小さな政府論検証シリーズ(1)「小さな公務員」論の大きな誤り 醍醐聡・東大教授 「日刊ベリタ」(2005.8.25)

 

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小さな政府論検証シリーズ(1)「小さな公務員」論の大きな誤り 醍醐聡・東大教授

 

 小泉首相は郵政改革を9・11総選挙の最大争点にすえる選挙戦を展開しようとしている。郵政事業の民営化によって「小さな政府」を推進することが、あたかも国民のニーズに応えるものであるかのように説かれる。これに唱和する声はメディアの一部からも聞かれる。しかし、このような主張は本当に正しいのだろうか。醍醐聡・東大教授(会計学)は、具体的なデータと理論にもとづいて、郵政民営化に見られる「小さな政府論」の是非を判断するよう訴える。(ベリタ通信) 
 
<シリーズを始めるにあたって> 
醍醐 聡 
 
  元一橋大学学長で、1947年、片山哲内閣の下で経済安定本部次官となり、第1回経済白書(「経済実相報告書」)を執筆した都留重人さんは、自著『経済の常識と非常識』(1987年、岩波書店)の冒頭で、「なんのために経済学を学ぶか、それは、経済学者にだまされないためだ」という、イギリスの理論経済学者ジョーン・ロビンソンの言葉を引用している。 
 
 私は近年、日本の経済学者が唱和した規制緩和論、公的年金民営化論などを聞くたびに、都留さんのこの言葉を思い起こした。昨今の郵政事業民営化論の背景にある「小さな政府」論(政府の規模は民間と比べて小さいことが望ましいという主張)についても、同じ感想を持っている。 
 
 そこで、「小さな政府論検証シリーズ」と題して、この議論を理論的実証的に検証し、それをとおして、郵政事業民営化の是非を判断する素材を提出したい。 
 
▽政府方針としての公務員削減策 
 
 今年6月21日に「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2005について」と題する閣議決定がされた。この文書の第2章では、「小さくて効率的な政府」を実現するための柱の1つとして、国と地方の徹底した行政改革が挙げられ、次のような方針が謳われている。 
 
 「(公務員の総人件費の削減)<前略> 
 国においては、定員削減計画を策定し、定員の大胆な再配置 を進めるとともに、事務事業の徹底した見直し等により、政府部門全体を通じた一層の純減の確保に取り組む。このため、これまでの純減実績も踏まえ、行政需要にも配慮しつつ、次期定 員削減計画期間中の純減目標を策定する。」 
 
▽経団連も郵政民営化を通じた公務員数の削減を要求 
 
 経団連は、昨年12月6日に発表した「郵政民営化の着実な実現を望む」と題する意見書のなかで次のように述べ、郵政民営化を通じた公務員数の削減を要求している。 
 
 「政府では、2001〜2010年度にかけて国家公務員定数を25%純減することとしている。郵政民営化により、これに加え常勤約27万人、非常勤約12万人、計約40万人が国家公務員の身分を離れる。この結果、簡素な政府が実現するとともに、労働条件に市場実勢が反映され、通常の労使関係により規律される雇用分野が拡大する。」 
 
▽「選挙で公務員の削減を競え」とけしかけた朝日社説 
 
 公務員削減を促す声はメディアの一部からも聞かれる。『朝日新聞』は、8月22日、「公務員人件費 選挙で減らし方を競え」と題する社説を掲げ、その中で次のように述べている。 
 
 「大赤字を続ける国の財政を立て直すには、人件費を減らすことが待ったなしだ。総選挙は各党が人件費削減の知恵を競い合う機会にしてもらいたい。・・・ 
 
 公務員は倒産もリストラもなく、割安の官舎に住む。退職金や年金は民間よりも手厚い。そんなことも考え合わせ、公務員の給与を論議する必要がある。・・・ 
 
 人件費の総額を減らすには、給与の見直しでは限りがある。公務員の人数に大胆に手をつけなければならない。」 
 
▽実態は正反対──少なすぎる日本の公務員 
 
 このように、公務員削減論は、政・財・報の各方面で連呼されている。しかし、削減せよ、というからには、日本の公務員は「多すぎる」という事実が立証されていなければならないが、不思議なことに、公務員削減を唱える人々から、それを裏付ける資料が提出されたのを見かけない。 
 
 多すぎるかどうかは、本来は行政需要に照らして判断すべきことであるが、ここでは、ひとまず、わかりやすさを優先して、国際比較の面から、公務員数と公務員報酬の水準を確かめておきたい。 
 
 これは、各国における政府部門の比重を示したOECDの統計資料である。 
 
 その中の図表4(一般政府雇用の総雇用に対する比率)を見ると、アメリカ(14〜16%)、ドイツ(11〜15%)、スウェーデン(20〜34%)と比べ、日本は7〜9%で推移している。 
 
 (注)その他の国を見ると、1999年現在で、イギリス:12.6%、カナダ:17.5%、イタリア:15.2%、となっている。 
 
 また、図表5(一般政府被用者報酬の対GDP比)を見ると、アメリカ(10〜12%)、ドイツ(9〜12%)、スウェーデン(14〜21%)であるのに対して、日本は6〜8%で推移している。 
 
 (注)その他の国を見ると、1999年現在で、イタリア:6.9%、オーストラリア10・3%、フランス:11.0%、となっている。また、年次はずれるが、イギリス(1997年)は7.8%である。 
 
 以上から、日本の公務員の比重は、人数においても報酬においても、国際比較で極めて低い水準にあり、いまさら、政府や財界から言われるまでもなく、雇用面では、とっくに「小さすぎる政府」になっていたことがわかる。 
 
▽郵政民営化は財政赤字の削減と無縁 
 
 経団連は前掲の意見書のなかで、「郵政民営化により、・・・計約40万人が国家公務員の身分を離れる。この結果、簡素な政府が実現する」と述べている。 
 
 また、前掲の朝日社説は、「大赤字を続ける国の財政を立て直すには、人件費を減らすことが待ったなしだ。総選挙は各党が人件費削減の知恵を競い合う機会にしてもらいたい」と指摘している。これは、遠まわしながらも、「小さな政府」を旗印に郵政民営化の是非に争点を絞ろうとする小泉自民党の選挙戦略を側面支援するものといってよい。 
 
 郵政事業を民営化し、職員を非公務員化すれば、政府部門の雇用者数が減ることは自明である。しかし、それによって、どういうメリットがあるのか? 
 
 郵政事業はこれまで、郵便、貯金、簡易保険のいずれも人件費を含むすべての経費を自前の収入でまかなう自立採算を達成しており、税金は1円も投入されていない。したがって、郵政事業を民営化したからといって、国の財政支出も財政赤字も1円たりとも減るわけではない。 
 
▽まやかしの削減策 
 
 2001年4月に、政府は現業部門を政策の企画立案部門から切り離し、「小さな政府」を実現する手段というふれこみで、独立行政法人を導入した。しかし、実態はどうか? 
 
 2003年12月の政府発表によると、独立行政法人の役員に占める退職公務員の比率は、全役員528人の45%に当たる236人に上った。さらに、特殊法人などの役員から独立行政法人に異動した人も含めると、95%(505人)に達している。 
 
 報酬の面で見ると、59の独立行政法人のうち、34の法人で理事長の月給が本省の局長級の水準(約100〜108万円)と同程度になっている(以上、北沢栄「特殊法人よりひどい 独立行政法人は新たな『官の聖域』」『エコノミスト』2004年3月30日、参照)。 
 
 これでは、鳴り物入りで導入された独立行政法人も、高級官僚の天下りの受け皿にすぎない。退職給付も含め、彼らの報酬を国からの運営費交付金でまかなう実態こそ、メスを入れる必要がある。 
 
▽「はじめに需要ありき」こそ行政の原点 
 
 昨年4月1日から、国家公務員の定員総数を20万人削減する総定員法が施行された。しかし、「公務員数・給与は少なければ少ないほど良い」という主張には何の根拠もない。むしろ、行政需要の有無の点検なしに、やみくもに公務員数を削減したのでは、行政サービスの低下は避けられず、そのしわ寄せを受けるのは市民一人一人である。 
 
 ここでは、行政需要との相関関係で公務員配置が適切な水準かを見ておきたい。『総務庁史』(2001年、ぎょうせい)には、人口千人当たりの公務員数の国際比較(1998年度調査)をした資料が収録されている。それによると、 
 
日本    38人 
イギリス  81人 
フランス  97人 
アメリカ  75人 
ドイツ   65人 
 
となっている。つまり、1998年度の時点で、日本の公務員数は対人口比でみても、すでに、「少なすぎる」状況だったのである。このうえに、国家公務員を20万人減らすと、どうなるのか? 
 
 確かに、行政事務の電子化が進むにつれて、省力化が可能な職種が生まれている。また、NPOなど民間の創意を活かすことが期待される分野も増えている。 
 しかし、犯罪の増加、治安の悪化に伴う市民の不安に応えるには、「空き交番の解消」に代表されるような市民生活と密着した場への警察官の増員が望まれる。不登校児へのケアや学力の遅れた生徒への行き届いた教育を実施するためには学校教員の増員が欠かせない。 
 
 このように、「市民の需要のあるところに行政あり」のスタンスこそ、行政改革の原点であり、この原点を顧みない公務員削減論は、「改革」ではなく、「改悪」である。 
 
 また、「公務員は倒産もリストラもなく、割安の官舎に住む。退職金や年金は民間よりも手厚い。そんなことも考え合わせ、公務員の給与を論議する必要がある」と説く朝日社説の官業性悪説は、職場でのりストラなどで鬱積した市民の不満を公務員へのやっかみに誤導することによって、維持・拡充すべき公共部門まで解体させる、「小さな政府」論を助長させる罪深い議論といわなければならない。 
 
 日本の有権者が、こうした低俗で的はずれな議論を透視する理知を研ぎ澄ますことが、「改革派」の虚飾をはがし、言葉の本来の意味での行財政改革を進めるための要と思われる。