将棋界を震撼させる「怪文書」騒動! 米長邦雄九段の理事落選にからみ・・・ 「週刊宝石」1997年7月10日号 

 

 

華々しい名人戦の陰で、なんとも不気味な事件が進行していた。著名棋士たちを名指しで罵倒する手紙が関係者の自宅に郵送されたのだ。いったい誰が、何の目的で!?いま、将棋界に何が起こっているのか――。

 

 

退席者も出る大荒れ選挙

 

 いま将棋界は一通の"怪文書"『理事会顧末記』で揺れている。文書の詳しい内容は後述するが、その個人攻撃ぶりは凄まじい。

 中原誠永世十段は《全てを失った人》と断罪され、二上達也将棋連盟会長に至っては《完全なロボット会長であり、自分の意見を述べないのが最良と決め込んでいる人物》とバッサリ。

 将棋観戦記者の重鎮・田邊忠幸氏も呆れ果ててしまった。「まったく、こんなものが飛

びかうなんて前代未聞。将棋連盟も情けない団体になってしまったということです。棋士のモラルとして盤上では激しい戦いをしても、連盟のためには一枚岩であるべきなのに、この怪文書はひどすぎる」

 ことの発端は、米長邦雄九段の将棋連盟理事選挙出馬にある。

 米長長九段といえば、谷川浩司名人、羽生善治四冠王ら将棋界の"表の顔"以上の存在。政財界の人脈の幅広さにかけては将棋界随一であろう。

 かつて京王プラザホテルで開いた名人位就任パーティには2千名のファンが詰めかけた。挨拶には経団連副会長(当時)の関本忠弘氏(NEC会長)の姿もあった。

 ――そして、この米長九段が理事選で落選したのだ。

 社団法人日本将棋連盟の理事の構成は東京6人、大阪2人。今回、東京側は青野照市理事が辞退したのにともない、1名の欠員を争う形になった。

 

 理事は将棋連盟の舵取り役を担う、いってみれば会社の役員である。

 従来はキャリアの長い順に、事前に根回しして順送りで理事は決まるものだった。

 それが、米長九段という大物の突然の立候補で状況は一転した。

 米長九段は2度にわたって、立候補声明文を全棋士に送った。将棋ブームの衰退を危惧しながらも、「将棋を国技に高める」という壮大なビジョンをかかげ、その活動のために、理事という肩書が必要だと説いた声明文だ。

 現理事派は石田和雄九段を擁立し、反体制派の米長九段と対立する図式になった。

 現理事派は事前の電話戦術で票固めに奔走し、米長擁立派は将棋界の最大派閥・高柳一門の取り込みをはかる。

 この日、副議長を務めた田丸昇八段がこう証言する。「米長さんにどれだけ票が入

るのか、みんな息を飲んで見つめていました。米長さんの名前が読み上げられたときには『やっぱり出たか』と、あらためて驚き、予備選の結果には『まさか』という空気が流れた」

 予備選挙の結果は、現職の理事5人が5位までを占め、石田九段が85票で6位。米長九段は81票で7位。

 この結果に、加藤一二三九段は「米長が石田ごときに負けるわけがない」と怒り、本選挙前に帰ってしまうという大荒れの様相。

 本選挙に進んだのは7人。米長九段は出馬の意思を問われると、「ここで降りればすんなり決まるところですが、あえていま一度出馬します」と頬を紅潮させて宣言。

 これがさらに棋士たちの緊張を高めていく。事実上、本選挙は石田九段と米長九段の一騎討ちとなった。

 普段はノンポリの若手棋士たちも、米長九段を支持すれば、理事会に歯向かうことになり、後で何か言われるのもたまらないと内心はパニックだったという。

 本選挙の結果は15位は依然、現職理事が占め、6位石田九段が87票、米長九段は79票で7位。米長九段の落選が決まったのであった。

 さて、問題の怪文書に戻ろう。B5判の用紙に5枚にわたってつづられた全5928文字の力作。消印は69日。棋士総会の2週間後に発送されたことがわかる。

その怪文書も語る今回の選挙の裏事情は――

 高柳一門の総帥・高柳敏夫名誉九段は、米長支持を打ち出した。

 ところが、一門の要である中原誠永世十段は師匠の意を汲まなかった。結論として、一門は高柳名誉九段の意向を参考にしての自主投票を決定する。

 米長支持派の"読み"は完全に外れてしまった。だから、怪文書は中原永世十段に対して、最も厳しい言葉を浴びせている。《象徴的存在から一転して只の人》《父親の位牌を蹴飛ばしたに等しい所業》……。

 

 

将棋界「利権」の対立構造

 

 次に、いよいよ核心に入っていく。《意外な裏事情》と題された項では《米長を落とさねばならぬ事情があったのです》として、将棋連盟を巡る利権争いの構図を指摘する。

 将棋界はいま、ゲームソフトやパソコン通信など、ニューメディアヘの参入が活発化している。

 対立の構図は、現理事派の西村一義八段が社長を務める将棋連盟出資の「NSN」と、「駒音コーポレーション」。

まず先鞭をつけたのは会員数1-800名を擁する「駒音(こまおと)コーポレーション」。武者野勝巳六段が社長となり、NSN1年先駆けて設立された。

 事業内容は将棋書籍の出版、ソフト開発など。いま富士通のゲームソフト開発で注目を浴びている。

 ところが1年後に設立されたNSNも、同様のビジネスに参入してきた。しかも将棋連盟が保有する棋譜の、デジタル化に関するいっさいの版権の管理・運営を行うとしている。

 なかでも、ゲームソフトメーカーの「潟Zタ」とは密接な関係を持つ。同社は連盟が75千株を保有している「親戚企業」。

 同社のNintendo64用ソフト「最強・羽生将棋」にも、版権元としてNSNの名前がある。

 そのため、NSNと駒音は微妙に利害が低触する。「この点で、理事派のNSNにとっては駒音が目の上のタンコブ。事業が影響を受けることを懸念して、排除したがっている。しかし、棋譜の著作権というのは、慣例として棋士が出版するぶんにはロイヤリティはかかっていなかった。駒音にしてみれば後発のNSNが権利を独占することに忸怩(じくじ)たるものがあるでしょう。だから駒音は米長を理事に擁立することで、この問題を有利に導こうとした」(中堅棋士)

 というのは、駒音と富士通はいい関係にあるが、米長九段も同様に、富士通との密擦なパイプを持つ。「名人戦フェスティバル」のスポンサーとして富士通が参入するにあたって、米長九段が大きく関与したといわれているからだ。

 理事派にしてみれば、米長九段が理事入りすることで、駒音―富士通のビジネスが拡大し、NSNが圧迫されることを危惧したわけだろうか。「理事派の西村さんは『米長だけは会長にしない』と日々口にしてますからね」とある高段棋士は言う。

 しかし、怪文書が触れていない、問題の根底は、現在毎日新聞が主催している名人戦を巡っての、朝日新聞と毎日新聞の主催権争いである。

 「今回の名人戦で谷川が勝ったときの朝日新聞を見て、目を疑いましたね。1面に名人戦の写真がデカデカと出て、特集までしてあった。毎日新聞かと思った。朝日は、虎視眈々(こしたんたん)と名人戦を狙っている。現在、毎日が払っている約3億円を大幅に上まわる額を持ちかけて、連盟に働きかけている。二上会長もその気があるらしい」(将棋担当記者)

 しかし、かつて二上会長は名人戦を毎日から朝日に移行させようとして、米長九段に猛反発をくらって取り下げたいきさつがある。

 このとき、米長九段に加勢したのが当時の名人・中原永世十段であったから、不思議な縁といえよう。

 その米長九段が理事に加わったら、朝日移行の計画がまた暗礁に乗り上げる可能性がある。理事側はそれを嫌ったというのだ。

 

 

怪文書騒動が残した禍根

 

さて、怪文書まで飛びかった米長九段の理事落選。このことは将棋界にとってどういう意味を持つのか。

 多くの棋士と交遊の深い団鬼六氏(作家)は、今回の米長落選を残念がる。「米長が理事になるのは意義があることでしたよ。政財界にも人脈が広く、博学多才。1時間も一緒にいるとこっちがクタクタになるくらい、あらゆる話をする。しかしいまの棋士というのは将棋のことしか知らない。米長にはついていけないんでしょう。将棋の世界では、多才なことよりも将棋一辺倒の人間のほうが信頼される。米長のように何をやりだすかわからない人は敬遠され、人望がないんでしよう」

 名人になったときには「歩く広告塔になる」と言い、今回は「将棋を国技にする」と公言する米長九段。

 かつて大山十五世名人が会長の時代、国技館で『将棋の日』イベントを開催。8千人が集まったものの、数千万円の赤字。

 だが米長九段は「これだけ将棋の宣伝になったのなら2千万〜3千万円の赤字なんてどうってことない」と平然としていたという。

 しかし、米長九段の"敏腕ぶり"は、逆に批判の対象にもなっている。

 「師匠の佐瀬勇次名誉九段が理事になったり、名誉九段になったのは米長の政治力。佐瀬さんはAクラスに入ったことのない人で、名誉九段は疑問視されていた。そういう力があるだけに、いまの理事たちは米長の好きなように牛耳られてはたまらないという意識がある」(将棋担当記者)

 またそれどころか米長理事不要論まで出ているという。「いまの理事会はひとつのユニットとしてパランスよく機能しているんです。駒に楡(たと)えれば、二上会長が王将、大内延介理事が飛車、勝浦修理事が角、滝誠一郎理事が銀、堀口弘治理事が桂馬で新任の石田理事が歩。米長は飛車も角も金も銀も兼ね備えた凄い駒ですが、4番打者ばかりを集めて低迷する巨人と一緒で、メンバーのバランスが大切なんです」(高段棋士)

 これでは出る幕がなさそうだ。「選挙の翌朝9時に米長さんから『見事に落ちました。不徳の致すところで。ワハハハハ』と電話が来た。どうやら朝まで残念会をやっていたらしい。堂々と宣言して落ちただけに、不覚でしょうね」(前出・団氏)

 ともあれ、「この怪文書騒動が将棋界にとって大きな禍根を残した」というのが棋士たちの一致した見解である。