特集 暴露された米長邦雄元名人の「恥ずべき私生活」 「週刊新潮」1998年4月2日号 

 

 

今期の名人戦順位戦で、二十六年間在位していたA級からの転落が決り、すわ引退かと報じられた米長邦雄元名人(五四)。ご当人は引退を否定したものの、「主催社の出場要請がなければ辞める」などとゴネ出したものだから、関係者は呆れるばかリ。が、元名人の身勝手さは今に始まったことではないという。仲間うちでは悪評紛々。中でも、かつての愛弟子が暴露したのは、とんでもない醜聞である。

 

 

「一般の人は何も知るないから、米長さんをいい人だと信じていますが、こんなに大嘘をつく人はいません。それこそ十分ごとに話すことがコロコロ変ってしまう。私は、米長さんの実像と、今回の引退騒動の裏にある本当の事情を語ろうと思います。それが今後の日本将棋連盟のためになると思うんです」

 そう語るのは、プロ棋士の桐谷広人六段(四八)である。

 この人は、元々は故・升田幸三氏の門下だったが、米長元名人に心酔し、二十年間にわたって公私ともに仕えてきた。元名人の著作の代筆も任され、将棋界の中では最も米長氏を知る、いわば愛弟子である。そんな人物が恩師を告発するというのだから穏やかではない。

 そのきっかけとなったのが、今回の引退騒動である。

 顛末を振り返れば――、「三月三日未明、米長さんのB級への陥落が決った後の打上げの席で、米長さんは観戦記音を前にして、確かに"来期の順位戦には参加しない" 他の棋戦にも出ないと言っていたんですよ。それで名人戦を主催している毎日新聞が"引退へと書いたんですがね」

 と、あるベテラン将棋記者はいう。

 ところが六日になって、米長元名人は、「引退はしない」と否定の記者会見。それだけならまだしも、「棋戦を主催する新聞社の社長、会長から要請があれば参加して将棋を指す。要請がなければこの世界を去る」

 と、目茶苦茶なことを言い出したものだから、関係者は唖然とした。というのも、「連盟に所属する棋士は、すべての棋戦に参加する義務があります。これは各主催社との契約であって、米長先生のように、直接要請がないと参加しないというのは契約違反になってしまいますし、それを認めれば他の棋士に対してしめしがつきません」(日本将棋連盟関係者)

 某中堅棋士はいう。「米長さんは、今期はA級の順位戦が始まる前から、"勝っても負けても辞める"と言ってたんですよ。そんなこと言わなきゃいいのに、前言を撤回した挙句に、身勝手なことを言い出すのだから、呆れるばかりですよ」

 とはいえ、連盟としても将棋界の功労者で人気棋士の米長元名人を切り捨てるわけにもいかず、ほとほと困り果てているというのが実情である。

 それだけに桐谷氏は、「今回の騒動は、米長さんの将棋連盟に対するいやがらせなんですよ」

 と断じるが、なるほど連盟と米長元名人との間には、確執があった。「米長さんは、棋士を引退して今夏の参議院選挙に出馬するともいっていました。みんなの前で、"三年前には自民党が名簿順位七位でどうかと言ってきたが、この夏には五位でどうかと言ってきた"と喋っていたんです。米長さんは、三年前にも参議院選挙には色気を見せていました。が、そのためには将棋連盟の全面的な応援がないと出られない。当然、米長さんはそうするように理事会に頼んだのですが、"将棋界は不偏不党だ"とアッサリ断られてしまった。なにしろ米長さんにはまるで人望がなかったんですよ」

 その決定は、元名人のプライドをいたく傷つけるものだった。

 

婚約者を奪われて…

 

 そこで米長元名人は、自ら日本将棋連盟の会長に就任することを目論んだという。

 昨年五月のことである。「会長は理事の互選によって選ばれるので、まず連盟所属の全棋士の直接投票によって選ばれる理事選に立候補したんですよ。が、明らかに現在の理事会に反発するものだったので、これに反対する人達が、急遽(きゅうきょ)、米長さんに対抗馬を立てて当選を阻止したんです。ところが、その後に連盟を誹謗する怪文書が流れました。誰が書いたのかはわかりませんが、内容は米長さんしか知りえないような情報か満載されていたんです」(桐谷氏)

 名人位を極めたほどの実力者か落選するなど前代未聞。「それだけ米長先生に人徳がなかった」

 と、中立派の棋士もいうが、この理事選を機に、米長氏と理事会との対立の根は深くなる。「米長さんは、理事選に破れた後、"今後は理事会に協力しない"と言い出した。まるで子供です。その頃、国際棋戦の企画が広告代理店と連盟との間で進んでいたのです。ところが有カスポンサーが途中で下りてしまい、挫折してしまったんですよ。企画した当時は米長さんが、"有力スポンサーの会長とは友人なので、話をしてやる"と言っていたのですが、理事になれなかったから、途端に邪魔したと連盟内ではいわれているんです」(桐谷氏)

 そうした対立の延長線上に、今回の引退騒動があったというのである。

 ところが桐谷氏の暴露はそれだけにとどまらない。彼が公然と米長氏に反旗を翻した裏には、とんでもない醜聞が隠されていた――。「私が米長さんと袂(たもと)を分つようになったのは、私事で手ひどく裏切られたことでした。米長さんの女癖の悪いことは身近にいてイヤというほど知っていたのですが、特に人の女に手を出す悪い癖はもう病気です。私もその犠牲になったのです」

と、桐谷氏は打ち明ける。「以前、私は郷里に近い尾道の女性と付き合っていたのですが、ほとんどが文通だった。が、いつの間にか、二人の間には結婚してもいいという了解ができて、彼女が上京してきたのです。そのことを米長さんに言ったら、"おれに会わせろ"という。当然、会わせますよ。そしたらその場では、"結婚したら私や本妻、愛人とも仲良くやってくれ"なんて彼女に言うんです。ところが彼女が尾道に帰った途端、"お前たちは結婚できない"と言い出した。それから私の目を盗んでは尾道に行き、彼女を口説いてついに関係を結んでしまったのです。そのことは、後に、平成四年頃だったと思いますが、彼女から"私があなたと結婚できなくなったのも、米長先生に口説かれ、愛人になってしまったからなのよ"と告白されてわかったことなんです」

 さらにその直後に起った女流棋士の林葉直子さんの失踪騒動で、桐谷氏は米長氏に愛想か尽きたという。退会届を出してロンドンに逃避行した林葉さんは、スッタモンダの末に除名処分。

 桐谷氏は林葉さんから相談を受けていたというが、「理事会はとりあえず一年間の休養にするという処遇を決めて、本来ならこれで済んでいたんですよ。ところが米長さんが元師匠として連盟に乗り込んだことから事態がおかしくなった。彼女は近親相姦だったとか、あることないことを理事会に吹き込んで、騒ぎを大きくしてしまった。そのおかげで林葉は追放される羽目になったんです。その一連の動きを知って、私は米長さんの元を去ることにしたんです」

 

「俺は千人の女を知っている」

 

米長氏は、自身の女性関係についてマスコミにもフランクに喋ってはいるが、いや、その実像は聞きしに勝る。「米長さんと愛人との連絡係などはしょっ中でしたし、彼のアリバイ作りに大汗をかかされたことも何度となくありました。そのくらい私は身近にいたのです」

と、桐谷氏は振り返る。「愛人の数は常に複数だったが、本命は、ある月刊誌の元編集者。十年くらい付き合っていたが、"女房と別れて一緒になる"という約束を反故にされ、米長さんと別れてアメリカに渡ってしまいました。米長さんは、"おれは千人の女を知っているが、君は千一人目だ。これからは他の女とは絶対にセックスしない"と言って口説いたんです。彼女は米長さんと付き合っている間、いつも私に連絡をしてきてデートの時間を決めていた。そのために私も彼女のマンションで手料理をご馳走になったことがあるんです」

「かつて将棋専門誌に勤務していた女性には、"俺の観戦記を書くのなら、俺が原稿を見てやるからこっちに来い"と地方の対局場に呼び出し、そこでモノにしてしまったのです。しばらく付き合っていましたが、彼女の方から逃げ出すと、"あの女は貧乏おそその持主だ。おかげで、俺はタイトルを失った"などと皆に言いふらしてしまったんですよ。彼女はそれで将棋専門誌では働けなくなりました」

その一方で、有名女優とも浮名を流す。おまけに、「女流棋士に、"おれの愛人になれ"と言い寄るのは、日常的なことでした。それを断ると、彼は連盟の職員に"あの女は嫌いだから、今度の仕事を外せ"などと圧力をかける。それで一年間も連盟のイベントなどの仕事から外された女流棋士は、私が相談に乗っただけでも三人以上はいます。もう、すごいセクハラです。本当に棋士としての米長さんが好きで、肉体関係を持ってしまった女流もいます。でも、本人は、"おれは女流に手を出すほど女に困っていない"と蠣(うそぶ)いていますがね」

 刹那的な勝負の世界に生きるプロの将棋指しにとって、破天荒な生活は付き物である。米長氏の度外れた女性への執着は、彼が一流棋士であることの証拠(あかし)だったのか。

 米長氏本人に代って、夫人は、「米長は放っておきなさい、と言っていますが、桐谷さんの言うことはでたらめばかりです。確かに米長はモテるので、彼女がいるとは思いますが…」

と意にも介していない。が、今回の騒動で米長氏は四面楚歌。そのうえ、身内から「恥ずべき私生活」まで暴露されるようでは、元名人もとんだ悪手を指してしまったようである。