公立大学という病:横浜市大時代最後の経験、市労連という病「後日談」 (2005.6.15)

 

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2005年06月15日

公立大学という病:横浜市大時代最後の経験、市労連という病「後日談」

公立大学という病:横浜市大時代最後の経験
 ● I. 市労連という病 「後日談」

05/6/14 少しだけ「I. 市労連という病」の「後日談」に追記。こっちに書いてもよかったのだが、後日談ということで最後のところに追記しておいた。

 

後日談
(1) 私の研究室の隣りの先生は現副学長であった。私の採用責任者(審査委員長)だったが、どうも私とはそりがあわないらしく、何か用があっても、隣りの部屋にもかかわらず内線でしか私とコミュニケートしない人だった。その副学長が香川大学から私の割愛願いが出た後に、珍しく私の部屋をノックした。おそらく新任で赴任してきた時以来であろう。「吉田君、(転出を)考えなおす気はないかね」と彼は切り出した。「香川大学には私の院時代の友人もいるから、もっと早くわかれば手をまわせたんだが。」などと、翻意できないものか聞いてきた。無論、そんなことは考えられないと答えると、彼は安心したかのように「そうだよね。実は、N部長から君の転出を思い留まらせるよう説得してこいと言われてきたんだ。」と言ってそそくさと帰っていった。
その後、教授会で割愛が正式に決まった後にも「また部長から説得しろと言われたよ。君は随分とあの部長に気にいられているようだね。」と本気とも皮肉ともつかないような口調で言われた。N部長と会ったのはあの日だけ。どうしてそんなことを言われなければならないのか、いまだに不思議だ。
(2) このホームページが世間に知れはじめた05年2月末頃に市大教員組合の関係者から連絡があった。市労連の書記次長が、このホームページについて教員組合のコメントを発表しろと迫ってきているというのであった。市労連としてはこのホームページの内容が嘘であることにしたいらしく、教員組合の執行部としても対応に困っているらしいとのことであった。
 「私の方としては実際に経験したことを書いているだけだから、やましいことは何もない。もし御迷惑をおかけするようなら、お好きなように対応してくださって結構ですと、執行部には伝えておいてください。独法化を直前にひかえた大事な時期にお手を取らせるようなことになって申しわけなく思ってます」と連絡をくれた方に話しておいた。それから数ヶ月がたったが、何のアクションも教員組合は起していない。
 2005年2月25日付けのトップページに書いたことの裏にはこんなことがあったのだ。書いた本人に直接問いあわせたり、抗議したりするわけでもなく、もはや私とはなんの関係もなくなった教員組合に対して圧力をかける。それならうまく動かせるとでも思ったのだろうか。
 これが市労連のやり方であり、二度とかかわりたくなくなる体質である。(05年6月14日追記)

 

投稿者 管理者 : 20050615 01:09