昭和天皇こそ最大の米国追従者だった? 天木直人メディアを創る (2005.6.1)

 

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昭和天皇こそ最大の米国追従者だった?

 

 1日の朝日新聞が大スクープを放った。立教大学の中北教授と沖縄国際大学の吉次助教授が、それぞれ米国で公文書を発見し、終戦直後から70年代初めの間に、昭和天皇が米国の日本占領に感謝し、米国の軍事力の行使を賞賛していた数々の発言をしていた事を明らかにしたと報じたのだ。

 これが本当なら日本の戦後史は書き換えられなければならない。中北教授は「・・・天皇の発言は憲法上の問題をはらんで(おり)、反共を共通点とした天皇制と米国の結合関係を浮き彫りにしている。戦後の保守的ナショナリズムが親米を基調とした理由の一端をうかがわせる意味でも興味深い・・・」と書いている。

興味深いどころの話ではない。戦後の対米従属外交の源は昭和天皇にあったということではないのか。戦後の日本外交は、天皇、保守政治家、官僚、財界が一体となって、反共、米国追従政策を推し進めたと言えないのか。目からうろこが落ちるとはこのことだ。

 実は昭和天皇の安保体制への関与を明らかにした学者は以前にもいた。その一人が豊下楢彦氏である。彼は確か現在は、関西学院大学かどこかの教授であると記憶しているが、その豊下教授が京都大学の助教授時代に、「安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―岩波新書(1996年12月発行)」−という著書を世に出した。その中で氏は、昭和天皇が新憲法の下で象徴天皇になった後も、マッカーサー司令官と単独で何度も会見し、自らの戦争責任の回避と、そのための米国の日本支配について要請し、もたつく吉田茂に安保条約の早期締結をつよく求めたと推論しているのである。

豊下教授はその著書の中で、例えば次のような言葉を引用している。1946年当時、頻発する労働争議について天皇がマッカーサー司令官に自らの思いを伝えたくだりである。

「・・・日本人の教養いまだ低く、且つ宗教心の足らない現在、米国に行われるストライキをみて、それを行えば民主主義国家になれるかと思うような者も少なからず・・・」と激しく日本国民を批判し、マッカーサー司令官にその取締りを要請した・・・

 そして豊下教授は次のように述べている。

「わずか一年数ヶ月前まで、天皇への限りない『宗教心』を持って『天皇の戦争』を戦った一億の日本人を、教養が低く、且つ宗教心が足らないと天皇陛下がマッカーサー司令官に言ったことを、国民が知ったら、激怒したに違いない」

 今日でも昭和天皇について語ることはタブーである。しかも終戦前後の昭和天皇の発言などについては断片的なものしか公表されておらず真実は謎のままである。しかし少なくとも米国公文書では様々な情報が記録、保存されている。わが国においてこのような文書が公表されないことは残念だが、少なくとも米国公文書だけでも丹念に解き明かし、事実を後世に残すことは、わが国の歴史家や学者たちの責務であるとつくづく思う。