首相の「私的参拝」論否定した判決 大阪高裁 靖国違憲判決 「しんぶん赤旗」(2005.10.1)

 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-10-01/2005100114_01_1.html 

 

 

2005年10月1日(土)「しんぶん赤旗」

首相の「私的参拝」論否定した判決

大阪高裁 靖国違憲判決


■解説

 小泉首相の靖国神社参拝をめぐる一連の裁判で、争点になっているのは(1)参拝が首相の職務行為(公式参拝)として行われたかどうか、(2)それが憲法の政教分離原則に違反するのかどうかです。

 福岡地裁の違憲判断や千葉地裁の職務行為判断はあるものの、大半は踏み込まず、憲法判断を避けていました。

 大阪高裁はこの二つの争点に明確な判断をしました。参拝の外形も「職務行為」であり、公私をあいまいにすることも公的行為と認定する要因になるとも言及しました。そして、参拝の目的・効果ともに特定の宗教施設を援助・助長するものだと判断しました。

 小泉首相側は、一連の裁判で実に姑息(こそく)な手法をとりました。従来の主張をくつがえし、「私的参拝」と言い出したことです。

 「当選すれば靖国に参拝する」は自民党総裁選挙の公約でした。首相就任後最初の参拝(〇三年八月十三日)後の会見では「公式とか私的とか、私はこだわらない。総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」と述べています。

 二十九日の東京高裁判決は、裁判対策上の小泉流詐術に追随しましたが、大阪高裁はそのペテン性を見抜き、公式参拝と認定しました。

 戦前、日本は国家神道体制のもとで侵略戦争をすすめ、靖国神社はその精神的支柱の役割を果たしました。その深刻な反省の上に確立したのが憲法の政教分離原則です。

 公式参拝については、仙台高裁が一九九一年、天皇や首相らの公式参拝はその態様にかかわらず違憲と判決し、九二年には福岡高裁が「参拝を継続すれば違憲」、大阪高裁が「違憲の疑い」と判決。いずれも確定判決になっています。

 にもかかわらず、首相はなぜ参拝にこだわるのか。今回の大阪高裁判決はそれを「主たる動機や目的が政治的」だと指摘しています。

 その「政治的目的」は歴然としています。一九八五年に「公式参拝」した中曽根首相(当時)は「これが戦後政治の総決算。過去のことではなく、二十一世紀へ向けて前進の体制をつくる」と言明しました。

 小泉首相は就任後の会見で、「米軍が攻撃をうけた場合、日本が何をしなくてもよいのか」「いざという場合に命を捨てることに敬意をもつ」と述べました。

 そして今、イラクに自衛隊を派兵し、憲法改定で「戦争する国=戦死者をつくる国」へとこの国を変貌(へんぼう)させようとしています。靖国問題はそれと表裏一体の関係です。

 そして、参拝が侵略戦争美化の歴史観を肯定し、アジアのなかでの孤立化をいっそうすすめる道だという事実を、あらためて直視すべきでしょう。(柿田睦夫)