ル・モンド紙の日本政治観  森田実政治日誌(2005.9.3)

 

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02122.HTML 

 

 

2005.9.3(その3)

2005年森田実政治日誌[308

ル・モンド紙の日本政治観

 

[Iさんが、9月1日に日本の新聞で話題となった『ル・モンド紙』“小泉は策士”の元の記事を翻訳して送ってくれました。小泉政権の広報機関と化した日本の新聞ばかり読んでおられる私たちには、新鮮な見方だと思います。小泉政治を見る上でご参考になると考え紹介します:森田総研HP編集部]

 

 Iさんからのメール「『日刊ゲンダイ』の9月1日にル・モンドの小泉改革の記事の紹介がありましたので訳しました」(9月1日)《ほとんど毎日、森田さんのホーム・ページの「時代を斬る」を楽しんでいます。『日刊ゲンダイ』の9月1日にル・モンドの小泉改革の記事の紹介があり、面白そうなので訳しました。元の記事と翻訳を送ります。お忙しいでしょうから、読まずに捨てていただいても結構。もし、フランス語からの翻訳が必要な新聞や雑誌の記事がりましたら、ご遠慮なく連絡ください。退職していますので時間だけはたっっぷりあり、いつでも役にたちたいと思っていますから。》[I様 拝復 ル・モンド紙の翻訳、ありがとうございました。多くの人々に読んでほしい論評ですので、本欄で紹介させていただきます。深く感謝します。2005.9.3 森田実]

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

  「ル・モンド紙 Philippe Pons論文」

 

--------------------------------------------------------------------------------

《小泉の「自由主義的ポピュリズム」が政治を覆す

 

 民主主義の進歩とはほとんど考えられないが、最近の4年間、小泉純一郎首相は日本の政治条件を覆してしまった。西洋の同僚の多くがそうしたように、自由主義的ポピュリズムを導入し、政治の問題を断言的な主張や狂いじみた対立に変えた。ここ日本では、「改革者」と「守旧派」の対立である。

 在任期間の長さを除けば、小泉氏の政治の採点簿の点数は悪い。だが人気を保ち続けている。彼は断定的な言葉で答える。世論の一部にある自己の要求を明確にできない人々には、この物言いによって、彼が確信を持った大人物のように見える。不安で、確信を持たず、諦めた人々は、小泉氏のもとに逃れようとする。小泉氏は先に進むが、その方向について説明しない。この国は直面する諸問題(増大する社会的不公正、巨額な財政赤字、米国に対する無条件の追従、東アジアでの孤立)もあるが、投票日9月11日に日本人が明らかにしなければならないのは、どんなやり方の統治を望むかということだ。

 与党の一部が離れていっても政治生活の個人化(私党化−森田)を強行しで、小泉氏は1990年代に始まった変化を速めた。自由民主党は、結党50周年とこの国の政治におけるヘゲモニーを11月に祝うが、1993年から1994年の間、権力を独占できなかった。その時、7党派の連立のフランス第4共和制症候群を日本はしばらく経験した。それから自由民主党は、仏教系の強力なセクト創価学会の世俗機関である公明党と結んで政権にもどった。

 10年が過ぎ、連立組み換えがあり、党首が代わった。最後には現総理大臣の「キラメキ」の影では、権力の働きは深く変質した。「小泉現象」は小泉氏の個性と政治的・社会的の原因結果の繋がりがつくりだしたものである。

 第一に、1994年の選挙制度の変更によって複数の当選者を出す中選挙区から1人が当選する小選挙区と比例区に変わった。このシステムは個人や小政党(とくに伝統的左翼)にとっては致命的であった。この制度によって2つの大政党に焦点があたる。自由民主党と民主党(先に社会主義者と保守主義者から移った人からなる政党)、この間に中間政党の公明党がある。

 選挙制度の変革と政党資金のシステムの改変とあいまって、自民党の派閥システムの有効性が消えた。派閥の長は複数の当選者を出す中選挙区で候補者を支持する。公的支出を行って支持者を世話をし、団体の利益を護る。派閥は見返りに票を得る。

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

  息切れした政党

 

 2001年に立法府でこうむった逆流に不安になった自民党の首脳部は異端児の小泉純一郎を権力の座に就けた。政治的な帰属は定まらない選挙人層を引きつけることができると考えたのだ。小泉氏の人気は自民党を支えたが、派閥の長の転落を決定的にした。

 前任者たちが行った改革の結果、首相官邸尾は強化され省庁からも多数党からも自立した権力を持つようになっていので、小泉氏は派閥の長からの大臣候補者の推薦を無視した。党の首脳部を壊した(反対者は首脳部を私物化したと言っている)。党中での支持は少ないが、その党に対し人気や、後継者の不在を利用し、大統領制の統治スタイルを実行した。

 彼が総理大臣になった時、古い自民党は田舎の選挙人や、小商業者、建築業界と官界の癒着に寄りかかっていたが、息切れ状態だった。1990年代の初めまで大資本に奉仕していたが、同時に、社会保障政策も活発に行い両者の利益の折り合いをつけた。この国の経済的拡大が示すように、この政策は成功していた。

 このような戦略はもう不可能だ。日本はリセッションの局面にあり、財政は赤字だ。老齢化する人口は働き手の数を減ずる。資源の新しい配分を必要とするファクターが多い。2001年、世論のかなりの部分は政界と官界の癒着は限界に達していることに気づいていた。権力の座を守るためにはどんな妥協をする用意がある伝統的な保守政治家と違うように見え、改革の人として世論調査でトップに出てきた小泉純一郎を世論は賞賛した。

 自民党は、選挙基盤と社会経済的変化に引き裂かれて、利益の調整が難しくなった。小泉氏は金融グループに利益を与えるとともに、都市の中間層の支持を得ようとした。2つ目の試みには失敗したが(都市はどちらかというと民主党に投票している)銀行システムを安定化した。彼は郵便局の預金の民営化に一か八かの勝負をしている。この民営化が利するのは銀行とアメリカのfonds de pension(タゲタカ・ファンド)。これ以外に適当な日本語が思いつきません−訳者)だろう。

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

  中国の拡大

 

 英米のネオリベラル系新聞は、小泉氏を戦後日本の偉大なリーダーの1人としている。だが、改革者としての役割を果たしたとは言いがたい。財政赤字の削減についてはとくにだ。変化を独占しているのでもない。さらに深刻なことは、彼の政策はウルトラリベラリズムと国家的権威主義の混合物だが、地方格差と社会的不正を強めたことだ。

 確かに、日本は景気後退を脱したが、民間のリストラ努力の結果であり、これに役立ったのは中国経済の拡大だった。政府の政策の結果ではない。自民党のヘゲモニーは脅かされている。その解体は政治を活性化するかもしれない。しかし、小泉氏のアジテーションとプロパガンダの背後に社会についての改革計画があるようにはほとんど見えない。

 戦略家ではなく戦術家(日本の新聞は「策士」と訳した−森田)であり、新しい秩序を生む人でなく、過渡期の人物なのだろう。なぜなら、つくるよりも多く壊したのだから。氏の人気は、彼自身がその推進者の1人である右翼への偏向とあいまって不安を感じさせるものだ。》

 

[Iさんへ。深く感謝します:森田]