自民の朝日取材拒否考  『問題すり替え露骨操作』 「東京新聞」特報(2005.8.4)

 

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050804/mng_____tokuho__000.shtml

 

 

自民の朝日取材拒否考 

『問題すり替え露骨操作』

 NHKの番組改変報道に絡む内部資料が流出した疑いがあるとして、自民党役員が朝日新聞に対し、会見以外の取材に応じないと決めた。「自粛」という言葉は使っているものの、事実上の取材拒否だ。これまでも公的機関が取材に応じないという事態がなかったわけではないが、政権与党が恣意(しい)的に取材を拒否するのはきわめて異例のことだ。そこから見える問題点とは−。

■ぶらさがりや夜討ちを排除

 取材に応じないのは、党執行部にあたる「役員連絡会」メンバーで、記者会見を除き、朝日の記者は当面、記者懇談やいわゆる「ぶらさがり取材」、夜討ち・朝駆け取材などから排除されることになる。

 発端は、従軍慰安婦をめぐるNHKの番組改変報道に絡んで、朝日の取材記録とみられる内容が「月刊現代」九月号に掲載されたことだ。自民党が朝日に送付した「取材自粛」の通知書では「被取材者をだまし、隠れて無断(録音)で記録し続けている」可能性があり、「(党議員が)万が一にも不当、卑劣な方法による取材で被害に遭うことがないよう相当の措置を講じざるを得なくなった」と“正当防衛”を強調する。

 これに対し、朝日新聞社広報部は「公党による取材拒否は読者の知る権利を損なう。朝日新聞社は取材過程を明らかにしないという原則を堅持しており、今回のような党役員による取材自粛の必要はないと考えている」としたうえで、「懇談の場などで、取材をしないでほしいという要請があれば退席するようにしている」とコメントしている。

 情報を握る公的機関が、一部のメディアに懲罰的な取材拒否を加える手法は、これまでにもないわけではない。検察や警察の捜査情報や不祥事をスクープした社が「出入り禁止」になるのはこのケースだ。

 一方で、企業の「再建王」といわれた故・坪内寿夫氏が愛媛県知事と対立し、一九八四年に県側が、坪内氏がオーナーの地元紙「日刊新愛媛」の取材拒否に踏み切る問題もあった。同問題を追った「取材拒否」の著者で、雑誌「総合ジャーナリズム研究」編集長の藤岡伸一郎氏(関西大学社会学部教授)は「自民党は『朝日の取材に応じなくても、他紙を通じて国民の知る権利に応えている』と言うだろうが、間違いだ。国民はいくつものメディアから情報を入手して、自分なりに分析している」と話したうえで、要請されれば退席するという朝日の姿勢についても問題視する。「読者は、自分では取材できないから、メディアに負託しているのであって、そうした姿勢は読者に失礼だ」

 自民党の強硬姿勢について、立教大学の服部孝章教授(メディア法)は「報道機関を広報機関ととらえ、都合のいい情報しか公開しようとしないおごり」とみる。そのうえで「政権政党が批判を受け入れるのは民主主義のルールだ。それを平然と蹂躙(じゅうりん)するのは歴史に汚点を残す行為であり、公党としての資格はない」と切って捨てる。

 権力者による特定メディアの取材拒否は海外にもあるのか。「メディア先進国ではあり得ない」と立教大学の門奈直樹教授(比較マスコミ論)は断言する。

 二〇〇三年、英BBCはブレア政権がイラクの大量破壊兵器を意図的に誇張したと伝え、真偽が大きな問題になった。独立調査委員会が設置され、最終的にBBCの「誤報」が認定されたが、その間、ブレア政権がBBCを取材から排除することはなかった。「欧米ではジャーナリズムは権力批判をすることに存在意義を発揮してきた。メディアの要請があれば、政権はむしろ積極的に応じるのは当然と受け止められている」

■『見過ごせば規制進む』

 小泉首相が昨年、北朝鮮を訪問した際、首相官邸が「二十五万トンのコメ支援で最終調整」と報じた日本テレビを同行記者団から排除しようとしたことは記憶に新しい。当初、飯島勲首相秘書官は「ニュースの情報源を明かせば同行を許可する」などとどう喝にも等しい要求を日テレ側に突きつけていたが、こうした横暴がまかり通るのは、「それを許すメディア界、社会のあり方にも問題がある」と門奈教授は指摘する。

 その一例として、同教授は一九七二年、毎日新聞が沖縄返還協定の機密文書をスクープ、その記事を書いた記者と機密文書を渡した外務省の女性事務官が国家公務員法違反容疑で逮捕された事件を挙げる。公判で記者と事務官との関係が問題視された。「毎日新聞はこれをきっかけに部数を大きく落とし、他紙がそれに乗じて部数を伸ばした。こういう足の引っ張り合いがメディアへの権力の介入を許す土壌をつくっている」

 前出の藤岡氏も「愛媛県の問題の時、メディア全体が『こんなことは二度と起こさせない』と団結しなかったことが尾を引いている。今回も、本来は記者クラブとして自民党に反論すべき問題だが、メディアが静か過ぎだ」と指摘し、服部教授は「表現の自由に少しでも病根が侵入してくる危険があれば、いい意味で“メディアスクラム”を組み撃退すべきだ。同業者に対する排除を見過ごしにしたら、いずれ自分が火の粉をかぶることにもなりかねない」と警告する。

■許される無断録音も『ある』

 今回の「月刊現代」の記事を書いたフリージャーナリスト魚住昭氏(元共同通信社会部記者)はこう発言する。

 「かつてもメディアに文句をつける政治家はいたが、突発的な感情の発露で、表現の自由、報道の自由は大切だとの認識が少しはあった。だが今の自民党は露骨にメディアを操ろうとしている。今回も、NHKに政治的圧力をかけたとの指摘に、きちんと(反論を)提示すべきなのに、朝日が取材内容を録音したとか、取材資料が流出しているとか、問題をすり替えている」。さらに、「朝日も含め、メディア側がこのすり替え論議に乗ってしまった。事実を明らかにするのがメディアの仕事なのに(それを犠牲にしてまで)お行儀よくしようと努めている」と、いら立ちを隠さない。

 自民党が取材拒否の理由に挙げる「無断録音」問題について、東洋大学の大石泰彦教授(メディア法)は「無断録音も場合によっては許される」と話す。

 「取材対象との信頼関係は大切だが、メディアが本来守るべきは読者、国民との間の『大きな信義』であり、取材対象との信頼という『小さな信義』に優先する。ただ、(もし、朝日が無断録音していたとすれば)なぜ無断録音が必要だったのかをきちんと説明し、国民の議論に付すべきだ。『取材過程を明らかにしない』などという態度は官僚的、権威主義的だ」

■政権政党はもっと堂々と

 取材拒否という自民党の今回の対応はヒステリックにも映る。ジャーナリストの田原総一朗氏は表向きの強硬姿勢の裏に自民党の自信のなさを見て取る。「月刊現代の記事を読むと、自民党だけでなく、朝日新聞やNHKも困る内容でいわば三方損。自民党だけが被害者意識をもつというのは不可解だ。もし解散・総選挙が近いことを意識しているとすれば、逆にマイナスにしかならないだろう。政権政党はもっと堂々としていなければいけない」