総選挙で問われているもう一つのこと 五十嵐仁の転成仁語(2005.9.7)

 

http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm 

 

 

総選挙で問われているもう一つのこと

研究所から帰宅したら、『賃金と社会保障』の第1400号(8月下旬号)が届いていました。何とか、投票日前に間に合ったようです。
 ホッとしました。というのは、この号に、「『思い込み・無理やり解散』総選挙で問われるもの」という論攷を書いているからです。投票日が過ぎてからでは、目も当てられませんから……。

 ここで、この論攷をアップしたいところですが、まだ発売されたばかりですからそうもいきません。しかし、総選挙が終わってからアップしても、あまり意味がありません。
 考えあぐねた末に、一つの方法を思いつきました。ほんのさわりだけをアップするというやり方です。それなら、「営業妨害」にはならないでしょう。
 ということで、異例ではありますが、最後の部分だけ、以下にアップさせていただきます。全部を読みたい方は、是非、雑誌をお買い求め下さい。

知的衰弱と権威主義的人格

 いかに小泉首相が狡猾でも、そう易々と日本国民がこのような「煙幕」に騙されるはずがない、と私は信じたい。しかし、内閣支持率や自民党への支持率が高まっている各種世論調査の結果は、緒戦において“小泉戦術”が功を奏しつつあることを示している。それは何故か。ここで検討する必要があるのは、国民の側の受け取り方である。
 雑誌『世界』九月号に興味深い小論が掲載されている。八幡洋「小泉支持率にみる知的衰弱」である。ここで八幡氏は、「錯綜した事態を単純な二項対立としてアピールするという小泉首相の得意技」が支持率を一定のレベルに保ち続けているとして、次のように指摘している。

 「彼の二項対立は実に分かりやすく、『小泉=改革=善』対『抵抗勢力=旧守=悪』という『善対悪』の価値評価の図式は、今も暗黙のうちに人々に影響を及ぼしている。これは、小泉首相のレトリックの力にもよるだろうが、一方で、日本社会の側に、複雑な思考に絶ええなくなっており、ひたすら『わかりやすさ』を求めているという知的衰弱があるのではないか。昔は、あまりにも単純なスローガンに対しては、もっと意地の悪い猜疑の目が向けられていたように思うのだが。『誘導されやすさ』が現代人の最も顕著な精神的特徴となっているのではあるまいか」(『世界』九月号、一九七頁)。

 この雑誌は解散前に発行されているが、今回の「郵政解散」とそれに対する世論の動向を見事に予言しているように思われる。「ひたすら『わかりやすさ』を求めているという知的衰弱」や「『誘導されやすさ』が現代人の最も顕著な精神的特徴となっているのではあるまいか」という指摘は、極めて重要である。実際に、このような「知的衰弱」や「精神的特徴」が確認できるのかどうかもまた、今回の選挙で問われているのである。
 また、このような指摘との関わりで思い出されるのが、「権威主義的人格」についての岡本浩一氏の議論である。その著『権威主義の正体』で、岡本氏は「権威主義的人格は、過度に単純な認知スタイルを基礎にもっている可能性が強い」として、次のように指摘している。

 「政治心理学的個人差としての権威主義的人格は、教条主義的人格を中核とする概念である。事情が複雑で、善悪、正邪の判断が困難なとき、あるいは、善悪、正邪の判断そのものが場違いなとき、ある教条を金科玉条のごとく信じ、すべての判断をそれを基準として行う傾向である。」(岡本浩一『権威主義の正体』PHP新書、二〇〇五年、一二四頁)

 「郵政民営化」という「ある教条を金科玉条のごとく信じ、すべての判断をそれを基準として行う傾向」は、まさに小泉首相のものである。このような「過度に単純な認知スタイル」が共有されれば、世論の支持が高まることになろう。それが「権威主義的人格」の群生によるものなのかどうか。これもまた、今度の総選挙で問われることになろう。

問われるべきは小泉自民党政治の総体

 今年は「戦後六〇年」になる。「戦後の還暦」に総選挙が実施されるのは、偶然とはいえ、大きな意味がある。このような年の総選挙であればこそ、問われるべきは「戦後政治」そのものであり、このような「戦後」を作り出した統治党のバランスシートである。
 同時に、二一世紀における日本の方向づけもまた、今回の総選挙の大きな争点である。各政党は二一世紀の日本がとるべき進路と政治的選択を示さなければならない。日本が選ぶべき道は「非核・平和・民主主義国家」であり、米国からの自立とアジア諸国との友好、国内経済の回復と新産業の育成、安心できる年金・社会保障の確立、地方の立て直しなどである。
「戦後六〇年」の総括と二一世紀の日本が進むべき道の選択。これが今回の総選挙で問われるべき真の争点にほかならない。それはとりもなおさず、現行憲法を護り活かしていく道を選ぶのか、それとも条文を変えて憲法の理念を放擲するのかという選択でもある。
 自民党は八月に改憲草案の第一次案を明らかにした。この改憲案に対してどのような審判を下すのか。これもまた、今回の総選挙の重要な争点になっている。このような形で憲法が総選挙の争点になるのは初めてのことである。

 総選挙は、日本の過去と未来、国政のあり方全般についての国民的討論の絶好の機会だと言える。“小泉戦術”に乗せられて「郵政民営化問題」という「煙幕」に惑わされ、この貴重な機会を失することがあってはならない。
 惨憺たる小泉自民党政治の全体像が明らかにされ、郵政民営化問題を含む政治のあり方総体に対して、国民の審判が下される必要がある。この点でマスコミの役割は大きい。「木を見て森を見ない」興味本位な報道を垂れ流し、結果的に国民の判断をミスリーディングすることのないよう、強く望みたいものである。

―8月17日脱稿―