おごるな石原慎太郎 澤藤統一郎の事務局長日記 (2005.6.4)

 

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おごるな石原慎太郎  

浜渦副知事の更迭をめぐる石原都知事の記者会見発言に驚いた。この人の傲慢さにである。いや、単に傲慢な人物であれば他にも掃いて捨てるほどいる。これほど傲慢な人がわが国の首都の首長になっている現実に驚愕せざるを得ないのだ。都民は、この傲慢な男を知事の座に座り続けさせることを許容するのだろうか。

ことは、主義主張や政策のレベル以前の問題、都民の信託に応えるべくまじめに行政に取り組もうとしているのかという基本姿勢にある。彼の傲慢さを支えているものは性格の幼児性。発言内容はとても一人前の大人のものとは思えない。自分だけが見え、周囲が視野に入らないのだ。

彼を傲慢という理由の第一は、自らの責任については開き直ってこれを否定し、すべてを他に責任転嫁しようというその姿勢にある。

問題は、知事が自らは週に2日あるいは3日しか登庁せず、浜渦など側近の独断体制を作り上げてしまったこと。このことが多くの都政関係者の不信と怒りを買って、今回の副知事総入れ替えの「騒動」にまで発展したのではないか。都政トップとして自らの不明を恥じ、責任を認めて謝罪の上、具体的な改善策を示すことが、都民に対する彼の責務である。

にもかかわらず、彼は「(具体的な形で責任の所在を示す考えは)ありません。何をもってするんですか」と開き直る。また、「周りにいい大人たちがいるんだから、『これは問題あります』とか言ってくれなかったのか」と、他の特別職に責任転嫁する。

彼を傲慢という理由の第二は、都民からの厳粛な信託を私物化していることにある。308万票の都民の石原支持票は、彼にフリーハンドを与えたものではない。閉塞感の強い状況下に、石原に打開策を期待した票の積み重ねと見るべきであろう。都民の期待を、自分個人に対する信任と取り違え、何をやっても都民の支持が付いてくると思いこんでいるその姿勢を傲慢と言わざるを得ない。

辞職の意思の有無を聞かれて、石原は「毛頭ない。辞職してもう1回、選挙やってもいいが、そこまではやらない」と言っている。都民に対する責任を認めず、今選挙をしても当然に都民の支持を得られるとするところに、彼の思い上がりが表れている。

また、週2〜3日しか登庁しない問題を質問されると、「君ら(記者団)だって、毎日、この記者クラブに来て、取材ができるのか。毎日、毎日、同じ机に座ってるのが能じゃないだろ。あまりバカなこと言わない方がいい」と発言している。都民は、あれだけの高給取りが都庁に詰めているのは当然だと思っている。都庁にいないのなら、あとの週の4〜5日はどこで何をしているのか、説明を聞きたくなるのは当然だろう。それを「あまりバカなこと言わない方がいい」では、「あまり都民をバカにすること言わない方がいい」と反論せざるを得ない。

彼は、記者団に対して「ここぞとばかりにやってきたな。ピラニアが」と言い、記事で「進退を考えよ」と書いた記者を「ただのブン屋」とこき下ろしたという。都民は、こんな知事の言動を知ってなお容認するのだろうか。

健全な民主制の基礎は、権力者に対する批判にある。批判に耳を傾けない権力者は危険な存在である。批判に耳を傾ける資質を持った者と交替させなくてはならない。石原慎太郎が自ら発したシグナルは、既に危険と判断するに十分ではないか。