東京高裁にNHKが提出した5人の陳述書 五十嵐仁の転成仁語 (2005.7.22)

 

http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm 

 

 

東京高裁にNHKが提出した5人の陳述書

NHKの従軍慰安婦問題についての特別番組をめぐる事情がかなり明らかになりました。これで、「政治家の圧力で番組内容が改変されたという事実はない」というのなら、「政治家の圧力」という概念自体、成り立たなくなってしまうでしょう。
 これを報じたのは、今日の『毎日新聞』28面の記事です。「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」が「政治家の圧力で内容が改変された」とNHKなどに損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁にNHKが提出した、松尾武元放送総局長、野島直樹元総合企画室担当局長、伊東律子元番組制作局長ら5人の陳述書について報道されています。

 この『毎日新聞』の報道によれば、事実経過は次のようになります。
 @NHKは例年、予算が国会に提出される前後の1〜2月、与野党の衆参議員のうち、総務委員会や放送通信政策関係の部会に所属する約450人に対し、個別に予算と事業計画を説明している。内訳は与党250人程度、野党200人程度で、全国会議員の約6割で、総合企画室の企画グループの職員8人が中心になって面会する。
 A予算説明を開始した担当職員が古屋圭司衆院議員ら自民党総務部会所属の複数の議員を訪れた際、「『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』所属の議員らが『女性国際戦犯法廷』を話題にしている」「NHKがこの法廷を番組で特集するという話も聞いているが、どうなっているのか」「予算説明の際は必ず話題にされるから、きちんと説明できるように用意しておいた方がよい」などと言われた。
 B報告を受けた野島氏は「どういう番組か確認しておく必要がある」と考え、松尾氏に相談し、番組の試写にも同席した。
 C安倍晋三自民党幹事長代理は「若手議員の会」事務局長をしていたため、1月29日の安倍氏への予算説明の際は松尾氏に同行してもらった。
 D番組放送当日(01年1月30日夜)の夕方、会長秘書から(番組担当の伊藤律子制作局長に)「なかなかご苦労されているようですね。今ちょうど会長の予定があいているので、いらっしゃいませんか」と電話が入り、会長室を訪ねた伊東局長は1人でいた海老沢会長に「ご迷惑をかけていて申し訳なく思っております」と話した。
 E海老沢氏は「なんだか騒々しいようだね」と応じた後、「女性国際戦犯法廷」について説明を求めた。伊東氏が「現場も慎重に扱っています」と伝えると、海老沢氏は「そうなんだ。この問題はいろいろ意見があるからな。なにしろ慎重にお願いしますよ」と話した。この間のやり取りは5〜6分だった。
 F伊東氏はその直後、海老沢氏と話したことを松尾氏に伝えた。松尾氏と番組内容について改めて話し合った結果、元日本兵や元慰安婦の証言シーン削除などの番組修正を決め、部下に指示した。

 以上の経過から分かることは、以下の通りです。
 @NHKは特定の番組が問題になっていることを事前に知っていた。
 A国会対策を担当する野島総合企画室担当局長は、松尾元放送総局長に相談し、一緒にその番組を点検していた。
 B安倍さんへの説明に松尾さんが同行したのは、安倍さんがこの番組を問題にしていた「『若手議員の会』事務局長を務めていたため」だった。つまり、この番組が問題にならず、安倍さんが事務局長でなければ、松尾元放送総局長が「予算説明」に同行することはあり得なかった。
 C番組を担当していた伊藤元制作局長は、海老沢会長に呼び出されて会長室で1対1で会い、「ご迷惑をかけていて申し訳なく思っております」と詫びた。
 D海老沢会長は、「『女性国際戦犯法廷』について説明を求め」、「なにしろ慎重にお願いしますよ」と求めた。
 E伊藤さんはこのやりとりを松尾さんに話し、その結果、番組を修正することにして部下に指示した。つまり、この時、海老沢会長と面談しなければ、このような番組修正はあり得なかった。

 こうして、番組は切り刻まれ、当初予定されていたものとは違った「欠陥商品」となって放送されました。4分間も短いまま……。
 以上の経過には、安倍さんとのやりとりが出ていません。しかし、安倍さんを訪問したのが、「自民党総務部会所属の複数の議員を訪れた」後で、放送前日の「1月29日」 だったことはハッキリしています。
 また、ここで報道されている「伊東氏の陳述書」で重要なことは、「番組放送当日(01年1月30日夜)の夕方」に、海老沢会長に呼び出された事実が明らかにされている点です。特定の番組のために、担当の制作局長を自室に呼びつけて「この問題はいろいろ意見があるからな。なにしろ慎重にお願いしますよ」と言えば、それが何を意味するか、分かる人には分かるはずです。

 この間の経緯について、私は2005年1月19日付で、次のような推測を述べました。ここで報道されている事実経過は、この推測をほぼ裏付けていると言えます。

 NHKの上層部は、初めからこの番組の内容に懸念を持っていたものと思われます。放送直前に右翼団体が抗議行動を強めたため、この懸念は増大しました。

 同時に、番組に批判的な政治家達(例えば議連「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」のメンバーなど)にそれとなく内容を伝えて反応を探ったところ、芳しくない反応が返ってきたのでしょう。この時、議連のメンバーなどは番組の内容を知り、自民党内で話題になったものと思われます。
 番組作りは着々と進み、反対論を考慮した多少の手直しも行われます。それでも心配だったエビジョンイル(海老沢会長)は、強く反対する可能性のある議連の主だったメンバーを回って説得するよう指示を出したにちがいありません。
 こうして、国会対策を担当する野島直樹局長が中心になって根回しをし、放送の最高責任者である松尾武放送総局長を伴って説明に回りました。その相手は、当時議連の会長だった中川さん、事務局長だった安倍さん、その後会長になる古矢さん、会長代理の平沢さん、事務局長を引き継ぐことになる下村さんなど、いずれも議連の幹部達です。

 しかし、議員達の反応は厳しいものでした。特に、当時議連の事務局長で官房副長官の安倍さんの「公正公平に」という注文は衝撃的でした。すでに手を入れて「公正公平に」なったと思っていたのに、「それでは駄目だ」といわれたに等しかったからです。 すでに一定の手を入れ、この線で何とか放送したいと思っていたNHKの幹部たちは慌てました。「どうも、このままでは駄目みたいだ。放送した後から文句を付けられてはたまらない」と考えたのでしょう。
 放送前日の夕方、局に帰ったNHK幹部たちは異例の試写を繰り返しながら鳩首協議し、善後策を相談します。その結果、問題になりそうな箇所を削ったり差し替えたりして、44分の番組を43分にしてしまいました。

 恐らく、「それで大丈夫なのか」と、さらにエビジョンイルから念を押されたのでしょう。心配になった幹部達は放送の自由よりも保身を優先し、さらに番組をずたずたに切り刻んでしまいました。それが放送の直前であったために差し替えや編集もならず、結局、43分の番組は40分のまま放送されます。
 この放送を見た松井やよりさんなど制作協力者達は驚愕し、外部からの何らかの干渉や介入があったのではないかと疑います。だからこそ、その真相を明らかにするために、番組作成に協力したこれらの人々は裁判で真相を明らかにするという手段に訴えました。

 ここで私は、「『それで大丈夫なのか』と、さらにエビジョンイルから念を押された」と書きましたが、実際には、会長室に呼び出されて「この問題はいろいろ意見があるからな。なにしろ慎重にお願いしますよ」と念を押されたというわけです。その前後の経過も、多分ここで書いたとおりでしょう。
 もちろん、見てきたわけではありませんので、細かな点は違っているでしょうが、基本的には、議連「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」やその事務局長をしていた安倍官房副長官の批判や注文を懸念した海老沢会長直々の関与で、放送直前に「番組修正」がなされたことは明らかです。
 これについて、「政治家の圧力で番組内容が改変されたという事実はない」というのがNHK側の言い分です。放送前日に説明して注文を付けられた、会長から呼び出されて懸念を示された、その結果、直前に番組を修正したため「欠陥商品」を作ってしまった。それでも、「圧力」はなかったと言ってみても、これらを「圧力」と感ずることができないほどにNHK側の感覚が麻痺していることを証明するだけでしょう。

 結局、この陳述書は、以下の2つの問題についての疑惑を深めただけです。NHKはこの疑問にきちんと答えるべきでしょう。
 第1には、当時官房副長官でNHK予算を審議する衆院総務委員会には属しておらず、予算とは関わりのない安倍さんに、国会対策を担当する野島直樹元総合企画室担当局長が予算とは関係のない松尾武元放送総局長を伴って、どうして、わざわざ放送前日になってから会いに行ったのか、という疑問です。
 そして第2には、「公正公平にお願いしますよ」という安倍官房副長官の発言や「なにしろ慎重にお願いしますよ」という海老沢会長の発言が「圧力」ではなかったというのなら、なぜ直前になってから「番組修正」を行い、4分も短い「欠陥商品」にして放送してしまったのか、という疑問です。

 ただ、「政治家の圧力で番組内容が改変されたという事実はない」と繰り返すだけでは、NHKに対する信頼を回復することは不可能でしょう。これらの疑問に対してきちんとした説明をすることは、NHKのためにも、放送とメディアの自由と独立のためにも、是非とも必要なことです。