『教育問題について』――日本国防協会における講演(2004年9月)より 米長邦雄(東京都教育委員・永世棋聖)(2005.10.1)

 

日本国防協会 http://park20.wakwak.com/~kokubou/ 

機関誌 『安全保障』 第99号(平成17年新年号)

http://park20.wakwak.com/~kokubou/books-99.html より

 

 

【抜粋】

卒業式に絶対「君が代」を歌わないとか、そういうのがいるわけです、歌ってくれと言っても「私、絶対歌いません」というのが。どうしてもだめというのがいた場合は、1年間で外に出すことができるという、これは画期的なルールで、これはいちばん大変でした。

 校長がいちばん偉い、校長はとにかくだめ教師を1年で外に出せる。そうすると次の学校に行きますが、やっぱりだめだと、また次の校長が外に出すのです。それで3回ぐらい毎年外にぐるぐると回ると「お前さん、何か問題があるんじゃないか」ということになって、「どうも教師向きじゃないようだ。あんたちょっと悪いけど、職場をちょっと変えて研修してみないか」とこういうことになるのです。

 ものすごく強い教育委員会でして、それを3ヵ月に1回ぐらいやるのです。そうすると向うも、何を反対していいのだか分らないのです。

 「あの教科書を取っちゃだめだ」と反対して3ヵ月もたったら、「校長が1年で出せる」ようにするだとか、次から次へと出すものだから、何を反対しているのか、これから何を反対するのか分らないうちに、次から次ヘと通過していくから、何だか分からなくなってしまって、この4年か5年の間に。

 まずあとは、定着を見るのみということです。ですから私は、役割は終ってしまった。このあとは石原慎太郎という人が知事でなくなっても、私が教育委員を去っても、もう東京都の教育が元へ戻ることはありません。

 つまり、本当に正常な教育が行われるようになったのです。・・・

 

 

 

教育問題について

                                               

東京都教育委員・永世棋聖 米長邦雄


1 はじめに〜東京都教育委員に就任
 私は今、61歳になりますが、東京都の教育委員になつてちょうど5年目です。教育委員というのは、1期4年で、今2期目なのです。大体2期8年やつて終わりというのが晋通なのです。
 教育委員になるには、都道府県と市町村とで違いますが、東京都の場合は、ます都知事の石原慎太郎知事から「あんた、教育委員になる気はないか」と打診があります。そのときに「なつてもいいですよ」と言つたら「ああそうか」ということで都議会にかけるわけです。そこで、過半数の賛成を得られると、教育委員になります。
 一度教育委員になりますと、任命した知事でも首を切れないという強い立場なのです。丸4年過ぎて、再任するかしないか、それはまた知事の自由で、再任ということになればまた議会にかけるというわけです。

 教育委員会制度というのは、素人というか、教育に全く関係のない教育委員が5人いて、東京都なら東京都の教育を決めていくと、こういう委員会制度なのです。
 教育委員は、5人で昭和22年から始まつて、50年ぐらい経つていますから、大体2 00人から300人ぐらい教育委員になつた人がいるのでしょう。
 その間、議会で揉めたのは二人しかいないのです。
 一人は、美濃部知事の時、この人は社会党と共産党が押して当選しました。しかし、議会は自民党が過半数を握つているので、問題が起こり、これで 1回もめております。
 2度目のもめごとが私だつたのです。
 石原知事が、教育委員に私をと言つたら、都議会では文教委員会ー国会と同じです一がありまして、そこで人物がどうとか、こうとかいろいろやるのですけれど、反対が多すぎて、その日はお開きということになつたのです。
 頭を冷やして次にやろう」ということになつて。

 教育委員は、大体名士が多く、教育委員会法の第3条に「教育委員は、人格高潔にして識見を有する者」と書いてあるのです。
 どうもそれにふさわしくないというわけで、反対者が出て、いよいよ議会で投票ということになつた。
 珍しいのです、大体名士がなりますので賛成多数で、シャンシャンシャンというところなのですけれど、この時はまた物凄い反対が出まして。
 誰が反対しているかというと、日 本共産党が反対、それから生活者ネットワークという政党がありまして、そこの女性たちが反対、それから民主党の一部が反対をしていたのです。

 自民党も割れていたけれど、「今回は石原与党に付こうじゃないか」ということで一つになりまして、結局第1回目の投票結果が84対41と、40票も反対票が出たということは珍しいのです。
 それでも、私は晴れて教育委員になつたのです。
 昨年の12月に任期が満了、2期目になつたのです。2期目もやはり反対が出ましたが、今度は賛成が120のうち100を超えました。
 というのは自民、民主、公明と、ここがみんな賛成に回つて、反対したのは共産党と生活者ネット、これはもうしょうがないのです。

 私の4年間の成果を見て、石原慎太郎知事が「米長さんほど信頼できる人間はいない」と。
 「私はタカかハトかで、タカと言われているが、米長さん、あんたはコンドルだよ」。
 こういうことをやつてきました。

2 教育界の実情
それでは、どのようなことをやったかといいますと、非常にばかげていることなのです。
この日本という国は、昭和20年という年と、それからもう少しさかのぼつて明治維新の時と、国が大きく変わつた国なのです。
 そのため、昭和20年の良いことも悪いこともそのまま引き継いで今日に至つているのです。
 それからすると、そろそろ国が変る時なのです。
 国が変る時というのは、どのように変るかというと、だんだん私が言つていることがどうも常識的だというようになつたきたというなのです。

 例えば、教育基本法を改正するとか、憲法を改正するなどということはタブー視されていて、そういう発言をしてはいけないというような世の中だつたのですが、それが堂々と表に出るようになつた、むしろ、今度は国会でそれお取り上げようかというようになりつつあるのです。

 教育委員ですから教育のほうの話をいたしますと、まず教育の世界は、世界中でも珍しい労働組合があるんです。
 例えば、私は将棋指しですが、徳川家康のころから家元制度というのが続いているのです。
 当時の家元の仕事というのは、1年に1回 将軍の前で将棋を指すというもの、御前試合です。
 それが1回あつてあとは将棋を教えたり、免状を出したりというようなのが本業なのです。その時の記録が残つていまして「足袋をはかせてもらいたい」と願い出ている。
 つまり身分があつて、将棋指しというのは侍と町人のちょうど中間、町人扱いなのです。
 江戸城に上がるときに、足袋をはいてはいけないのです。「足袋をはかせてくれ」とか、それからだんだん元緑から世の中がこう豊かになりまして、将棋フアンが老中にも多くなつてきますと、将棋の好きな今でいうと大臣クラスが見えるわけです。
 それで、だれそれと □をきいたとか、食事に何が出たとかと記録されているのです。

 そこに2汁7菜というのがあります。二つの汁ものと七つのおかすが出たと、こういうことを書いてあるのです。
 それは何かというと、御殿医というお医者さんがいますが、お医者さんと同じだけの待遇をしてもらつた。
 つまり尾頭付きの魚が出て、酒が出て、お吸い物というようなものが出たと、そして、こういう人と□をきいたということがちゃんと書いてあるのです。それだけ、だんだん社会的地位というのですか、身分が上がってきたというわけです。それは、緑高とかそういうものを下げられないように、上げるように頑張つたのです。

 どの社会でもそうだと思うのです。恐らく今日お集まりの皆さんがたも心は一つで、防衛庁から防衛省への格上げをしなければならないと、それにはどうしたらいいかというようなことを考えられていると思うのです。
 もちろんそれには、反対だという人もいるのでしょうけれども、やはりそれぞれ自分の立場で、どうしてもこうしなければいけないということがあって、その道で頑張つてきたと思うのです。つまり、それに携わつている人は頑張つてきたと思うのです。

 ところが、日本の教育だけはこれが全く逆で、教師が自分の地位を下げるように、下げるように努力をして50年たつたのです。
 明治になりますと、明治新政府ができます。そうすると、国民の中で字が読めない人と書けない人がいるわけです。
 これでは非常に困るわけで、国民が全部「読み書きそろばん」ができるようにしようということで学校を作った。
 そこで「読み書きそろばん」を教えてくれる人、その人は、ものすごく偉い人で、学校の先生は偉かつたのです。校長先生などというのは、飛び抜けて偉かつたのです。

 ところが、戦後どうなつたかといいますと、戦後の教師の給料は、例えば22歳で大学を卒業してすぐに教師になつたとしますと、60歳が定年です。
 どんなに一生懸命頑張つても、どんなにサボつても、全員給料が同じように上がるのです。そうすると一生懸命やっただけアホらしいということになります、まずそれが一つ。
 それから、先生のほうが教育熱心のあまり、しかりつけたり、殴つたりというようなことをすると、暴力教師という ことになるのです。

 そこで、教師のほうがまずやったことは、何かといいますと「子供と対等だ」という線を打ち出したのです。
 子供と対等というのは困るのです。子供と対等だと、しかりつけるということができないのです、しつけもできない。
 次に、教壇を外した、教壇というのは、教師のほうが子供より偉いような気がするからやめようと。それから卒業式で「仰げば尊しわが師の恩」という歌、恐らく皆さんがたは歌つたと思うのですけれど、この歌は歌わせないようにしてしまつた。
 「仰げば尊しわが師の恩」というと、なんだか先生のほうが偉いように思われるではないか、それでこれもなし。
 2番がよくないというのです、「身を立て、名を上げ、やよ励めよ」ということです、これがよくないというのです。だけども、みんなそれぞれ一生懸命頑張つているのですから、と思うのですが、だめだ、これも歌わせないということになった。

 それから、卒業式のときに国旗を掲揚するということはまかりならんと、上から押し付けはだめだということになる。
 壇上で校長が卒業証書を渡してはいけないと、下の、フロア式というのですけれども、下へ下りて渡せと。
 校長だけ偉いように見えるではないか、これはよくないと、これもだめになってしまう。

 つまり、教師がやつたことは、今は「日教組」という昔からの組合と「全教」という共産党系の組合と、いろいる分かれているのですけれども、どの組合も一律にそういう運動をし、50年間過ぎてきたのです。
 そしてしかも、その中身は当然昔の社会党系の「日教組」と共産党系の「全教」ですから、これは本部が日本にあるのか、どこか違う国にあるのか、分らないような教科書内容になって、それでずつと戦後教育してきたわけです。
 ですから、だんだん日本人の考え方が、日本の昔のいいものはなくして、新しい考え方で、しかも、それがどこか違う国に迎合するという内容になつているのです。
 教えるほうもそう、教科書の内容もそうということになつているのです。

 特に、外国の教科書を皆さんがた、是非取り寄せ、研究会を一度やられたら良いと思う。
 どういう教育をしているか見ると、「なるほど、重慶でサッカーの試合のときにこんなことがあつたけれど」と、あれは常識なのです、あの程度で済んだからまだよかつた、というぐらい。
 日本人は、すべて鬼ということになつているのです。日本列島は、とんでもなく悪い人間が住んでいるということになつている、これが常識というのですか、国定教科書ですから、そういうように教えているわけです。
昔、昭和20年の前にとんでもな<悪いことばかりで、本当に悪い連中だと、こういうことをずーっと教え込んだわけです。
 それに対して日本のほう|よ土下座するばかりで、「済みませんでした、申し訳ありませんでした」と言つているばかりなのです。

3 新教科書の採用
 ところがここへきて、今から3年前に、日本は悪くないというわけではないけれど、もちろん戦争は悲惨なもので悪い、いろいろなことがある、しかし戦争をするにはそれだけの理由があったのだと。
 そして、戦争をした結果どうなつたかというと、東南アジア諸国も独立した。公平に見た日本の正しい教科書が出たのです。
 大体、南京で大虐殺があつて20万人とか40万人とかいう、そういう説もあるけれども、しかしそういうことは実際不可能だと、きちんと書いた教科書なのです。
 それが「扶桑社」というところから出た「歴史、公民」というのです。
 公民の方は、すでに拉致問題を3年前に書いてあるのです。だから日本国は、こういうようにテロリストに拉致された同胞がいるのだから、何とかしなくてはいけないということが書いてある教科書です。
 この教科書を、選ぶかどうかでえらい騒ぎになつたわけです、これが3年前。
これは中学校の教科書です。
 「扶桑社」というのは産経新間社の資本の入つている会社です。まずこの教科書が出ますと、全部両方合わせて70万部売れたのです。
 大体教科書というのは面白くないもので、ただで配つても子供は読まないのですから、だから成績が悪いのですが、大人が金(かね)を出して読んだということは面白い教科書なのです。
 それで、70万部売れたのですから、「扶桑社」も教科書がどこかの学校に入らなくても元は取つたわけです。

 どうもこれを採択する、東京都教育委員会が採択するのではあるまいかと、東京都の教育委員会がやることは、大体文科省よりも、文科省のお手本というと言い過ぎになりますけれども、文科省も見ていて東京都が入れると、そうすると大体埼玉、千葉、神奈川が入れたり、それからすぐに広島が入れたりするのです、ですから東京都がやつたことは1年たつと波及効果がすごく大きいのです。

 東京都でそれを採択されると困るので、3年前は大変な騒ぎがありまして。
 本当のことを言うと、私も4回ぐらい刺されそうになりました。
 刺されそうになつたというのは、いろいろなことがありまして、実際にこう刺されるというわけではないのですけれど、身の危険を感じることがあつて警察がよく私の周りをずつと回つてくれました。
 もうこれで、一応仕事が終ったというか、もう荒療治は済んだのですけれど、大変でした。

 狙つて来るところは大体判ります、だからこそ教育委員になるときに反対したわけです。
 「あの男はこういうことをするであろう」と、みんな読んでいたのでしょう。それで、いよいよ歴史教科書を採択するということになつたのですが、すごい騒ぎでしたけれど、とうとう東京都はこれを入れた。
 ただ入れたのですけれど、これは中学校なのです。東京都に中学校は、公立学校は幾つもあるのですが、中学校は、例えば区立何々中学、あるいは八王子市立中学とか、立川市立中学とかいうので、区市町村の学校なのです。
 それで東京都に都立高校はありますけれど、都立高校は直轄なのですが、区立中学とか、市立の中学は東京都が選ぶのでなく、各区市町村の教育委員会が選ぶのです。

 それで、杉並とか荒川とか、そういう所になりますといろいろなことがありまして、私のところにも手紙がきて「いつも教育にご尽力いただき、まことに敬意を表します」とかあつて、いちばん最後に「あの教科書を取つたらいけない、奥様のお体くれぐれもお大事に」などと書いてある、ご親切に。
 こういうのが来るのです。1日100通ぐらい来たりするのですから、大変ですよそれは。
 それで結局、どこも取れなかったのです、怖いですから。名士がやっていますから、そんなことをしなければ名士で通るのですから。
 東京都は、そうはいきません。どうしてかというと採択したわけだから、それを。
 では何処が採択したかというと、養護学校というのがあるのです。肢体不自由児とか、病弱という人がいますが、それは都立高校なのですけれど、都立高校の中等部というのがあるのです。
 それは、東京都のものですから東京都の教育委員会が選ぶのです。ですから、東京都立中学というわけです、それが特別な例なのでそこにだけ入れることができるのです、採択すれば。大騒ぎのすえそれを入れたわけです。

 3年たちまして来年大騒ぎです、来年の8月は大変です。私はどうなつているか分らない、これが最後のお話しになるかも。
 こつちは将棋指しですから、ササれるのは馴れていますから、構わないでばんばんやるのですけれど。
 来年の4月1日から中高一貫校というのが出来る。今度は都立高校改革で、都立高校がだめになつてしまつたから、この200ある都立高校を、それぞれ全部特色のある学校にしたのです。
 そのうちの一つに、白殴高校というのが御徒町にありまして、日比谷高校は戦前の男の日本一、白鴎高校は女の日本一だつたのです。
 それが、今男女共学になつていますけれど、ここを中高一貫校で、高校の生徒数を半分にして、中学生が半分、中高一貫ですから当然人数が半劣になるわけです。中学の6年制にするわけです。
 そういう学校にしてしまうのです。
 そうすると都立中学なのです中高一貫校というのは、それで今度は都立中学に、来年の4月1日からですから、今年の夏に教科書を選ぶ、またあの教育委員会だから、有名な教科書を選ぶのではないかと大騒ぎになった、それで8月26日にこの教科書を採択しました。

 採択すると反対するのは、朝日新聞社と毎日新聞社、賛成するのは、読売新聞と産経、こういうようにもうはっきり分かれているのです。
 当然サンデー毎日と週刊朝日は反対になつている、と色分けがはっきりしているのです。
 この歴史教科書は、実は8社あるのです。8社あつて、どの教科書も自分のところの本がいちばんいいと思っているのでしょう。右左ということから考えると、「扶桑社」がいちばん右なのです。いちばん左に「日本書籍」という会社があるのです。これは例えば、東京都の23区の中で21区は「日本書籍」だつたのです。
 なぜか、そういう歴史がありますから、いちばん左の教科書がいちばん幅を利かせていたのです。
 ところが、日本中の教育委員会も本を読んでみて、「これは、ちょつとあまり上下座ばかりでおかしい教科書じゃないか」と思つたわけです。
 さりとて「扶桑社」を選んだら何をされるか分らない、これも困るのです。それで、いちばん右は選ば無くて、いちばん左も外して、「東京書籍」というのが一番多いのです。
 ほかにも、いろいろなのがあるのですけれど、各地の教育委員は一生懸命やつたということなのです。
「扶桑社」を取つたのは、東京都です、堂々たるものですよ「どうだ!」と取つた。
 いちばん左の教科書はどうなつたかというと、会社がつばれました。だからあの教科書で勝敗表はどうなつたかというと、「扶桑社」そのものは、これから伸びると思いますけれども、まず一般国民が70万部買つたのですから、買つてお金を払つて読んだのですから、元は取つたのです、それに有名になりましたから。
 それで、いちばん左の教科書はなくなつてしまつた。

4 ジェンダーフリー
もう一つ、東京都の教育委員会が8月26日に打ち出した案は、ジエンダーフリーの廃止。ジェンダーフリーというのをお話ししますと、男女平等教育といって、先生と生徒は対等だと、同時に男と女も対等だということなのです。もちろん女性の差別というのはだめです。だめですが、区別はしてもらわなければ困るのです。

 家庭科という教科書があるのですが、英、数、国、理、社、そのほかに家庭科という課目があるのです。
 家庭科は、中学、高校も必修なのです。この家庭科が、実は日本の国をだめにしたのです。
 どうして駄目にしたかというと、家庭科の家庭というのは何かということなのです、家族とか家庭。
 はつきり定義があつて、「家庭とは、男同士のカップル、女同士のカップル、そして男と女のカップルと3通りある」と。
 ちょっとおかしいのではないか、それが家庭。
私の常識では、家庭というものは「男と女がいて、それが婚姻届を出して同じ家(うち)に住んで、子供ができて、歳を取つた親と同居する」というのが一つの家族とか家庭のパターンであつて、あとはそれぞれそれに準じたものがあると、私の常識はそうなのです。
 ただし、世の中にはいろいろな人がいますから、偏見でそういうようなものを、変な目で見るようなことはやめましょうと、これはいいのですけれど。
 家庭というのは男と女がいて、婚姻届を出したところから始まるのではないのですか。そうではない、男もなく女もなく全部対等だというのがジェンダーフリーというのです。

 私は、差別はだめだが区別しなければいけないと、こう言つているのですけれど、いよいよ東京都は、「ジェンダーフリーなる言葉を使つてはならん、東京都と教育委員会は全部公文書にこの言葉をつかってはならん」という禁止令を出しました、それで以上終了と。
 それから、来年採択する教科書に、ジェンダーフリーというものを持ち込んでいる、文言を入れてある教科書を一切採択してはならんと。
 これは、大変ですが東京都がこれをやりましたから。それで、その前にこれは内閣府でそのようにしなさいという指導があつたから、それに従つただけのことです、とこうただし書きがあるのです。

 本当は、内閣で行き過ぎに気がついていたのですけれど、女性がキャンキャン言うもので、それに押されてしまつてそういうことになつたので、これでピリオドを打ちました。

 この女性たちの裏には、イデオロギーがあるのです。はつきり申し上げますと、まず国旗国歌に反対なのは日本共産党と、これはもうはつきりしてます。それからジェンダーフリーというのは日本の伝統文化、家族制度を全部破壊するという運動で、表は女なのです。
 女の地位を向上させようというので、表に女が出てきているのです。弁護士だとか、学者だとか、国会議員だとか、そういうような人たちが出ているのですが、その裏には新左翼というのがついているのです。

 あの成日闘争だとか何だとか、いろいろなことをやる、いわゆる新左翼という、共産党より左という左翼ですか、これが後ろについていて、理論武装をして前面に女が出ている。
 今は、政治も政党も誰がどうなつたのか、全然分からなくなりましたから、私には説明できないが、要するにそういうことです。ですから、ジェンダーフリーをやつつけるというのは、非常に怖いことなのです。
 今年からそれも禁止。それで来年からジェンダーフリーなる言葉が入る教科書は恐らく出てこないと思います。
 それから、いちばん左の教科書がなくなってしまったということは、「扶桑社」がそんなに右寄りの教科書ではなくなると思うのです、あれがごく当たり前になるのだろうと私は思うのです。
 それは拉致問題がすでに入つていますから、地致問題を入れないわけにはいかないのです。
 「ああいうものはありませんでした、それはデッチ上げでございます、しかし南京大虐殺はありました」と、こういう教科書でしたから、ちょつとそれはおかしいのじゃないのか、世の中がだんだん、いい方向に来た、というように私は考えているのです。

5 教育者の向上策
東京都がこれからやることは、非常に世の中でうま<いっているのです。教師の世界というのは、22歳で教師になり、60で定年退職したら、校長になつた人はちょつと給料が高いのですがあとは皆同じです。年金からなんか皆同じですから、一生懸命やつてもだめなので、学校とか教育が無競争というのは、あれは教師が無競争だったのです。
 ところがここへきて変動が出たのです。
 それは何かといいますと、三位一体改革というのがありますが、国から地方へ補助金とか、いろいろ知事のほうへ回すものがあるのですが、ます教育費は削られるのです。
 教師の予算、9、400億円を削ろうかと、これが通るかどうか分かりませんけれども、とにかく教師に回す給料が減るということは確かなのです、一つは国の流れで。

 それから義務教育の、小学校、中学校の先生の給料はどこでどうやつて決めているのかというと、法律で国家公務員に準ずると書いてあるのです。
 国家公務員というのは誰だというと、国立大学の先生たち、教職員に準じたもので義務教育は作つているのです。
 ところが、お手本がなくなつてしまつた。独立行政法人というのが出てきて、国立大学というのが一つもなくなつてしまった。そうすると法律で国立大学に準じて、都道府県の教員の給料を決めるとなつているのですが、お手本がもうないのです。
 お手本がないとどうするかというと、都道府県で各自全部自由に作れというか、自分たちで作ることになつたのです。
 どうするかというと、まず東京都が作つたものを見て、次の年にほかの道府県が入れると、こういうことになるのです。東京都の教育委員会は組織がしつかりしていますから。

 それで東京都の教育委員会方式、どうするかといいますと今一律になつている教師の給料を、これは2年ぐらいあとになりますが、今ここで発表したら怒られますけれど、いつたん下げるのです、全員一律に下げる。
 全員下げたら、その分だけ給料が浮きますが、それで校長に余計払う、それから部活というクラブ活動に一生懸命やつている先生がいますが、そういう先生に給料として払う、進路指導で一生懸命やつている先生に「ご苦労さん」と払う。
 それから、同じ教師でも教え方がうまい人と、下手な人がいるわけです、うまい人が下手な人に「こうやれば子供がよく理解できるんだよ」と、先生同士で力が分かつていますから、いい教師には給料を高く払う、だめな教師はだめ。

 それで給料を、そういうように細分化して、今度は60才までいいというのではなくて、会社でいうと課長クラスですね、それを取り入れて、一生懸命やつた教師は給斜が高く、だめな教師は横ばいと、こういうような新しい給与規定を決めるのです。
 当然、組合は騒ざますけれど、組合ももう騒ぎ切れないのです。
 なぜか、いちばん最初に人事課制度導入といつて、一生懸命やる先生は給料を高くするという制度を入れたのです、この4年間で。
 その次にやつたのは、主幹といつて課長クラスを入れた。いちばん大きなことは、だめ教師、例えば組合活動ばかりをしているとか、まるつきり教えられないとか、そういう人がいるのですけれど、校長先生のところへよそから回つてくるのです。
回ってきて、どうするかというと校長がその人を指導するのですけれど、どうしてもだめだという人はいます。
 卒業式に絶対「君が代」を歌わないとか、そういうのがいるわけです、歌つてくれと言つても「私、絶対歌いません」というのが。
 どうしてもだめというのがいた場合は、1年間で外に出すことができるという、これは画期的なルールで、これはいちばん大変でした。
 校長がいちばん偉い、校長はとにかくだめ教師を1年で外に出せる。そうすると次の学校に行きますが、やつぱりだめだと、また次の校長が外に出すのです。それで3回ぐらい毎年外にぐるぐると回ると「お前さん、何か問題があるんじゃないか」ということになつて、「どうも教師向きじゃないようだ。あんたちょつと悪いけど、職場をちょつと変えて研修してみないか」とこういうことになるのです。

 ものすごく強い教育委員会でして、それを3ヵ月に1回ぐらいやるのです。そうすると向うも、何を反対していいのだか分らないのです。
 「あの教科書を取つちゃだめだ」と反対して3ヵ月もたったら、「校長が1年で出せる」ようにするだとか、次から次へと出すものだから、何を反対しているのか、これから何を反対するのか分らないうちに、次から次ヘと通過していくから、何だか分からなくなつてしまつて、この4年か5年の間に。

 まずあとは、定着を見るのみということです。ですから私は、役割は終つてしまつた。このあとは石原慎太郎という人が知事でなくなつても、私が教育委員を去つても、もう東京都の教育が元へ戻ることはありません。
 つまり、本当に正常な教育が行われるようになつたのです。

教育革命
我々が目指したものは何かというと、非常に簡単でつまらないことなのです。
いいですか皆さん、これから東京都の教育革命、心の東京革命、革命ですから、これが革命なのか常識なのか、これから七つ読み上げますから聞いていただきたいのです。
 本当に、七つのこれを実現させようというのです。そのために今、東京都教育委員会がやっているのですが、この七つともできたら、革命だというのです、いいですか読みます。
 「毎日きちんとあいさつさせよう」、「他人の子供でもしかろう」、「子供に手伝いをさせよう」、「ねだる子供に我慢をさせよう」、「先人や目上の人を敬う心を育てよう」、「体験の中で子供を鍛えよう」、「子供に、その日のことを話させよう」。
 なんだこれは、常識ではないのか、なんでそれが革命なのと思われるのでは。
 実は、これは革命的なことで、これはできません。例えば、「毎日きちんとあいさつさせよう」というのですけれど、「あいさつさせよう」というこれは何ですか、というのです。
 「あいさつしましょうね」と言つて、あいさつしない子供がいた時、誰が「あいさつしろ」というのかということです。
 学校の先生が言つた場合は、「学校の先生は、何か子供より立場が上のつもりでいるようだね、あんたは」。いや、学校の先生は上なのです、子供を教えなければいけないのだけれど、「子供より上のような、態度が大きいね」。
 できないのです。子供の権利条約などというものがあつて、これには東京都は入りませんけれど、これは絶対入りません。子供は、親にぶん殴られる権利があるという1条を入れるだけにしようと思つているのですけれど。
 例えば、外から子供が入つてきて、足に泥が付いているとします。「だめだ、お前、足洗つてこい」とこう言います、子供が親を訴えたらどうなるか、子供の権利条約というものに入つた場合は、親の負けなのです。子供の虐待になつてしまうのです。こんなばかなことがあるのです。

 それでは、躾も何もできないでしょう。子供の権利、何か人身売買だとか、幼児虐待だとか、そういうものに対する権利とかは当然あるに決まっているのです。普通は、親が子供をぶん殴るぐらいは、お尻をはたくとか、「ちょっと座れ、このばか」というぐらしヽは親の権利とか権限というか、威厳ですこれは。
 当たり前のことで、泥をつけて入つてきても、裁判なら親が負ける、こういうものを入れたらだめなのです。これが子供の権利条約。こういうばかげたことが今あるので、「あいさつさせよう」、「誰があいさつするように言うの」、「そんなに偉い人がいるの?」、「いるんだよ、それは親と教師だよ」、だめ。
 教師と子供は対等である、親も子供にそういうことをいってはいけない、これでは子供がおかしくならないですか。
 「他人の子供を叱ろう」なんて、わが子でもだめなのですから、他人の子供なんて余計こんなことはできないのです。
 「子供に手伝いをさせよう」、親のほうが子供より偉いような感じではないか、これもだめ。
「目上の人を敬う心を育てよう」、敬うということは、それは尊敬する人なのだけれど、そこに心の中の上下があるということです。
 当然敬われる、尊敬される人と、尊敬している人がいるわけですから、当然そこには上下の関係があるわけです、心の中に上下があつて内心の自由に踏み込むものでこれはよくない、これもだめなのです。すべてだめだというわけです。
 これでは日本がだめになつてしまうから、そこでやつたのは、温かい親心、母親の愛情というもの取り戻そうという運動なのです。

6 日教組運動の変遷
教育の世界で、いちばん最初に揺れ動いたのは左と右です。それは、ソ連という国がありました。片方にアメリカという国があつて、右か左かということで、ソ連、レーエン・マルクスという人たちが絶対に素晴らしいものだと信じている人たちも多かつたのです。
 片方、アメリカの帝国主義とか、資本主義がどうだとか、資本家が労働者から搾取しているとか、こういうようなことがあって、右か左かということで動いていた時代があつたのです。
 ところが、ソ連という国がなくなつてしまつたのです。そこで、右とか左とかいうことが通用しなくなつてしまったのです。

 その次に起した運動は何かというと、上下なのです。左右、右・左に揺れていたものが右・左が通用しないから今度は上下。
 上下というのは、国歌、国旗としヽうものを上から押し付ける、権力で押し付ける。
 校長が偉いとか何とかと、教育委員会がものを言つて上から押さえつけたりする。そうではなくすべて対等だと、先生も子供も親もみんな対等だという、上下から平(たいら)のほうへ持つていこうという運動になつたのです。

 東京都は、これを両方とも、左右はなくなつた、上下もきちんとすると。
国旗を、国歌を斉唱して掲揚したりすると、どうも憲法第9条、またあれを悪く直して軍国主義に走るのだろうと、こういうことを言つていたのです。
 ところが、サッカーの試合をソウルでやつた時、「君が代」を全員立ち上がって斉唱したわけです。
 国歌を斉唱しますといって、お互いに両国の国歌を斉昌しますから。日本とソウルのサッカー場の中でやつているのです。
 それで、けんかになつたり、何か起るかというと、そうではなくて、それは一生懸命やつているわけです。
 どうもオリンピックでも何でも、日の丸の旗を振つても、どうも軍国主義になるようなわけではない、とこういうことなのです。これは、前よりも違和感がなくなってきたのです。
 日本、日本と言つたり、国歌を斉昌したり、日の丸の旗を振るということは、それほどおかしなことではないということになつた。

 そこで、新しく持ち込んだのが何かといったら、どうしても「おれたちは、上から下に押さえつけられるのはいやだ、右に引っ張られるのもいやだ、左に行くんだ」という運動がなくなつて、下火になつたところへ持ち込んだのが、「女は差別されていた、本当に人権問題だ」という新ししヽ運動で、それがジェンダーフリーというわけです。
 今度は、男と女の中を裂くというわけで、男社会で男がうんと威張つていたではないか、女はひどい目に合わされていると言う訳です。

7 ジェンダーフリー活動の実態
その現われが、例えば、日本の漢字の中から婦人の婦、専業主婦の婦という字、この字と母という字を抹消する運動なのです。
 その抹消する運動は、もう法律でも入つていまして、看護婦という言葉はもうなくなったはずです、看護師になつた。
 なぜかといったら、看護とかああいうものはみんな女にやらせ男は勝手だ、なぜこういうことを女に押しつけるか、というので看護婦はだめということになつた。
 それでも、婦長という言葉は残つています。看護師になつたのだから婦長という言葉はなくなつて、あれ師団長になるのではないかなこれから。法律用語で着護師になつたのですから。

 それから決定的なのは、寮母。独身寮、学生寮というのがありますが、そういうところで賄いとかいろいろなことをやっている人がいて、その母親のような温かい心でお世話する人を寮母というのですが、どうしてそういうことを女にだけやらして男にやらないのか、けしからんというので、これは奇宿舎指導員となつたのです。
 おかしいと思わないですか、寮母がなぜ悪いのですか。

 それから、いよいよ童話ですが昔からある物語です、それを変えたのです。
 変えた典型的な例をお話ししますと、「桃太郎」の話、新しく変った物語があるのです、本当にあるのです。
 「むかしむかしある所に、おばあさんとおじいさんがおりました。おばあさんは山ヘしば刈りに、おじいさんは川へ洗濯にいきました。
 川上から桃が流れてきたので、おじいさんはそれを拾つて割つてみたら、中からかわいらしい女の子が生まれましたので桃子と名をつけました」。本当にそうなのです。

 今度の小学校の教科書でも、爺さん婆さんとか父母とか、こういう言葉はありますよ、それが婆さん爺さん、母と父、全部そう書いた教科書があるのです。
 「なんだこの教科書は、今度からこういう教科書出したら許さないからな」、教育委員会はこれをだめ、と、来年からこのような教科書はもう出てこないと思いますけれども。
 それから、男女混合名簿というのがあるのです。男女混含名簿(男と女という区分はないのですから、性差がないのですジェンダーフリーというのは。
 つまり男というものと女というものがないから、はつきり言うと、恥じらいとかそういうものがないというわけです。
 だから家庭の中でも男同士のカップル、女同士のカップル、男と女のカップルがあるように、教室でも男も女もないというわけです。
 体操とか保健のときにどうするのかというと、同じ部屋で着換えるのです、中学・高校ですよ。
 どうなるかというと、胸が大きくなつてきたのもいます、それからこの辺に筋肉がついている人もいるわけです、見れば分ります。
 やはり胸が膨らんだ人を見ればどうなるか、高校生ぐらいで、そのときに変な気を起こすような、そういう悪い人間にならないような教育をしましょうというのです、幼稚園のころから。

 それで文部科学省が出した、ちょうど今から3年前ですが、女の子が生れたら「子」という名前をつけないようにしましょうというパンフレットが出てきたのです。
 あい子さん、けい子さん、きみ子さんとありますが、どうして子という名前をつけてはいけないのかというと、子という名前をつけると、周りから女の子のように見られて、口愛らしく育てようなどといつて、女みたいにさせられてしまうからだというのです。
 女の子をかわいく育てて何が悪い、大体親が何と名前をつけようと勝手じゃないか。こんなものを金を出して、パンフレットを作らせているのです。これは、私が文部科学省に行つて、話をつけてきましたので、もう出てきません。

 そういうように、男とか女とかいうような妙なことをやっている、そういう運動がジェンダーフリーなのです。
 これは困つたことに、例えば、5月5日に「しょうぶ湯」に入つて「かぶと」を飾つて「鯉のぼり」揚げてと、これは昔からの、皆やってきたことです、これが全部だめなのです。
 「かごと」を飾ると、将来防衛庁に入ろうかという悪い人間になるのじゃないか、「かぶと」を飾つては、これはだめなのです。
 それから「鯉のぼり」なぜだめかというと、あの歌が「屋根より高い鯉のぼり、大きな真鯉はお父さん。…・・」、「なんでいつも真鯉が男で大きいのよ、どうして緋鯉と一緒にしないのよ」、「いや、昔から真鯉がそうなつているのだから」、「男女差別だ」、「いや差別じゃありません」、「差別だ」と、実際こういう人がいたのです。

 雛祭りもだめなのです。雛祭りは男と女がいちばん上にいるでしょ、お内裏さんは上の段で、いいと思つたらだめなのです。
 なぜだめかと思つたら、その下に二人宮女がいる、五人ばやしがいる。これは、お内裏さまが上の段で、三人宮女がいて五人ばやしがいて、上下の差別」の典型的なもので、これが差別につながる人権問題だと。雛祭りのお祭りが人権問題になる、ばかじゃないか!

 雛祭りでこういうことをやってはいけない、鯉のほりを揚げてはいけない、こういう運動をずっとやっていた、それが自然ですか不自然ですか。
 男を男らしく育てて、女を女らしく育ててどこが悪いのだ、全て自然か不自然かにおきかえると分かりやすいのです。
 実際、私が教育委員会で発言した言葉 「いいか、胸が膨らんだ女を見た時、むらむらとくるような、そういう若い男を育てなきゃいかん。それが男らしい男なんだ」、こう言つたのです。
 問題発言として新間に出て、だからあれは教育委員にはだめだというのです。
 ただ、私はそのあと付け加えた言葉があるのです、「ただ、社会的知性とか教養というものがあつて、見て見ぬふりをするとか、顔に出さないとか、下の頭はビンビンになつているけれど上の頭はそ知らぬ顔をしているとか、それが教養なんだ、たしなみなんだ。その代り二人きりになつた時に、抱きつくとか、好きですとか、結婚するとかでなきゃ少子化がますます進むんだから、だめだ」とこう言つているのです。

 それで、ジェンダーフリーというのがだめになつた。皆さんがたの周りにも男女共同参画社会の実現と混同してしヽる入がいる。
 男女共同参画社会はこれでいいのです、でも今更そういうことをする必要もないのです。その人たちは、とんでもないことを言い出していて、国会議員の数も男と女を半分ずつにしなければだめだ、恐らく今度は防衛庁長宮も1 期ごとに男と女が入れ替るのではないか・…・・、そういうことをするのでなくてはいけないと。

 ソ二ーでも株主訴訟があつたのです、ソ二ーの役員は男と女を半分ずつしなければだめだという訴訟があつた。
 その時、ソニーの経営者側の答えは「我々は、能力で経営陣を決めております。たまたま男のほうが多いという結果になつたに過ぎません。男だから選んだというわけではありません」そういうことなのです。そこまで、行き着くところまで行つたのです。

 その、優しい女というのですか、これが非常に大事なことで、日本の教育というよりも日本の国がおかしくなつたのは、一つは、子供がおかしいでしょう、母親の愛情がなく育つてきたからなのです。
 いちばん大事なことは、専業主婦の素晴らしさを、みんながもう1回取り戻すことなのです。
 子供を抱いて、おむつを代えて、オッパイを上げるという、それが、くだらないことなのだと言つて、男に尽くしたり、子供の世話したりして、「あんたの人生、それで終わりにしちゃだめよ」という、こういう運動ですから。「いや、そうじゃないんです、子育てというのは大変なことなのだ、それで女が幸せになるんだからそれでいいじゃないか」と、こう言わなければいけないのです。

8 卒業式、国旗・国歌
我々、東京都教育委員会は、ジェンダーフリーというこの本当に間違つた、ねじ曲がった考え方をやめさせて、そしてあの立派な教科書を採択しましたので、来年以降はきちんとしたものになると思います。
 いろいろなことがあるのですが、例えば、卒業式のときにきちんと、先ほどのことをさせるには、教師のほうが上だということにしなければいけません。教師がいちばん上だということは、校長がいちばん偉いということにしなくてはなりませんので、東京都は、学校の中で校長がいちばん偉いということにしたのです。
 卒業式と入学式は、校長がすべて取り仕切る。これに背いた教師は、即刻戒告処分にする。戒告処分というのは、非常に厳しいのです。その次は、滅給10分の1とか、何とかということになりますので、いわゆる前科1犯ということです、一般社会でいうと。公務員として、前科1犯にするというわけです。
 何をしたかというと、今年の3月の卒業式と4月の入学式において、まず卒業式は必ずこういうフロアーになつた壇上で執り行う。
 校長がいちばん偉いのですから、舞台の上で校長が卒業証書を授与する。まず、国旗を壇の中央に掲揚すること、昔は三脚に立てて、ずつと端の方でもどこかに立ててあれば、国旗を掲揚しましたとこういうことになるのですが、それはだめ、中央に必ず国旗を掲揚すること。
 そして、張り出す位置、高さ等全部指定して、ここに校長、こういうように国旗を掲揚することとやつたのです。
 国歌斉唱のときには、司会者が必ず「全員ご起立願います」と発言すること。ピアノ伴奏をすること。それから全員が国旗に向つて国歌斉唱をすること。これを、もしやらない者は即座に戒告処分。
 戒告処分というのは大変です、3年ぐらい続くと自動的に「あんた、教師に向いていないようだね」ということになります。
 今年は戒告でも来年は減給何とか、その次は停職、その次は「教師でないほうがいいんじゃないの」とこういうことになるから、3年以内に全部がやることになるのですけれど。

 これをやつたところ、東京都は6万5千人教師がいるのです、公立学校は多いのですが、驚いたことに、1400人に1人しか座らなかつた。嫌だと、「歌いたくもない」というのが当然いるわけですが、それが1400人に1人の割合だった。1400人に1人の割合ということは大変な数字で、とにかく全員が起立して国歌斉D昌したわけです。
 校長の言うとおりにやつたわけです。

 このことが大きいのです、規律ですから、校長の言つたとおりにする。校長の権限をものすごく重く。
 拡大して、それから再来年になりますが、校長の結料をよくするわけです。すると「じゃ、おれも校長になりたい、一生懸命いい教師になろうか」などと、大分学校も変ってくる。
 東京都がそう変えたから、よそも変るはずなのです。

9 周辺国の情勢
ここのところ北朝鮮はものすごい、何だか発電所がおかしくなつた、何だか爆破か何か事件があつたのしょう。
それから韓国は韓国で、どうも核爆弾か何か作つていたらしい、作ろうとしているのだ、国が関係しなくて物好きな学者がやったというのだが、そういうことはないと思うのです。これはどう者えてもおかしいと思うのです。
それから、中国は中国でご存じのとおりですが、いちばん気をつけなければいけないのは韓国という国なのです。
これがアメリカという国があつて、日米韓というのが一体になつているような、敵なのか味方なのか、仲がいいのか悪いのかということなのですが、これからの情勢によるのです。

 それで中国は、間違いなく、これは外交努力が必要だと思いますけれども、教科書を変えてもらわなければ困ります。
 日本は鬼だというこの教科書を、みんなで「これだけはやめてくれ」と、昔悪いことをしたとか何とかは、それは昔のことで、いつまでも言わないでくれ、今の若い人はそういうことはありませんよ、少なくとも日本人はみんな鬼だなどと、こういうのはやめてくれと言わなくては困るのです、これがます一つ。

 それから、北朝鮮もずいぶん変りました。北朝鮮は、日本に123の学校があるのです。日本の小学校、中学校に代る学校は110校あるのです、朝鮮総連の学校です。
 朝鮮総連の学校は、驚いたことに、今また変わったのかどうか分かりませんが、拉致問題が出た時に、すぐに近畿の方の朝鮮総連の相当に強い力のある支部が公式見解を出しまして「我々は36年間、日本からの被害者であった。
したら、校長は死刑にはならないでしょうけれど、とんでもないことになるのだろうと思うのですが、日本国内ではそうしたのです。

 「我々の祖国は、キム親子の国ではないのだ。」、そういうことをやつたということは、それは何を意味するかというと、日本国内にいる人たちは、本国に帰つて幸せになるという意識はなくなつているのです。
 つまり、日本という国にたまたまいて、やがて立派な人間になって本国に行つて、しかるべきポジションに就いて、幸せな一生を過ごそうということを、やめてしまつて、このまま日本に住み着いて自分の子供も日本で生まれ育つていくのだなという意識になつているのです。
 ですから、日本人と仲良くしよう、と。

それには教科書が、日本人は鬼だなどという教科書ではちょっとうま<ないもので、その肖像画を外したということから、日本国内の朝鮮総連もすいぶん変わつたと思うのです。
 困るのは、韓国のほうなのです。韓国のほうは、このところ急に北こ接近して、むしろ北よりも北つぽいという感じになつてしまつて、分らないのです。
 パク(朴)という、大統領のお嬢さんも一生懸命頑張つているようで、あの人が女性の大統領になるのではないかという噂です。

 分りませんが、「どうして」と聞いたら、昔、三金時代というのがありましたが、みんなもういなくなりました。金がなくなつたから女の時代だろうと、これは私のジョークですけれど。
 こういうことを私のホームページに書いたりするから、時々見にくるのです。固い話も書いてあります、外交問題だとか、政治、経済、教育みたいな、そればかりではみんな頭が痛くなつてしまうから、時々そういうことを書くのです。それでゲラゲラと(笑い)そういうホームページなのですが。
 私のホームページのアドレスを言います。もし、お好きでしたら一つ見ていただきたい、「www.yonenaga.net」ヨネナガネットというのです。
 私のホームページは週に1回更新していますから、日記は毎日ですから。明日の日記を読むと、「私ははこういうところで講演してきました。聴衆一同感銘を受けたようであつた」とか書いてあります。
 明日になればそういうことになるのです。

1 2 提言
このホームページに、これから読み上げますけれど、中曽根康弘先生もマッカーサーも読んでいた詩があるのです、サミエル・ウルマンの青春というのです。
 これを皆さんに毎朝読んでもらいたいのです。まず皆さんにお願いしたいことは、「この世の中には16歳の老人もいるし、70才の青年もいる。それは心のありようだと」。
 これが青春という詩ですけれど、これを毎日読むことによつて、いつまでも若々しくいられるということが一つ。

 もう一つは、皆さんの周りで、40才から55才ぐらいの間の人で、皆さんが育て上げるか、探し出してもらいたいのです。
 私は61になりました。70の人はしつかりしている、石原慎太郎がいる、もうちょつと上には中曽根康弘がいるとか、しかるべき人がいて、例えば外交ならこの人、教育はこう、政治はこう、国防はこう、と、この人間たちに任せればいいという方が何人かいる。
 私は、私で頑張つているつもりですけれど、40、45、50とこの辺に人がいないのです。
 この辺りに、これは将来防衛庁を背負つて立つ人間だとか、国防はこの人間にかぎるとか、そういう人を何人か探してもらいたいのです。あるいは育ててもらいたいのです。それが皆さんがたのいちばんの仕事になると思うのです。

 そして、そういう人たちにこの会に入つてもらう。会に入れて、若返らさなければだめです。
 この40才ぐらいの人間で骨のある人間を、例えば、青年会議所だとか、いろいろな組織がありますから、そういうところと横の連絡を取り合つて、その中に骨のある人がいつぱいいるから、経営者だとか学者だとか職業は何でもいいのです、官僚だつて何でもいいから、そういう人たちを呼んで来て、この会を若返らせて、この人間になら任せられるという人を作り上げていく、これが非常に大事なことだと思うのです。

今、私はそれを、人材を探しているのですけれど、なかなか見つからないのです。
 例えば教育問題で、私はこうやつて教育問題を話ししていますけれど、石原慎太郎なる人物が「信頼できる」、これでいいのでしょう。70の人が60の人に任す。
 「教育なら米長さんに任せられる、信頼できる」これで10年若返つたのです。だから今度、私の仕事は、5 0才の人間を見つけてきて「信頼できる」、こういう人が何人かいればいいわけです、教育の問題は。防衛も外交もみんなそうですけれど「任せられる」、あるいは全部の指南役ということもあるかもしれませんけれども、そういう人を深し出すという、それは非常に大事なことです。

 では「青春」をちょっと読んでみます。「青春とは、人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。優れた想像力、たくましき意思、燃える情熱、きょうだ(怯儒)を退ける勇猛心、蛮勇を振り捨てる冒険心、こうゆう様相を青春というのだ。
 歳を重ねただけで人は老いない、理想を失つた時に初めて老いが来る、歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に青春はしぼむ、苦悶や不安、恐怖、失望、こういうものが人を老いさせ生気ある魂をもあくた(芥)に帰せしめてしまう。
 歳は70であろうと、16であろうとその胸中に抱き得るものは何か、空にきらめく青春、事に処する剛毅な挑戦、子供の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味、人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。
 人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる」これが前半の部のですけれど。

 これを毎朝毎朝読むと、何か東京都の教育委員になつたような気になります。「これでやつていくんだから、冒険心と剛毅な挑戦心でやる、徹底的にやるんだから」と。

13 成果のまとめ
私が委員になつてから4年数ヵ月の間に、50数年間の教育のゆがみは全部直しました。
ゆがみの反動だとか、いろいろありますけれど、あとは丁寧に内装工事みたいなもので、きちんとなり、あとは大文夫になりましたから、私の役目は一応終つたのです。
 終つたというのは、一通り済んであとは来年も同じようにやるのだから「いいか、お前たち頑張れよ」と事務局を励ますわけです。もう反対する人は、抵抗することはできません。
 これで、知事が代つても、教育委員が代つても制度として入れたというのが大事なことなのです。
 それから、歴史教科書にしましても、全部の教科書の中でこの教科書がいちばんいい、だから私はこの教科書を選ぶ、こういうことなのです。
 3年前に選んだ時にこれがいちばんいいと、これに反対する対極のものは倒産してしまつたのですから、倒産してしまったというのは大変なことです。
 そのくらい痛手を被つたということです。来年は教科書問題はあまり騒がないと思います。なぜなら、出てきた教科書が恐らく、ずいぶん違つてくると思しヽます。

14 イラクの問題
イラクの問題をお話ししますと、イラクは日本だけが勝ちます、日本の自衛隊が。ほかは、アメリカはどうなのか知りませんけれど。
日本がなんでいいかというと、Jヽ泉首相のやリ方は、まあ、いろいろなことがあつたのですけれど、部族長に仁義をきってあるということなのです、いちばん大きなことは。土地代を払つたでしょう。「あんな砂漠の荒地に土地代なんてなんだ」と、あれは部族長に包んだごあいさつ。

 我々日本人から見たのでは分らないけれど、現地の人は分かるのです、あれは身内だとか、あれは怪しいやつだとか、現地の人はすぐ分る。
 怪しいのが来たら捕まえてくれる、安全なのはパスしてくれる、だから実は現地の人たちがみんな遠巻きに日本の自衛隊を守つてくれているのです。
 だから日本のほうは、変なところから迫撃砲だとかなんとかいっても、それは中に紛れ込めないのですから、仲間ですから、みんな分かつているわけで顔見知りですから。自衛隊を取り巻く人がみんな味力になつているのです。

 水を配つたり、道路を作つたり、学校を建てたりと、いろいろな活動をやりますが、それでイラクの人に日当をちょつと払つたりとか、日本という国はイラク人にとつて悪いことは一つもないのです。
 部族長には土地代を一応払つている、一応借りているわけですから。地代を払っている、水は配つている、学校を建てたり道路を復1日したりする、イラク人を殺すとかなんだとかそういうことはしないのですから。
 女をかつさらつて何とかするとか、殺すだとか、そういうことは一切しない、日本の自衛隊だけは「いてもらえませんか」、ということです。好かれているということなのです日本は。

 これは大事なことで、将棋からきているのだと思うのです。世界中、どこの国にも将棋はあるのですが、日本の将棋だけは、取つた駒が使えるのです。取つた駒が使えるのは日本だけなのです。
 昭和21年にマッカーサーから呼び出されて、ホイットニーというおじさんに、将棋の代表がこう言われた。「日本だけ、取つた駒を使うのはけしからん」と、あのルールを改正しろと言われた、昭和21年です。
 「なんでですか」と聞くと、「日本の将棋のルールは、日本軍の捕虜の虐待につながつた、だから将棋のルールがよくないのだ」と。
 「日本はそういうことはしていませんよ。日本のルールは虐待ではありません。取つた駒は、飛車は飛車、角は角と同じ肩書きで使っているのです。」と。
 それで、取つた駒を使つてもいいとかなんとか、いろいろなことがあつたのですけれども、取つた駒を使うということはどういうことかというと、相手の王様を詰ますときに、王手とやつて終わりになるのです。
 王手とやる最後には、頭金(あたまきん)というのが多いのですが、その金はどこにあつたものかというと、相手の駒を取り上げて、それで王手で終わり。

 将棋で勝つということは、味方だけの力で勝つということはできないのです。敵の駒を取つて勝つ、というのが日本の将棋の特徴なのです。
 ですから、日本がイラクに行つてやつていることは、イラク人を味方につけたということ、イラク人を手駒にしたということなのです。だから日本の自衛隊だけは安全なのです。

 日本のやり方で進めていけば、イラクでは成功するはずなのです。ところがアラーしか信じていない人たちに、イエスキリストの愛と民主主義を説くという、これは無理だろうと思うのです。そこには、どこか無理がある、イラク人にはイラク人の者え方があるから、イラクに任せるよりないのです。
 ただし、あそこは何千年も民族が殺し合いをしていますから、もしも多数派が握ってしまうと恐らくクルド人というのは、全員皆殺しの運命になるのだろうと思うのです。そういうようなことをさせないように、「いいか、ここまではだめだぞ」、とこういうふうなことで、アメリカや国連が入るということは、大事なことだろうと思うわけなのです。やはり、昔からそういうようなことをやつてきているのですから、これはもうしょうがないのです。

 つまり、昔の戦国時代に、武田信玄と織田信長がいて、北条がいた時に、民主主義で、一人1票で選挙で決めようといつても、それは無理でだめなのです。
 やるところまでやるしかしようがないのです。武田信玄と織田信長は戦つてもらうよりしょうがないのです。
 北条もやるべき時はやるしかないのです。戦争というものは、やるべき時にやらなかつたらだめなのです。何もなしで民主主義だ、それがキリストの愛だなどとは通用しないので、アラーの神だけ信じている人のところに、「おれが正しい」などと、これはだめなのです。
 だから、イラク人を味方につけてイラク人に治めさせて、「しかしここまでやつちゃだめだよ」という一つの線、「これ以上やるなよ」と。
 だからクルド人をいじめるとか、捕まえてきて殺すとか、このくらいはしょうがないのです、絶対だめだといえないのです。
 昔から、 1000年も2000年もやつてきていることなのですから、お互いに「おれのおじいさんはお前に殺された」、こういうことのやり取りですから、しょうがないのです。
 ただ、ここまで大規模なことはするなよと線を引いて、それはアメリカとか国連がやることであつて、あとはイラク人に任せて、つまリイラク人を味方にしなければだめなのです。

15 おわりに
 世界平和のためにいちばん大事なことは何かといつたら、今度の11月の選挙の大統領、どちらが勝つか分かりませんが、勝つた大統領に日本の将棋のルールを教えてやるということです、チェス型はだめですよと。
 チェスというのは全部戦死させることですから、世界中の将棋は味方でない人間は、殺して戦死させて王様を取つて勝つというゲームですから、それはだめですよと、日本式でなければいけませんよということが大事だと思うのです。それがいちばんいいやり方だと思うのです。

 韓国、北朝鮮、中国もみんなそうだつたのです。べトナム、ミャンマー、タイ、セイロンでもみんな穏やかな、みんな日本人と同じような仏教徒というのですか、穏かな民族だつたわけなのですが、どうも教科書がちょつと悪すぎるということです。
 もう一つ、どうも韓国が北朝鮮にもうすぐ結びつくのではないかと思うのです、結びつくとこれは困るのです。
 なぜか、どうしても日本と張り合うことになるのです。だからあそこは結ぴつかないほうがかえっていいのです。結びつかないから非常によかつたのでしょうけれど、多分結びつく方向へ行くのだろうと思うのです。
 そのときに日本はどうするのか、そのときに外交ならこの人、こういう場合にはこうしたほうがいい、こういう場合にはこうしたほうがいいとしゃべれる人がいて、防衛庁は防衛省に格上げしなければいけないのだと主張して、きちんと渡り合う、中国にODAの予算は送るべきは送る、やめるべきはやめると、きちんとする。

 アフリカにはよく行き、本当に貧しい所に日本財団は支援に行きます。何か中国もやはり日本と同じようにやつているのです。
 「これは中国人民の金と人力によつて、これだけのものを建てました。」と書いてあるのです。日本のほうは何も書いていないのですけれど、だから現地の人は、中国はものすごくいい国で、金を出して我々のためにこうやつたくれたけれど、日本は何もしていないのではないかと思われている。
 それは元を正せば日本の ODAの金が、ぐるぐると回つてそちらにいつたようなものですから。だから日本というのはひどい国で、ばかとしか言いようがないのです。本当のことを言つて。

 大体、予定の時間が過ぎてしまいましたのですが、こういうところで私のお話はとりあえす終らせていただきます。
 とにかく皆さんいつまでも元気で頑張つて、それからこの会を若返らせて、会員を増やして、そうでなければ日本はつぶれてしまいますから。
 教育のほうは任してください、ご安心を。
としヽうことで私のお話しはとりあえす終らせていただきたいと思います。
ご清聴をありがとうございました。