『帝国の遺産』清算が必要 東大教授 高橋哲哉さん 「靖国」を語る 60年目の戦後 東京新聞2005年8月15日付(2005.9.18)

 

http://www.tokyo-np.co.jp/yasukuni/txt/050815.html

 

 

『帝国の遺産』清算が必要

東大教授 高橋哲哉さん

 

 靖国神社の最も大きな役割は、戦没者の功績をたたえ、「英霊に続け」と国民を戦争に動員することでした。合祀(ごうし)されているのは軍人、軍属、準軍属(軍に協力し戦死した民間人)のみ。原爆や空襲などの戦災で亡くなった一般戦死者は対象ではない。

 

 あくまでも天皇の軍隊の一員として戦死した人だけが合祀され、幕末・維新の内戦で朝敵や賊軍とされた人びともまつられていない。「国のために」死んだ者を国家が顕彰する施設なのです。

 

 天皇の軍隊の一員として戦死した将兵は、旧植民地出身者であってもすべて合祀されます。朝鮮半島出身は二万人以上、台湾はそれより多くて二万数千人。あわせて五万人弱の旧植民地出身者が合祀されている。

 

 戦後も、取り下げを求める遺族に対し、靖国神社は「戦死者の合祀は天皇の意思によって行われ、遺族の意思は関係ない」と一貫して拒否してきました。国家が認めた軍の戦死者を一人残らず合祀しているからこそ、特別の存在なのだという意識から、取り下げを拒否しているのでしょう。

 

 戦後は、旧厚生省から戦死者名簿が渡されて、それを根拠に合祀してきた。しかし、こうした宗教法人と国の癒着は政教分離原則に反します。政教分離と信教の自由はコインの裏表です。国家と宗教との癒着を禁じなければ、信教の自由も保障されない。

 

 天皇に主権がある大日本帝国憲法体制から、国民主権の日本国憲法体制に変わる時、政教分離の原則を貫くことが必要だった。ところが、この原則の意味がなかなか理解されず、国家神道の名残があいまいなまま清算されずに今日まで来ている。これが問題なのです。

 

 かつての日本社会は分厚い中間層があり、強者の論理が緩和されていました。一九九〇年代以降、日本経済のグローバル化のもとで「強者の論理」が浸透し、教育の中にまで入ってきている。経済をはじめさまざまな分野で強者の論理を受け入れた人々が、中韓の批判に対して「どうしてそんなに弱腰なのか」と主張しています。

 

 現在の靖国問題が象徴しているのは、「帝国の遺産」を清算し切れずに今日まで来た日本の状況です。中国や韓国からの問い掛けに応じるためには、自国の歴史を直視し過去を克服する必要がある。しかし、過去の克服どころか、あいまいに存続してきた帝国の遺産の上に、居直ろうとさえしている。危うい状況だと私は思います。

 

 国立追悼施設を造ることは、一つの政治的オプションとしてはあり得るでしょう。ただ、それを第二の靖国としない政治をどこまで確立できるのか。無宗教の施設だから安全なのではない。靖国神社自体が、かつては無宗教の国立追悼施設を装った「宗教的な国立顕彰施設」だったことを忘れてはなりません。

 

 (この企画は西田義洋、瀬口晴義が担当しました)

 

 たかはし・てつや 東大大学院総合文化研究科教授。49歳。20世紀の西欧哲学を研究、ナチスによるホロコーストなど歴史問題を幅広く論じている。「戦後責任論」「教育と国家」「靖国問題」など著書多数。 

 

2005815日)