靖国参拝訴訟 高裁判断真二つ それでも『違憲』に重み 「東京新聞」核心(2005.10.1)

 

http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20051001/mng_____kakushin000.shtml

 

 

靖国参拝訴訟 高裁判断真二つ

それでも『違憲』に重み

 小泉純一郎首相の靖国神社参拝をめぐる訴訟で、大阪高裁は30日、参拝は「公的」なもので「憲法が禁止する宗教的活動に当たる」と、高裁では初めての違憲の認定をした。前日には東京高裁が「純然たる私的行為」だったとする正反対の判決を言い渡したばかり。2つの高裁判断はなぜ分かれたのか。「請求を棄却する以上、憲法判断も傍論にすぎない」という批判も出る中、違憲判決の“重み”を探った。 (社会部・飯田孝幸、瀬口晴義)

 東京、大阪の両高裁の判決は対照的だが、どちらも小泉首相の参拝の仕方について、詳細な判断を示している。共通する論点への細かい評価の違いの積み重ねが、二つの判決に影響している。

 参拝の際、首相は公用車を使い、秘書官を伴って、神社で「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した。大阪高裁はこれらの行為を「職務行為」と判断する根拠とした。

 一方、東京高裁は「神社への往復に限っては首相の職務に関連していると言えるが、参拝に伴う一連の行為が職務行為だったとは評価できない」と指摘。「内閣総理大臣」の記帳も「肩書を付したにとどまる」とし、献花代三万円が私費で払われたことも、「私的」と判断する根拠とした。

 大阪高裁はこのほかに(1)首相就任前の公約として実行された(2)首相が公的な立場での参拝であることを否定しなかった(3)首相の発言などに表れた参拝の主たる動機ないし目的は、政治的なものである−を「公的」と判断した理由としている。

 首相が国会などで「首相の職務とは関係ない、私的参拝だ」と説明し始めたのは、二〇〇四年四月に福岡地裁で違憲判決が出されてからだ。それまでは、公私の別を明確にしていなかった。大阪高裁は参拝当時のあいまいさを批判し、そこに判断の基準を置いた。

 こうして分かれた「私的」「公的」の判断の上に立ち、東京高裁は「職務行為として行われた参拝(公的参拝)ではない以上、原告らの賠償請求には理由がない」と訴えを棄却した。大阪高裁は憲法判断へと進み、参拝は「憲法二〇条三項が禁止する宗教行為にあたる」(違憲)と認定するが、請求は棄却という結論は東京高裁と同じになった。

 「公的参拝」とする判断は、大阪、福岡、千葉の各地裁でも出されている。違憲判断をした福岡を除く二地裁は「公式参拝であっても、権利侵害がない以上、違憲かどうかは判断する必要はない」という考え方。司法の判断は一様ではない。

■『蛇足』 『良心』か

 小泉首相は首相就任後、二〇〇一年八月十三日など計四回、参拝を行った。違憲訴訟は全国六地裁で十件起こされ、「違憲」判断は福岡地裁以来二度目。同地裁も、主文で訴えを退けながら、理由の中で「首相の参拝は公的なもので、憲法が禁止した宗教的活動にあたる」と述べている。

 民事訴訟法では、勝訴した側は上訴できない。福岡地裁の判決は一審で確定した。これには異論もあり、現役裁判官からは「蛇足判決による弊害だ」との批判も出た。

 あえて参拝の憲法判断に触れた理由について、地裁判決は「首相の参拝は、合憲性について十分な議論がないままに行われ、繰り返されてきた。今回、裁判所が違憲性の判断を回避すれば、今後も繰り返される可能性が高く、当裁判所は違憲性の判断を責務と考えて判示した」と述べている。

 請求を棄却するのに、理由の中で「違憲」と断じることは“蛇足”なのか、それとも裁判官の良心なのか。

 大阪高裁判決を受けて、自民党の武部勤幹事長は直ちに「判決の違憲とした部分は傍論にすぎない」と反発した。

 明治大法科大学院の吉田善明教授は「法的拘束力があるのは主文だけだが、裁判所が理由の中で『違憲』と判断したのは相当の重みがある。首相は司法判断として謙虚に受け止めるべきだ」と指摘する。

 東大の奥平康弘名誉教授は、違憲判決の本質は主文より理由部分にあるとみる。「靖国参拝が憲法の政教分離原則に反しているということと、誰がどのような資格で違憲性を争うのかということは別問題だ。国家が違法なことをしているのに、法的利益の侵害がなければ誰も争えないというのはおかしい」と評価した。