自治的な制度運営の間に、合理的なバランスを確保するための特段の工夫が必要
公立大学特有の条件として、設置者自治体と大学の間に立ち、自治体の長・議会・住民の意向を反映しつつ、同時に大学という組織の自主性・専門性・中立性を安定的に確保するための「何らかの媒介的な機能を持った組織」を設置するべき。

まさに、設置者自治体と大学の間に両者をとりもつような公的機関があったなら、「都立大 - 首大問題」や「横浜市大問題」は、ここまで悲惨な結果にならなかったであろう。明確な中立的立場に立つ「公立大学運営協議会」のような組織が、一定の拘束力のある指導権を持って介入しなければ、圧倒的な権力を持つ設置者自治体を押さえることはできない。 東京都や横浜市で実際に起きたことを見れば、それは明らかだろう。「大学という組織の自主性・専門性・中立性を安定的に確保すること」は、設置者自治体と大学の協議に任せておいては成り立たない、という教訓を我々は得たのだと思う。

(3) 「学長が法人の長を兼ねること」という原則も、首都大学東京では「学長と法人の長(=理事長)の分離型」となり、例外的な形をとることになった。曰く、「経営と教学の分離は、必要」なのだそうである。しかし、実際の組織を見ると、経営側が最終的に教学側(=大学教員側)をコントロールできる仕組みになっており、教学側の代表が経営にも携わる(=学長が法人の長を兼ねる)という図式とは決定的に違う。

「目的と意義」では、「大学運営に『経営的視点』を導入し、柔軟で機動的な運営を可能とする」という文言が1の(3) に明記されているが、すぐにその後で、 「ここで言う『経営』とは利益を出す目的の企業経営とは異なり、教育・研究・地域貢献による『知の拠点』にふさわしい経営を意味する」とクギを刺している。首都大学東京の発足に当って、「経営的視点の導入」は繰り返し主張されたが、<大学経営とは、利益を出す目的の企業経営とは異なる>という言葉は、ついに一度も聞かれなかった。

振り返ってみると、西澤潤一氏は、公大協の会長をしていて、会長として2003年(平成15年)102日に見解を発表し、 「設置自治体が法人化を選択した場合には、教育研究の特性及びこの特性のもっとも重要な要素である自主性に常に配慮しつつ、大学側と十分に協議しながら双方の協働作業として進めていくという姿勢が何よりも必要です。」 と述べている。時はすでに、200381日の知事発言以後であり、西澤氏は、それ以前から、新大学構想に関わってきたことが判明している。

西澤氏は、果たして、「教育研究の特性及びこの特性のもっとも重要な要素である自主性」をどのように配慮したのだろうか?

西澤氏は、果たして、「大学側と十分に協議しながら双方の協働作業として」法人化を進めていく努力をしたのだろうか?

西澤氏は、どちらもしなかった。つまり、自分で公大協会長として主張したことに、責任を取らなかった、ということである。山口管理本部長の有名な言葉(「意見を聞き話し合いを行うことについては否定しないが『協議』はしない」)について、西澤氏は反対をしたとは聞いていない。彼は、大学の自主性に関しても、管理本部と大学側の協議に関しても、沈黙を続けた。そして、その人が、今の首都大学東京の学長である。<就任後は、教員と積極的に話し合って良い大学にしていきたい>と、いずこかで語ったようだが、そのような話し合いが持たれたという話は聞いていない。この人は、自分の公的立場での言動に責任のとれない人なのではないか?現学長としての責任感も、あやしいと考えざるをえない。