靖国神社は「追悼施設」ではない 五十嵐仁の転成仁語 (2005.6.27)

 

http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

 

 

靖国神社は「追悼施設」ではない

 

・・・今日の『日経新聞』の2面に「誰がまつられているの?」という「靖国問題」のQ&Aが出ています。これについて、簡単な感想を書かせていただきましょう。

 靖国神社についての一番大きな誤解は、それが「追悼施設」であるかのように受け取られていることです。戦死者の霊が祀られていますから、「追悼」できないわけではありませんが、しかし、それは神社本来の目的ではありません。
 靖国神社は戦死者の「追悼施設」ではなく、「顕彰施設」です。『日経新聞』の先の記事でも、「靖国神社は国のために命をささげた『英霊』をたたえる場として国民に定着しました」と書かれています。それは、本来「『英霊』をたたえる場」なのです。
 したがって、「追悼」を本来的な目的としているわけではありませんから、そのような施設は別に作らなければならないというのは極めて当然の主張です。敵味方の区別なく戦没者を慰霊し追悼する施設は、まだ日本にないのですから……。

 もう一つ、はっきりさせなければならないのは、ここで顕彰される「英霊」の問題です。戦争で死ねば、誰でも「英霊」になれるわけではありません。
 先の記事は、「西郷隆盛はまつられていません。明治維新の最大の功労者である反面、西南戦争で政府軍と戦って『賊軍』として亡くなったためです」と書いています。また、「広島、長崎の原爆や東京大空襲の犠牲者らは対象外です」とも書かれています。
 つまり、この施設は戦死者を等しく祀るものではなく、きちんとした区別(差別)があります。そもそもこの神社は、「戊辰戦争の官軍戦没者を慰霊する『東京招魂社』として東京・九段に創建」されたものですから、同じ日本人の戦没者であっても「賊軍」は「慰霊」されません。

 つまりこの神社は、「官軍」として天皇のために戦って命を落としたものだけを「慰霊」する施設なのです。天皇のために戦ったと認められれば、旧植民地の人々やキリスト教信者であっても、ここに祀られることになります。
 それは本人の意思とは関係ありません。天皇のために戦って命を落としたと認定されれば、勝手に「英霊」とされ、ここに祀られることになります。
 そのことを喜ぶ人もいるでしょうが、嫌がる人もいます。先日、台湾の先住民の人々が来日して抗議行動を行ったのは、そのためです。キリスト教信者の自衛官の妻が、勝手に合祀するなと訴えて裁判になっている例もあります。

 「不戦」を誓う場であるならば、「敵味方」なく「追悼」する施設とするべきでしょう。靖国神社は、「敵」と味方を画然と区別し、天皇のために戦った「味方」だけを「英霊」として「たたえ」顕彰するための施設です。
 「英霊」である以上、その戦いは「正しいもの」でなければなりません。靖国神社が遊就館などを設けて侵略戦争を弁護し、正当化しようとするのはそのためです。「英霊」として「顕彰」するためには、その戦争を「正しいもの」とすることが必要だからです。
 したがってそれは、「再び戦争をしない」ことを誓う場ではなく、「天皇のために立派に戦って死ぬ」ことを「たたえる」場だということになります。イラクに派遣されている自衛官など、戦争で人が死ぬことが現に起こりうる可能性が高まるとともに靖国神社の存在感が増し、それへの注目が高まっているのは偶然ではありません。

 「靖国問題」を論ずるには、この神社がどのような目的と経緯で存在しているのか、その「真実」を直視する必要があります。この神社は他国から指摘されなくとも、遙か以前に日本人が自らの責任で決着を付け、克服しておくべき「戦前天皇制」の残滓にほかならないのです。