震災記念日に思う 伊豆利彦 日々通信 いまを生きる 第165号(2005.9.1)

 

 

>>日々通信 いまを生きる 第165 2005年9月1日<<

   
震災記念日に思う

   
いよいよ、9月になった。
   
9月1日は震災記念日だ。
   
今年も防災訓練がおこなわれるだろう。
   
防災訓練は必要にはちがいない。

   
しかし、それほど役に立つとも思えない。
   
すべてが、予想を超えた事態なのだ。
   
畳の上の水練というが、いよいよとなれば、自分の長年の経験とカンで行動
   
しなければならないだろう。

   
そういう考えから抜け出せないのは、戦争の記憶が根強いからだ。
   
戦争中も防空演習というのがさかんに行われた。
   
空襲が予想されるようになったら、火はたきだのバケツリレーだの防火砂だ
   
のでしきりに訓練した。
   
防護団とか、警防団とかいって、在郷軍人などが家庭婦人たちを叱咤した。
   
しかし、実際にはなんの役にも立たなかった。

   
元来、警防団が勢力をもっていて、実際の空襲のときにも逃げようとする市
   
民を呼び止め、市民を指揮して、防火活動をしたところでは、逃げ後れて多
   
数の死者を出した。
   
大事なのは、逃げ道を確保しておくことで、町の顔役の指揮など役に立たな
   
い。
   
彼らにとってもはじめての経験なのだ。予想しないことが次々におこるのだ。

   
<備えあれば憂いなし>などという言葉が、いまも復活して、国民をおどし
   
つけている。
   
しかし、実は<備えをすれば憂いを招く>というのがほんとうなのではないか。
   
迎撃ミサイルとかいうようなもののために日本国民は莫大な金をアメリカの
   
兵器産業に支払わされて、借金を増大させているが、しかし、いよいよ、そ
   
れを使わなければならない事態になったらたいへんだ。
   
さまざまな攻撃がおこなわれ、国内的にも混乱が起こっておるだろう。
   
多分、<攻撃は最大の防禦なり>で、日本は仮想敵国に向かって攻撃をして
   
いるだろう。

   
まして、本土決戦なんて夢物語だ。
   
日本軍は、決して、国民を守るためにたたかいはしない。
   
沖縄の戦争がいい例だ。
   
軍は軍を守るために国民を平気で犠牲にするだろう。

   
戦争ははじめてはならないのだ。
   
まして本土が攻められたらなどと想像して、その脅威で国民をおどしつけよ
   
うとするなんて許せない。

   
いま、どんな戦争を想定しているのか。
   
具体的な想定もなしに、戦争の脅威を叫ぶのはペテン師だ。
   
ところで、現代の戦争は、戦国時代の戦争ではない。19世紀の戦争でも、
   
20世紀の戦争でもない。そのような形で日本を攻めてくる国があるとは想
   
定できない。

   
朝鮮が日本に向かってどんな戦争をしかけてくるのか。
   
中国が、どんな戦争をしかけてくるというのか。
   
それが、彼らにどんな利益をもたらすというのか。
   
戦争は経済問題だ。
   
経済的利益のない戦争をそれらの国がしかけるなんてお遊びの戦争ゲームに
   
正気をうしなった戦争坊やばかりだ。

   
いま、世界で、先制攻撃を口にして、他国をおどしつけているのはアメリカ
   
だけだ。
   
しかし、日本はすでに、アメリカには占領支配の長い歳月を経ている。いま
   
さら、どんな攻撃を日本に向けてするだろう。

   
ある得るのは日本がアメリカの言いなりにならず、占領者たちに出て行けと
   
言ったときだろう。
   
これを想定して、日本の防衛を問題にするなら、いくらか現実味があるが、
   
いま、防衛を叫んでいる連中がそんな想定をしているとは思えない。
   
結局は、軍事予算を拡大して、兵器産業に多大の貢献をすることであろう。
   
もしくは、戦争の危機を強調して、国民に対する支配を強化し、平和とリベ
   
ラルをおさえつけるためだろう。

   
いま、いちばん問題になるのは、ゲリラ的な攻撃だろう。
   
その危険は大いにある。
   
それに対する防衛はどのようにするのか。

   
いま、あらためて、1923年9月1日、いまから82年前におこった惨劇を思い
   
出す。
   
日本は朝鮮民族に対する苛酷な強制支配をおこなっていて、その反抗をおそ
   
れていた。その恐怖が、大震災で、あなお恐怖の大殺戮を呼び起こしたのだ。

   
英国で、テロと無関係な青年が犯人と間違えられて、警察に射殺されるとい
   
う事件がおこった。テロにおびえる、米国や英国では、アラブ系移民や留学
   
生を中心に多くの人々が逮捕されたり、さまざまな圧迫を受けている。

   
この恐怖は、これからますます拡大し、市民の自由が奪われることになるだ
   
ろう。
   
これに反対する、社会主義者や民主主義者、平和主義者は非愛国者として圧
   
迫されるのだ。

   
あの時も、無実の朝鮮人が軍が流したデマ情報がもとで、市民が恐怖に駆ら
   
れ、多数の朝鮮人を殺戮し、社会主義者も多数殺された。
   
無実の朝鮮人を擁護しようとして激昂した自警団に国賊、売国奴呼ばわりさ
   
れ、乱暴された社会主義者もすくなくなかった。

   
日本政府はあの殺された朝鮮人や社会主義者にきちんと謝罪しただろうか。
   
靖国に参拝する小泉首相や閣僚は、この人たちのことをちらとでも考えただ
   
ろうか。

   
この事件については、日本ペンクラブ:電子文藝館に今井清一さんの記事が
   
掲載されている。
    http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/sovereignty/imaiseiichi.
    html

   
また、半月城通信には朝鮮人の立場からの記事がある。
   
 http://www.han.org/a/half-moon/hm059.html

   
私の過去の「通信」の記事も参考にしていただければ幸いである。
    http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@114.htm
    http://homepage2.nifty.com/tizu/tusin/tu@72.htm

   
文学にみる戦争と平和 第十七回
   
 越中谷利一 一兵卒の震災手記 『戦争ニ対スル戦争』
    http://homepage2.nifty.com/tizu/sensoutoheiwa/sh17.htm

   
いよいよ、九月だ。<天高く馬肥ゆ>の九月だ。
   
しかし、八月とならんで、思うことの多い九月だ。
   
選挙も行われている。
   
馬鹿げた選挙だが、日本の未来を決定する九月だ。
   
秋の空気を吸って、元気にお過ごしください。

   
  伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu/