「君は変節した」 澤藤統一郎の事務局長日記 (2005.6.27)

 

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「君は変節した」

本日の都人事委員会公開審理でのこと。私の隣に席を占めていた星野さんがやおら立ちあがった。高校教師であり、武道家であるとも聞いている。元同僚で、今は校長として都教委の走狗と化している須藤勝・深沢高校校長へ語りかける。迫力満点。

「須藤さん、君の言うことはおかしい。君は変節したんだ。君は管理職になるのと引き替えに、教育者としての良心を売り渡したのだ。それを認めたまえ。
自分は変わらない。教育者としての信念を貫いている。そんなフリをするから、話の辻褄が合わなくなる。

10年前、私とあなたは、同じ小平西高でともに熱く教育を語り合ったではないか。当時は君が代の強制など考えられなかった。話題は、卒業式場に日の丸を持ち込むことの是非についてだった。私が先頭に立った。あなたも仲間として日の丸持ち込みには反対したではないか。教育委員会のやり方はおかしい。校長はおかしい。教育に強制はなじまない。そう言って、一緒に頑張った仲ではないか。

君の手許にある都高教小平西分会の機関誌『あしたば』をご覧いただきたい。1992年3月7日付のものだ。そこにかつての君の文章が載っている。立派なものだ。君はこう言っている。
『嫌なら参加しなくても良いような自由参加の集会などは話が別だが、いろいろな思想・信条の人が構成している組織においては、日の丸・君が代はふさわしくない。日の丸を掲揚するとなると、日の丸に批判的な人の意思が明らかに圧殺されてしまうではないか』『それを近ごろ、文部省や教育委員会が、やたらに「国旗」「国歌」にこだわる。こうなるとむしろキナ臭いものを感じてしまう』『今学校に日の丸を掲げることは、‥不本意な行動を起こさざるを得ない人が出ることになる』『一本の日の丸で学校が失うものは、はかり知れなく大きい』

まったくそのとおりではないか。あなたの今日の証言は、この10年前の言葉とどうつながるのか。10年前のあなたは、どこへ行ったんだ。あなたは、変節したことを潔く認めたまえ」

校長は、自校の被処分者から、被処分者以外の教員から、そしてかつての同僚から、おまけにしつこい弁護士から、その都教委への走狗ぶりを徹底して追求された。彼には、教育者としての信頼も尊敬もない。教員集団のリーダーとしての権威も存在しない。あるのは、都教委の命令伝達者としての地位だけ。彼の10年前の言葉を借りれば、『一通の職務命令で校長が失うものは、はかり知れなく大きい』のだ。

胸を張って尋問する星野さん側の立場に立ち続けたい。「君は変節漢だ」「校長になりたくて、教育者としての良心を売り渡したのだ」などとは死んでも言われたくない。そんな立場の代理人にもなりたくない。