都立大学廃止と文学研究 「だまらん」 (2005.7.1)

 

http://pocus.jp/06-2005/062905-sekaibungaku.html

 

【経由】

全国国公私立大学の事件情報

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都立大学廃止と文学研究

村山 淳彦
『世界文学ニュース』No.89 (2005.6.30)

私は三月末に都立大学を退職した。同時に都立大学は廃止され、「首都大学東京」(批判者に対して「おまえなんかクビダイ!」と言わぬばかりの都庁のやり方を揶揄して、略称は「首大」にすべきだと陰口をたたく人たちもいる)なるものが四月に発足した。私はクビになったわけではないが、定年まであと何年か残してリストラされたという思いを拭いきれない。私は再就職できたからいいようなものの、退職しただけに終わった人たちも少なくないし、やむをえず新大学にしぶしぶ就任した人たちも多い。いや、問題は個々人の身の振り方ではない。都立大学廃止にあらわれた大学と文学研究をめぐる危機にこそ、苦い気持ちを抱かざるをえない。

「首大」は、都立の四つの大学を「束ねて」(都知事が早くから使っていた表現)一つにまとめるとともに、教員数を大幅に削減して経済的に効率を高める目的で設立された。新大学は、「都市教養学部」などという学問的正体も不明な学部をはじめとして、「公産学協同」をうたい文句に、「社会的ニーズ」に応えるための構想に基づいて編成されている。教授会はすっかり形骸化し、教員任用や学内役職選出などに関する実質的人事権は教員に与えられない。英語教育を外部委託=丸投げしたり、「単位バンク制」などという奇妙な単位認定法を作ったりして、授業計画から成績評価にいたるまでのいわゆる教学権も、教員から剥奪されている。雇用形態上任期制を選択するよう各教員に迫り、任期制を拒否した者には今後の昇格、昇給はないと通告している。就業規則では、集会、掲示はおろか教室における配布物まで許可制とし、憲法などどこ吹く風である。研究予算はすでに数年前から毎年削減され、しかも傾斜配分により、たとえば新大学を批判した教員には配分されない。こういう動向は、旧国立大学でも行政法人化にともない、多かれ少なかれあらわれてきたであろうが、「首大」ではそれが、考えられる限りもっとも極端なところまで悪化させられている。

文学科はもちろん、小説家を養成するための機関ではない。なるほど、文学科は、人文学部の他学科と比べてさえも、金儲けとの縁が薄いだけでなく、政治方針や経営方針の策定に貢献することもできず、「首大」が求めるような「社会的ニーズ」に応える点で非力である。しかし、文化の根幹をなす言語の教育研究をおろそかにして社会の存立を期待できるであろうか。大学の文学科は、文学、言語の検証を通じて市民の言語能力、知性、感性、倫理感覚の涵養に従事するはずだし、そういう自覚と自負をもつからこそ存続の意義を主張できる。これは迂遠な使命に見えるかもしれないが、だからといってその重要な役割が見失われてはならない。ご多分に漏れず効率や「社会的ニーズ」を重視して大学改革が進行している米国でも、ずいぶん前から人文諸学の危機が叫ばれながら、文学科全廃などという話は聞いたことがないのである。

とはいっても、これまでの日本の大学の文学科のあり方に反省すべき点がなかったわけではない。戦前の文学者、批評家について戸坂潤が批判した「文学主義」は、今日も根強く文学科を支配していると思える。これに輪をかけるように、戦後の政治情勢のなかで育まれた非政治主義がからんで、文学語学研究者の政治嫌い、組織嫌いは今でも蔓延している。このような退嬰性を克服しなければならないにしても、文学科全廃でそれが果たせるわけもないし、知事がそれをめざしたはずもない。しかも近年は日本の文学研究にも、欧米における一部の研究動向を受けとめて非政治主義を乗り越えようとする努力が見られるようになってきた。だからこそ、新大学の文学科全廃は、せっかくの芽をつぶす暴挙として許しがたい。

この蛮行に直面して、都立大学が抵抗したにしても有効でなかったことは、「首大」発足を見た今日明らかであるし、誇りうる敗北を語るに足るほどの抵抗の実績も見出しがたい。都立大学廃止に至る過程は、大学管理法案、産軍学協同、「全共闘」による大学解体、東京教育大学廃止、等々に抗する激動に見舞われた時代に大学院生活を送った私にとって、隔世の感があった。当時身にしみて会得されたはずの「大学の自治は教授会の自治にあらず」という教訓は、いったいどこへ置き忘れられたのか。今日、都立大学だけでなく全国の大学が大なり小なり危機を迎えているのに、学生運動や組合運動の声がどうして世間に響かないのか。為政者の直接介入を禁じる「大学の自治」の初歩的原則に真っ向から挑戦し、「設置者権限」を振りかざす知事に対して、大学執行部筋は、確かに大学改革の必要があると理解してみせつつ、都庁=知事に受け入れてもらえる「改革」案づくりに奔走した。それを目にするにいたって、私は、教授会の自治は頼るに足らずとわかっていても、心外の念に堪えなかった。

都立大廃止の危機は二000年一月には顕在化した。都立大学廃止策謀がきわめて政治的なものであることは、はじめから明白だったと思う。都立高校への「日の丸」「君が代」強制に先だって、大学に祝日の「日の丸」を揚げるように強いたのも、「教育改革を大学から開始する」という知事自身の言明に沿っている。その年には、都議会議員某が、都立大学内で撒かれた学生のビラで誹謗中傷されたと称して、その学生の処分を大学に要求し、大学執行部はこれに屈して、不当不法な学生処分をおこなった。にもかかわらず、学生のあいだからさえも目立った処分撤回運動は起こらなかった。この処分は、大学内にどれほどの抵抗力があるかを探るために仕組まれたのではないかとも思える。

総長以下大学執行部は攻撃をかわすことに専心し、非常事態だからという理由で大学改革本部なるものを設置した。それまでの学内合意形成のための慣行は崩れ、総長は改革本部長にほぼ全権を委譲した。改革本部長は「悪いようにはしないからおれに任せておけ」とばかりに、ひたすら都庁筋との裏取引に邁進し、教員に対して箝口令をしいた。恫喝と欺瞞を弄する知事に対して、大学執行部はチェンバレン顔負けの宥和政策を選択したのである。学内の意思統一がそっちのけにされた大学内は当然ながら四分五裂し、そのなかでこれを自分に都合のよい改編の機会にしようとする人たちさえあらわれて、知事=都庁の画策する大学内分断作戦は見事に功を奏した。「改革」の実績を示して高額の研究費を確保できるようにしなければ研究が立ちゆかないと訴える理工系の教員。知事の暴言に抗議すべきだという主張に対して、そんなことをするのは「玉砕」を叫ぶのと変わらないと反論した執行部。大学教員のなかにはさまざまな思惑が交錯し、外部からの不当な介入に対決できるだけのまとまりはなかった。教職組も、「改革」賛成派を含む組合員が一致できるという枠にこだわる以上やむをえないとはいえ、有効な反撃はできなかった。

大学改革本部なる超法規的対応が始まり、外部の圧力に屈して学生処分が強行されたときに、すでに「大学の自治」の外堀が埋められたと私には思えた。やがて二00三年八月一日に都庁=知事の側から一方的に新大学構想が発表され、宥和策が破綻したことは明らかになった。このとき改革本部長は「都庁にコケにされた」と狼狽し、その年のうちに退職してしまった。しかし、外圧に屈して自ら外堀を埋めたりすれば、敵になめられ、つけあがらせることになるのは、当然の成り行きではないか。だから、テクノクラート然として「改革」案を作ろうとした人たちが、それまでにいかなる密約、心証を得ていたにしろ、知事側の「豹変」をなじり憤慨したところで、私はとても同情できなかった。なるほど、この時点で、さすがに箝口令どころでなくなり、都立大学の危機がようやく世間に知られて騒然となった。だが、大学執行部は、多少の異議を公的に唱え始めたものの、他方で「大学管理本部」(名称のあっぱれなこと!)との「ねばり強い」駆け引き、つまり事実上の宥和策を続けた。都庁=知事は、総長、学部長などを機関代表として扱わず、一個人として呼びつけて、新大学構想の具体化を手伝わせた。種々の委員会におめおめと出ていった教員たちは、「文句があるなら対案を出せ」と挑発する都知事に「建設的」に対応したつもりであろう。無知な管理本部は「教学」については教員の出す案を受け入れざるをえないはず、という目論見が語られ、「背水の陣」で闘っているつもりも披瀝され、理念上で対決しても「不毛」で「醜い」争いになるだけだとも言われた。現実主義路線である。この路線のどこが不毛でなく、醜くないであろうか。管理本部との駆け引きのなかで教員側が出した改良案は、弥縫策に使える部分だけをつまみ食いされ、あるいは、新大学の醜悪な本質を隠蔽、糊塗するのに役立つだけだった。

大学執行部も組合も、大学管理本部が二00三年八月一日に突如一方的な新大学構想を押しつけてきたという主張を繰り返す。八月一日を強調することで大学管理本部の横暴さをあばこうという狙いかもしれないが、むしろ、八月一日を強調すればするほど、それ以前はまともな話し合いが進んでいたと描き出すことになる。それは、二000年以後自分たちがやったことを免罪する倒錯した総括である。それまでの宥和策を反省するのでなければ、駆け引きしたところでますます後退するだけなのは目に見えていた。テクノクラート気取りが、「首大」構想具体化の片棒を担ぐ一方で抗議運動をあおりながら、ガス抜きが必要だとか、下からの突き上げもトップレベルの取引を有利にするために利用価値があるとか、私的な場面ではあれ言ってのけたのを私は直接耳にして、そのシニシズムに慄然とした。

「首大」という惨憺たる結果を見るにいたった主因はもちろん、知事=都庁の横暴な「大学管理」にあるが、大学内部の自壊も一因であった。私はそれを食い止めるために何とかしようと学科会議、教授会、組合など種々の会議で発言してみたが、自分の無能を証明するだけに終わった。何もなしえなかったことで忸怩たる気持ちである。せめて不条理を諒とするようなことだけは拒否して、これまで目撃してきた大学破壊の顛末を記憶にとどめていきたいと願うのみである。