「つくる会」は日本の未来を「こわす会」 五十嵐仁の転成仁語 (2005.7.30)

 

http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

 

 

「つくる会」は日本の未来を「こわす会」

 

東京都教育委員会は28日、「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」の公民教科書を来春から中高一貫校とろう・養護学校で採用することを決めました。「つくる会」の人とたちはさぞかし喜んでいるでしょう。「これで突破口が開かれるかもしれない」と……。

 

 

 しかし、それで良いのでしょうか。過去の過ちを直視せず、侵略戦争を十分反省することのない教科書が採択されて、どのような教育が可能になるというのでしょうか。

 私はこの問題の専門家だというわけではありません。しかしそれでも、素人なりに気になる点がいくつかあります。

 

 

 その一つは、このような教科書によって教える先生と教えられる子どもたちの問題です。教える方は虚偽を教え、教わる方も嘘を教えられることになります。

 どちらも可哀想ではありませんか。それで、戦争の酷さや惨めさが伝わるのでしょうか。戦争を起こしてはならないという決意が、子どもたちの心の中に宿るのでしょうか。

 将来、大きくなって外国に行き、「あの戦争は正しかった」などと言い出す青年が生まれるかもしれません。そのような若者が、周辺諸国はもとより国際社会に受け入れられるでしょうか、国際人としての常識をわきまえ、周辺諸国の人々と歴史認識を共有することができるのでしょうか。

 

 

 第2に「愛国教育」と「愛国心教育」の問題です。中国での激しい「反日デモ」は日本国内でも大きな衝撃を持って受け取られ、「その背後には愛国教育がある」という指摘がありました。自国の歴史を美化する教育が、客観的な歴史認識を阻害しているというわけです。

 もしそれが本当なら、問題は中国だけには限られないということになるでしょう。「つくる会」の教科書も、自国の歴史を美化するものであり、客観的な歴史認識を阻害する可能性が高いからです。

 将来、中国と日本の両方で、自国のみが正しいと主張する青年が量産されるようになるかもしれません。それが両国関係にとってプラスになるのかマイナスになるのか、教科書採択に関わる関係者は熟考すべきでしょう。

 

 

 第3に、それは必ずしも将来の問題だけには限られません。今日の状況の下で、このような教科書の採択が周辺諸国にいかなるメッセージを送ることになるのか、「つくる会」教科書の採択に賛成する人々は考えたことがあるのでしょうか。

 ここ数年、「日本はかつての侵略戦争への反省を忘れてしまったのではないか。また、周辺諸国に対して支配権を及ぼそうとしているのではないか」と疑われるような事例が相次いでいます。憲法9条を中心とした改憲の動き、現職首相の靖国神社への参拝、日の丸・君が代の強制と従わない者への処分、教育基本法への「愛国心」の導入、自衛隊の強化と海外派兵への動き、そして今回の「つくる会」教科書の採択です。

 このような一連の流れは、何を示しているのでしょうか。それがどのようなメッセージを周辺諸国に送ることになるのか、そのことによってどのような日本像ができあがりつつあるのか、相手の立場になって考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 

 

 第4に、以上の結果として、日本の国際的な孤立がますます深まっていくという問題があります。このままでは、日本はアジアの孤児になってしまいます。

 6カ国協議や国連安保理常任理事国入りの経緯が象徴的に示しているように、小泉内閣になってからの日本外交は惨憺たるものです。まるで日本は、自ら進んで、アジアにおけるリーダーとしての信頼と威信を譲り渡してしまおうとしているようです。

 朝鮮半島問題は韓国主導の下に動きつつあり、アジアは中国とインドを中心にまとまりかけています。日本は見限られ取り残されようとしていますが、「つくる会」教科書のような「復古主義」の再生は、このような孤立化を強めるだけでしょう。

 

 

 「つくる会」教科書の採択を決めた人々は、21世紀の日本の未来をどうしようとしているのでしょうか。どのような若者を育てようとしているのでしょうか。

 辛くてもみにくくても過去を直視し、歴史の真実と向き合うことのできる若者こそが、21世紀の国際社会を生き抜くことができるにちがいありません。そのような若者だけが、周辺諸国との友好と親善を強め、平和で豊かなアジアを作り出すことができるでしょう。

 過去を偽って自国の歴史を美しく描くことは、決して日本の未来を明るくするものではなく、未来志向でもありません。偽りの過去によって平和な未来を閉ざすような愚行は、直ちに止めるべきでしょう。