森永卓郎:「見えない弱者」を生んだ 「朝日新聞」オピニオン 小泉政治を検証する(2005.8.19)

 

小泉改革は短期間で、多くの「見えない弱者」を生み出したのだ。他方には、カネを右から左へ動かすだけで巨万の富を得る人々がいる。勝ち組と負け組の間に、明確な線が引かれつつある。では、弱者の立場に追い込まれる人々の多くが、にもかかわらずその「改革」を支持しているのはなぜだろう。・・・

 

 

 小泉内閣は改革の遂行を旗印にした内閣である。ちまたでは、小泉改革が日本の経済構造を変え、それが景気回復のきっかけになった、との評価もしばしば聞く。しかし、本当にそうだろうか。

 小泉内閣は014月に発足した。小泉氏が首相に就任する前、GDP(国内総生産)の名目値は約510兆円(00年度)だった。最近では約506兆円(04年度)である。経済規模は縮小したのだ。

 さらに注意すべき統計として雇用者報酬を見よう。サラリーマンに支払われた給与賞与を表す数値だ。前年度比(名目)を見ると01年度は12%減、02年度は23%減、03年度は10%減、04年度は01%減。つまり一度も伸びたことがない。

 にもかかわらず世間には、「ボーナス支給額が3年連続で伸びた」といった肯定的な認識が少なくない。なぜか。私は、ここに小泉改革の本質が隠されていると見る。

 ボーナス統計として流布するのは、主に大企業を調査対象にした統計だ。中小企業の実態はそこに表れない。また大企業の中でも、非正社員の人々は統計外にいる。

 厚生労働省の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」を見ると、99年に28%だった「非正社員」の比率が03年の調査では35%にまで上昇している。この間、日本社会は劇的に変わったのだ。

 「失業率が下がった」とも言われるが、その裏には、リストラや倒産で失業した多くの人々が、正社員での再就職を果たせず、パートなどで働いている実態がある。前出の厚労省調査によれば、非正社員の4割は月給(税込み)が10万円未満で、10万円以上20万円未満の人も4割いる。

 小泉改革は短期間で、多くの「見えない弱者」を生み出したのだ。他方には、カネを右から左へ動かすだけで巨万の富を得る人々がいる。勝ち組と負け組の間に、明確な線が引かれつつある。

 では、弱者の立場に追い込まれる人々の多くが、にもかかわらずその「改革」を支持しているのはなぜだろう。

 思い起こされるのは1920年代の末である。緊縮財政や産業合理化を掲げ、「既存勢力との対決」をうたう浜口雄幸内閣が登場した。

 金輸出の解禁で経済がデフレに陥ったにもかかわらず、浜口ヘの支持は落ちなかった。明日伸びんがために今日縮む――そう改革を訴える首相に有権者は引かれた。

 状況が苦しくなればなるほど市民は、劇的な変革と「強い改革者」を求める心理になる。歴史はそう教える。

 今回「郵政解散」で首相は、法案修正を求める議員を「造反者」にした。小さな意見の違いすら許さず、バッサリ切り捨てた振る舞いは、もはや独裁者的である。だが、独裁者に近づくほど支持が高まるという恐れもある。有権者が独裁者を強い改革者と認識してしまう場合である。

 総選挙で小泉氏が勝てば、彼は今まで以上に強い権力を手にする。誰も止められなくなるだろう。それほどの大きな権限を彼に与えてよいのか否か、を判断すべきだ。

 首相は「郵政改革の是非が選挙の争点だ」との考え方を広めようとしている。だが、「与党が出した今回の郵政改革関連法案に賛成か否か」という問題を、「郵政改革に賛成か否か」の問題にすり替えさせてはなるまい。

 「造反派」は改革の否定者だったのか。野党は改革について何を言っているのか。今こそ「改革とは何か」を必死で勉強するときだ。

(聞き手・塩倉裕)

 

森永卓郎(もりながたくろう)氏

経済アナリスト。57年生まれ。UFJ総合研究所客員主席究員。著書に「年収300万円時代を生き抜く経済学」など。